主を待ち望め

感謝礼拝
年末感謝礼拝
メッセージ 「主を待ち望め」 伊藤エリ子先生
聖書 詩編27の13〜14

わたしは信じます。命あるものの地で主の恵みを見ることを。
主を待ち望め。雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め。

一年最後の日曜日、恒例の年末感謝礼拝を主におささげした。一年を振り返り、一人一人辛く悲しい経験もあったと思う、今まさにトンネルを通過している方もある。でも主の恵みを数えるとき、すべてが賛美と感謝に変えられていく。これを祝福と言うのだろう。こちらも恒例となっているが、一年の教会活動の写真をフォトシネマでまとめたものを上映した。こどもたちや若者たちの成長には驚かされる。みんな立派になった。今年はこの一年の恵みをわかちあう、証の時間を持った。打ち合わせも指名もしたわけではないが、三人の男性の方が次々にマイクを握って証をされた。時間が許せばもっと多くの方がマイクを握っただろう。主の恵みのリレーだ。
帰り際に、「今年はOOが感謝でした」と口々に年末の挨拶をしてくださる信徒の皆さんの顔を見ながら、詩編103編を思い出した。
ダビデ詩編の最高峰、スポルジョン曰く、聖なる賛美の山波のモンテ・ローザだ。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(新改訳)。ハレルヤ!ア−メン!

comments(1)  |  trackbacks(0)

edit  top

壊れたオルガン

Christmas Service
クリスマス礼拝
メッセージ 「壊れたオルガン」
聖書 ヨハネによる福音書3の16

クリスマスにプレゼントを交換する習慣は、聖書に由来します。東方の賢者たちが、星に導かれて、長い旅の果てに救い主キリストと出会います。彼らはそれぞれ大切にしていた宝をキリストにささげます。自分たちの気持ちを、その信仰を形にした贈り物です。プレゼントとは物ではなく心です。あれが欲しい、これが欲しいというものを買ってあげれば、それでお仕舞いというのではありません。そこに私たちの気持ちが詰まっていることが大切なことなのです。私たちにそんな思いを届ける贈りものをくれたのは、神様の方でした。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3の16)です。神様からの愛がいっぱいに詰まったプレゼントが届きました。あて先には、あなたの名前が記されています。いまお受け取りください。
今日のメッセージ「壊れたオルガン」については、12月13日のブログを読んでください。壊れたオルガンみたいに、一生懸命に弾いても狂った音しか出て来ない私たちかもしれませんが、クリスマスに神様からの贈り物を受け取るなら、主が新しい歌を歌わせてくださるでしょう。

今日のクリスマス礼拝には、大勢の方がご来会くださり、感謝でした。ステキなプレゼントを受け取って、帰って行かれるみなさんの笑顔が嬉しかったです。

comments(2)  |  trackbacks(0)

edit  top

その時、歴史が動いた

アドベント礼拝(3)
メッセージ 「その時、歴史が動いた」
聖書 ルカによる福音書1の1〜17
ルカによる福音書シリーズ(復習編2)

今年の世相を表す漢字が発表されました。今年は「変わる」、「変」ということです。日本の首相が一年持たずに変わっていること、アメリカの次期大統領のオバマ氏の「CHANGE(変革)」というスローガンも印象的でした。株価の暴落による世界同時不況で世界は激変し、原油の高騰によって私たちの生活も少なからず変わりました。だれもが変わり行く世界を感じ、何かを変えたいと願っているのです。
歴史上最大の変化は、西暦が紀元前と紀元後にわかれた瞬間だと言えるでしょう。それがクリスマスです。「その時、歴史が動いた」のです。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

その子をイエスと名付けなさい

アドベント礼拝(2)
メッセージ 「その子をイエスと名付けなさい」 宮本裕美師
聖書 マタイによる福音書1の21、ルカによる福音書1の26〜38

マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。---マタイ1の21

今日は岐阜教会の聖餐式があり、岐阜で礼拝のご奉仕をさせていただきました。なつかしい皆さんと一緒に幸いなひと時を過ごさせていただいた後、名古屋にとんぼ返りで、21日のクリスマスコンサートに向けて聖歌隊の練習に参加しました。
今年のクリスマス祝賀礼拝は、オープニングにひかりの子聖歌隊のベルと賛美、天使のクラスのごあいさつに続きシエキナ聖歌隊によるミニコンサートです。モダンな伴奏でクリスマスのキャロルをメドレーでお届けします。再来週になりますが、ぜひご来会ください。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

拝啓テオフィロさま

アドベント礼拝(1)
メッセージ 「拝啓テオフィロさま(たいせつな君へ)」
聖書 ルカによる福音書1の1〜4
ルカによる福音書シリーズ(復習編)

