園丁だと思って



イースターの朝、空の墓の前で泣いていたマグダラのマリアの前によみがえられたイエスが現れ、話しかけます。
それがイエスだとは分からず、園丁だと思って、話し込むマリアの姿をヨハネは伝えています。
この場面を多くの画家が描いていますが、よく見るとイエスがスコップやくわなど、農具を手に持っている絵が多いのに最近気がつきます。レンブラントの作品は麦わら帽子までかぶっていて、まさに園丁です。
ある説教家が、復活の主は私たちの人生に美しい実をみのらせる園丁のように臨み、私たちがエデンの園で失ったものを、復活の朝、園の墓で取り戻してくださったと語っています。私たちの人生という園に、このお方をお迎えしましょう。

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罪状書きの裏側



昨日の春の音楽礼拝には100名を越える方が集われました。
新聞折り込みチラシやインターネットを御覧になって、足を運んでくださった方も多くありました。
三宅さんご夫妻は、数年前から全国の小さな教会を巡り、コンサートを開いてくださっています。
土曜日に志摩の教会でコンサートをしていただいた続きに、名古屋にも来ていただきました。
ご主人のチェンバロ制作秘話の後、奥様の演奏が始まりました。
前半は「フランス風序曲」から、後半は「マタイ受難曲」からの演奏でしたが、
「マタイ受難曲」の後、短く十字架のメッセージを語らせていただきました。

ある絵描きが、イエスが十字架で息を引き取られた瞬間の絵を書きました。
キャンバスの中心には、十字架に掲げられた罪状書きが置かれています。
絵描きは、展覧会に訪れた人に話しかけました。
「この絵にはある秘密が隠されています。おわかりになりますか?」
すると誰もが立ち止まり、その絵をしばらくじっと眺めてくれたそうです。
そして言いました。「わかりませんね。何が隠されているのですか。」
「では、教えましょう。
この罪状書きの裏側にもう一枚の罪状書きが隠されているのです。
それは私とあなたの罪状書きなのです。
でも、この方の名が私とあなたの罪状書きの上に打ちつけられたのです。
だから、もう私とあなたの罪とは赦されました。」
これこそ十字架の隠された秘密です。ご存知でしたか?
三浦綾子さんはこう言っています。
「それにつけても、私は十字架がありがたい。
イエスさまが十字架におかかりになったありがたさが身にしみる。
天下晴れて、神さまの前に祈ることのできる幸いがうれしくてならい」と。

礼拝が終わると、何人かの方が「マタイ受難曲と十字架のメッセージがつながって、その意味がよくわかった」と声をかけてくださいました。礼拝堂に響くチェンバロの音色を通して、十字架の真実に気がついた人たちです。

今週も大切なことを大切に。

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重い扉の奥に



チャールズ・コルソンは、ウォーターゲート事件で収監され、後に「獄中の使徒」と呼ばれた人物ですが、彼が2人のクリスチャンに監督権が委任された、ブラジルのサンパウロにある刑務所を訪問したときのことを次のように記しています。
そこはヒューメータと呼ばれ、彼らの計画はその刑務所をキリスト教の原理に基づいて運営していくことでした。ヒューメータを訪問したとき、服役者たちは微笑んで私を迎えてくれました。特に鍵の束を下げて門を開けてくれた元殺人犯が最も印象に残っています。
行く場所ごとに私は平安に包まれている人々に出会い、住居環境は清潔で、壁には詩編と箴言の御言葉が飾られていました。ヒューメータ刑務所は驚くほどの記録を持っています。ブラジルやアメリカの再犯率が75パーセントであるのに対して、ヒューメータの再犯率はわずか4パーセントに過ぎなかったということです。このようなことが可能なのでしょうか。
過去には拷問室として使っていた牢獄を見たとき、私はその答えを見つけました。案内人は、今、そこには一人の囚人が収容されていると言いました。長いコンクリートの廊下の終わりにある部屋に着いて、彼は私に訊きました。「本当に入ってみたいですか。」「もちろんです。私は世界のあちこちの牢獄を見て回って来た者です」と答えました。
彼はずしりと重い牢の扉をゆっくりと開け、私はその牢獄に閉じこめられている囚人を見ました。その囚人とは、ヒューメータの服役者たちが美くし彫刻した十字架のキリストだったのです。
今日もその重い扉の奥に、絶望のとなりに、この方がおられます。「私の名前は希望です。」

明日は午後1時30分から志摩市にあるテベリヤ教会で、明後日は午前11時から名古屋教会で、チェンバロ奏者の三宅眞理子さんをお迎えしての春の音楽礼拝(クラッシック・コンサート)が持たれます。ぜひお出かけください。

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私の名前は希望です



漫画「アンパンマン」の作者、やなせたかしさんの詩集から。

絶望のとなりにだれかがそっと腰かけた。
絶望はとなりのひとに聞いた。
「あなたはいったい誰ですか。」
となりのひとはほほえんだ。
「私の名前は希望です。」

イースターにふさわしいメッセージではないでしょうか。
ヨハネが記すイースターの夜の記事があります。その夜、弟子たちはユダヤ人を恐れ、自分たちのいる家の戸に鍵をかけ、絶望の中に座り込んでいました。するとそこへイエスが来てその真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われたのです。イエスは手と脇の傷を弟子たちにお見せになりました。弟子たちは、主を見て喜びました。詳訳聖書は、その喜びを「弟子たちは主を見て喜び<歓喜、狂喜、陶酔、有頂天>に満たされた」と訳し、欣喜雀躍する弟子たちの姿を生き生きと描いています。復活であり、命であるキリストとの出会いこそ、私たちの喜びと希望の源なのです。

次の日曜日は、春の音楽礼拝。チェンバロ奏者の三宅眞理子さんをお迎えし、古楽器の美しい音色を教会堂に響かせていただきます。土曜日は志摩にある小さな教会でも演奏をしてくださることになっています。ぜひお出かけください。
今週も大切なことを大切に。

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なぜ?



マリアがナルドの香油をイエスに注いだ時、マタイの記事によれば、弟子たちが彼女の行為を「なぜ、こんな無駄なことをするのか」と叱責していますが、イエスは、マリアがした以上のことを、これからしようとしていました。イエスはその命までも、弟子たちのために、そして私たちのために注ぎ尽くし、使い果たそうとしておられたのです。それは無駄なことだったのでしょうか。いいえ無駄ではありませんでした。
もう一つの「なぜ」があります。ヨハネは、ここであのイスカリオテのユダが「なぜ、この香油を300デナリオンで売って」と言った言葉を記録しています。彼は、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたとも書かれています。彼の「なぜ」は、やがてイエスを銀貨30枚で売ってしまう、怖ろしい「なぜ」です。「なぜ」という問いかけは、動機を探る時に大切ですが、「なぜ」と言いながら冷静に計算を始めてしまうと、できなくなることが多くなるのではないでしょうか。そして、いつの間にか、大切な香りを失ってしまうのです。
人生にはいつでもできることと、たった一回しかできないことがあるのです。マリアは、やがて私たちのためにその命を惜しみなく献げ尽くしてくださるイエスを思い、イエスに葬りの備えとしてこの油を注いだのです。その時の状況をヨハネは「家は香油の香りでいっぱいになった」と美しく表現しています。計算高い私たちは、時に人と比較したり、過去と比較したりしながら、最小限にキリストと教会に献げるにはどうしたらよいかと間違ったことを考えます。しかし、そんなクリスチャンには、そんな教会には香りがありません。
先日、教区の先生方の集まりが持たれました。神学院の開校70年と言うことで、先生方と献身の証しを分かち合いましたが、今年暦年50年を迎えられたN先生が最後に、「皆さんにお願いがあります」と前置きされて、「どうぞ福音の香りを失わないでください」とおっしゃいました。いろいろな意味があると思いますが、キリストのために献げ尽くした人にしか醸し出せない福音の香りを大切にしたいと思いました。「いとも良きものをイエスに献げよ。熱き汝が心、若き力を。」

次の日曜日はイースター礼拝です。ぜひお出かけください。

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愛の本質



ヨハネ福音書は21章ありますが、12章からキリストの最後の一週間が始まります。ですから、ヨハネは福音書の半分を費やして、キリストの最後の一週間を記録していることになります。ここにヨハネが本当に伝えたかったことが記されているのです。12章は、11章の続きの記事で、ラザロを囲む食卓でなされた事件から始まります。よく知られたイエスへの油注ぎの物語です。共観福音書にも見られる記事ですが、それぞれシチュエーションが異なります。詳しくは改めて説明します。
3節を御覧ください。「そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」ここで彼女が惜しみなく注いだナルドの香油とは、どれほど高価なものであったのでしょうか。イスカリオテのユダはそれを300デナリオンで売れると見積もっています。1リトラが300グラムほどなので、量は小さいペットボトルくらいということになります。1グラムで1デナリオンということです。1デナリオンは労働者の1日の賃金ですから、300日分の賃金、年収に相当する額と考えられます。仮に1日1万円で計算すれば300万円です。
パンの奇跡の場面を思い出せるでしょうか。イエスと弟子たちが、どうしたら群衆に食物を与えることができるかと話していた時、弟子のフィリポが「200デナリオンのパンがあっても足りない」と答えています。そこにいたのは男だけで5000人、女性や子どもを含めればその倍はいたにちがいありません。すると300デナリオンとなれば、祐に1万人の給食を準備できるほどの額であったということです。それを高く売って、貧しい人に施すことができたと言われても無理からぬことでした。
普通は、香水のように一滴か二滴かをたらして使うものを、彼女は何を血迷ったのか、たった一回で使い切ってしまったのです。マルコでは、壺を「壊して(割って)」と書かれています。その壺というのも、高価なものであったと思われますが、この愚かとさえ思える行為の中に、愛の本質を見ることができるのです。愛は計算しません。損得を考えません。愛は最大限に与え、すべてを与えた後で、もっと与えたいと望むものなのです。

桜がきれいですね。今週も大切なことを大切に。

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民の代わりに死に



イエスの友ラザロの復活について、時間をかけて学んできました。福音記者ヨハネは、随分と長い前置きしながら、復活の場面は簡潔に描き、更にこの奇跡のために、ユダヤの最高法院(わかりやすく言えば国会のようなもの)が招集され、ある決議がなされたという事実を再び紙面を割いて伝えています。
ユダヤの最高法院、サンヘドリンと呼ばれる議会は70名から構成されていましたが、多くはサドカイ派と言われる一派で、エルサレムに住む祭司や富裕層からなる特権階級の人々でした。イエスとの衝突をくり返してきたファリサイ派の人々は、イエスが安息日を無視し、自分を神の子と呼んだことでイエスを憎んでいましたが、サドカイ派の人々は、イエスの言動については、この時まで、ある意味無関心でした。ところが、ラザロの復活のうわさがエルサレムに広まるにつれて危機感を覚え、ファリサイ派と結託することになったのです。
彼らは言います。「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」つまり、このままイエスを放っておけば、ユダヤの議会は民衆に対する指導的な立場を失い、すべてをローマに乗っ取られてしまうかも知れないという懸念を、彼らは抱いていたということです。
そこで発言したのが、この後、キリストの受難劇で大きな役割を果たすことになる「その年」の大祭司カイアファです。ヨハネはここで「その年」という言葉をくり返し使い、「その年」が特別な年であったことを印象づけようとします。「その年」の大祭司がカイアファだったのです。モーセの律法によれば、本来、大祭司という職は終身制でしたが、イエスの時代には、ローマ帝国の支配下にあって、次々と大祭司が代わっています。そのような中、カイアファのしゅうとアンナスの一族が、ローマ政府におもねり、長い間、実権を握っていたのです。アンナスの娘婿であったカイアファは狡猾な人物で、18年その職に就いていました。それは異例の長さでした。
カイアファの言葉です。「あなたがたは何も分かっていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だと考えないのか。」イエス一人を殺し、この国を救おうという彼の提案は、そこに集まり、イエスの問題で手をこまねいていた議会を忖度しての政治的な発言でしたが、誰にとって好都合かというと、「あなたがたに」とってというのですから、それは自己保身によるものでした。彼らが守りたかったのは、彼らの立場であり、既得権だったのです。そこで、ラザロの復活の直後、「その日」イエスの死が決定されました。もう過越祭が近づいていました。ラザロの死と復活は、キリストの死と復活の序曲であったと話してきましたが、ラザロが復活したその日、すでにイエスの死が、議会では決定したのです。
カイアファの言葉ですが、過越祭を目前にして、カイアファは、大祭司の特別な務めのことを思って、このような発言をしたのではないでしょうか。過越祭には全イスラエルを代表して、一年の一度だけ、大祭司が神殿の至聖所に小羊の血を携えて入り、民のために祈りました。一匹の小羊は民の身代わりの犠牲でした。ヘブライ人への手紙には、真の大祭司であるイエス・キリストのことがくり返し記されています。「キリストは・・・動物の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度だけ聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです」と。
やがて、イエスの死を目撃したヨハネは、声を大にして叫びます。「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいまいた。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。」「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
春の京都聖会のロゴス神学院開校70周年記念集会で次のように教えていただきました。「自分には愛がないと思う人は、愛が一番たくさんある所に行き、そこにとどまりなさい。愛が一番たくさんある所、それは十字架です。」
「私の救いの原因である十字架、私を清め神化する十字架、天国の道である十字架、私のすべてである十字架。」
「主はすべてだ。」このひと言に尽きる。

次の日曜日は棕櫚の聖日、受難週に入ります。今年は16日がイースター(復活祭)です。

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十字架とキリスト像



教会暦では次の日曜日が棕櫚の聖日で、その日からキリストの最後の一週間(受難週)が始まります。こんな話しを聞きました。
2003年の8月、ニューヨークにあるホーリークロス教会に泥棒が入りました。泥棒は献金箱と十字架のキリスト像を盗んで行ったそうです。キリスト像は等身大のもので重さが100キロ以上あったのですが、泥棒はキリスト像を十字架から取り外し、十字架を残して、ご像だけを持って行きました。教会のスミス神父は「どうして泥棒が十字架を残し、キリスト像だけを持って行ったのか、私にはわからない。十字架像というものは、キリストと十字架が一つになって、はじめて意味のあるものだから」と語ったそうです。
もしかするとこれは泥棒の話ではないのかもしれません。キリストと十字架が一つであるように、私たちクリスチャンも十字架と一つです。私たちは、キリストを十字架から外して、キリストだけを手に入れようとしてはいないでしょうか。キリストの愛、恵み、祝福、癒しはいただくが、十字架は、試練は、苦難は、犠牲は要らない、そんな態度をとってはいないでしょうか。キリストは言われました。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と。
今年は、「『十字架の黙想・平成版』、これで行こう」と、くり返しお勧めしていますが、受難週を前に、いよいよ深く、この書を学び味わっていただきたいと思っています。『あかしびと』の最新号には、お正月に紹介した老牧師の証しが掲載されていますが、牧師はこの本を読んで、「神は愛であり、愛する者をキリストの似姿に変えようとしてくださっていることがわかった」と記しています。「読書百遍」、どうぞ毎日の聖書通読と併せて、何度も読んでください。
今日は、3日、ゲッセマネの園での出来事が学べます。「ゲッセマネに伏す、主を思いなば・・・、己を捨てて、君に従わん。」

今週も大切なことを大切に。

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墓を背にしたラザロと墓に向かうイエス



ラザロの墓が開かれると、イエスは大声で「ラザロ、出て来なさい」と叫ばれました。イエスの神々しい声が響きました。何が起こったでしょう。「すると死んでいた人が、手と足を布でまかれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、『ほどいてやって、行かせなさい』と言われた。」
そうです。死んで四日もたっていたラザロが墓の中から出て来たのです。11章の初めから始まったラザロの死と葬り、復活の物語ですが、ヨハネは最後、この一節だけにラザロの復活を簡潔に描きました。ある人は、「手と足を布でまかれたままで、どうして出て来ることができたのか」と突っ込むかも知れません。しかし、そのような疑問や詮索は、ここでは無意味です。
一枚の絵を御覧ください。ジオットが描いた「ラザロの蘇生」です。よく見ると鼻を覆う人、布をほどきにかかる人、驚く人、足元にひれ伏すマルタとマリア、それらの群像の中で、イエスとラザロが向き合っています。墓を背にしたラザロと墓に向かうイエス・・・。それはラザロと引き換えに、イエスが墓に葬られることを暗示しているように見えます。
あなたはこの絵のどこに自分を見るでしょうか。イエスはご自分の命と引き換えに、今日もあなたを死から命へと呼び出そうとしておられるのです。第一コリント15章54節、「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。」イエスは言われました。「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、・・・死から命へと移っている。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。」「「ラザロ、出て来なさい。」

明日から4月、新生活が始まる方の上に祝福を祈ります。

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農村の改革者



先日の書きましたが、京都の聖会でメッセージを聞きながら、学生の頃、夢中で読んだ『農村の改革者』という聖人伝のことを思い出しました。アルスの聖司祭ヴィアンネー神父(1786年 –1859年)の伝記です。

フランスのリヨンからほど近いアルスの村は、当時人口わずか230人、60世帯ほどの小さく貧しい村でした。村人の信仰は名ばかりで、決して熱心な信徒ではありませんでした。そんな村に、「あそこの教会には、あまり神の愛がないから、あなたが行って、それを植え付けてやりなさい」と言われ、彼はアルスに赴任したのです。彼がアルスに近づいた頃には、もう日が沈みかけていました。道に迷い、牧童に教えられて、ようやくアルスに入った彼は、人家の屋根が見えてくると、そこにひざまずき祈りました。祈りが終わると、彼はこうつぶやくのです。「この教区は、今に、来る人々が入りきれないようになる。」
しかし、現実は、彼の赴任当初、毎朝のミサにあずかるのは2、3人の婦人だけでした。日曜のミサも、村人は口実をさがして、すぐに欠席し、出席している人々も、堪えがたい退屈の色をあらわし、居眠りをする者、私語をかわす者もいました。説教が終わると、ほとんどの人が新鮮な空気を吸いに、教会を飛び出して行ったと言います。
しかし、神父の不屈の信仰と祈り、努力によって、10年あまりが経ったとき、アルスの村は全く変えられてしまったのです。死んだようなアルスの村がよみがえったのです。そして、ついにフランス中から、いいえ国境を越えて多くの巡礼者が集まって来るようになりました。聖人の足跡を尋ねて巡礼者が集まることはあっても、現在生きている人を尋ねて、巡礼者が集まることは、教会の歴史の中でもまれなことです。ところが、ヴィアンネー神父の存命中、30年に渡って、アルスの聖堂には昼夜人影が絶えることがありませんでした。
その頃の様子を伝えるのが、あの有名なエピソードです。「アルスの聖司祭ヴィアンネー神父の声は、あまりに低かったので、説教のとき、かれの周囲におしよせる群衆には、よくききとれなかった。しかし、人びとには、ヴィアンネ神父のいうことは全然きこえなくても、かれの姿はみえた。神の霊に乗りうつられたような、かれの姿はみえた。彼の姿をひと目みただけで、聴衆はみな感動し、心服し、回心した。アルスの巡礼から帰って来た一人の弁護士に、ある人が、『アルスで、どんな印象を受けましたか』と、たずねてみた。『そうですネ、わたしは、人間のなかに、「神さま」をみましたよ!』これが、弁護士の答えだった。」
主は、アルスの村で起こった、そして、ヨハネ11章のベタニアの村で起こった途轍もない奇跡を、私の住む町にも、あなたの住む町にも起こすことができるのです。あなたはそれを信じますか。

今週も大切なことを大切に。

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