今日の礼拝メッセージは昨日の結婚式の話題で始まった。新婦のKさんの証である。「脳梗塞で倒れ、たくさんのことを学びつつ生きているが、感謝していることのひとつは、自分が生きているうちにしなければならないことが漸くわかったことである。それはさらに深く神を知ることであった。私は神をもっと深く知らなければならない。・・・実生活において、私は一人暮らしをし、自立したつもりでいたが、倒れてからは自分ひとりでできることは何もなかった。それで本当の自立とは、周囲の力を借り、感謝して生きることだとわかった。家族が健康で、仕事から帰って来て、一緒に暮らせることの幸せがやっとわかった。あたりまえだったことの幸せが。・・・障害をもって生きることは大変なことだが不幸ではない。だから、病気が起きなければよかったと思わずに来られた。もちろん、わかっていたら防いでいただろうが、得たことはもっと大きかった。以前より、人の気持ちがわかるようになった。感謝を持って一日を始め、感謝を感じつつ過ごし、生きることができる。だれもがこんな体験を得られるわけではないだろう。私に必要なことを、神は教えてくださったのだ。きっとこれからも多くのことを学べるのだろう。」

苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきて(神の愛)を学びました。---詩編119の71新改訳

教会暦では今日から待降節というクリスマスの準備の期間に入りました。年末に向かって慌しい日を送るのでしょうが、落ち着いて良いクリスマスを祝える備えをしたいと思います。

comments(2)  |  trackbacks(0)

edit  top

キリストの名によって

健康感謝礼拝
メッセージ 「キリストの名によって」 伊藤エリ子師
聖書 使徒言行録3の1〜8

ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだした。・・・
・・・あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

すべてを解く鍵

メッセージ 「すべてを解く鍵」
聖書 ルカによる福音書9の18〜27
ルカによる福音書シリーズ(30)

イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
ペトロが答えた。「神からのメシアです。」---ルカ18〜20

ペトロの信仰告白の場面は、福音書のターニングポイントになります。これ以降、キリストはエルサレムへの道、すなわち、十字架の道を立ち止まることなく進んで行かれるからです。「イエスは、天に上げられる時期が近づき、エルサレムに向かう決意を固められた」のです。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

あなたの信仰があなたを救った

救いの証
名古屋宣教大会2008
午前メッセージ 「恐れることはない。ただ信じなさい」
聖書 マルコによる福音書5の21〜24、35〜42

午後メッセージ 「あなたの信仰があなたを救った」
聖書 マルコによる福音書5の25〜34

ついに宣教大会の日を向かえた。祈りの積まれた礼拝堂に教区の先生方と信徒の皆さんが続々と集まって来る。教区合同聖歌隊の力強い歌声が会衆に信仰を与えた。午前の集会では、昨年の宣教大会で救いの恵みにあずかった大学生がその体験を語ってくれた。涙で声を詰まらせるシーンもあり、彼が長いブランクの果てに教会に戻って来た二年前から今日までのことが思い出され、こちらも胸が熱くなった。そして、今年も祝福に満ちた宣教大会となった。最後まで、泣き崩れて祈っていた方が、集会後に「自分ではない声で御名があふれてきた」と安堵した表情で話してくださった言葉が心に残った。主に感謝。まことに「救いは主にあり」だ。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

天を仰いで

11月のオープン礼拝
メッセージ 「天を仰いで」
聖書 ルカによる福音書9の10〜17
ルカによる福音書シリーズ(29)

今日のテキストは四つの福音書のすべてに記されているストーリーです。弟子たちがどうしてもこれだけは伝えたいと願った出来事と言えます。キリストの死と復活を通して誕生した教会は、急成長を遂げていきます。実際、弟子たちの手には負えない規模となりました。そんな時、弟子たちはこの奇跡を思い起こし、主が養ってくださる、不可能を可能としてくださるという信仰を強くし、大きな力と励ましを受けたのでしょう。ですから、私たちも、私たちには大き過ぎる、手に負えないと感じる問題が起こっても、ただ主に信頼し、主に期待しましょう。

今日は礼拝の最後にこども祝福式がもたれました。「ここに大麦のパン五つと二匹の魚を持った少年がいます」と、一人一人に手を置いて祝福の祈りをささげました。礼拝後は、近くの河川敷に移動し、気持ちの良い秋空のもとBBQを楽しみました。準備してくださったみなさん、ありがとうございました。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

グラウンド・ゼロ

メッセージ 「グラウンド・ゼロ」
聖書 ルカによる福音書8の49〜56
ルカによる福音書シリーズ(28)

長血の女性の癒しを挟んで前後するストーリーがあります。会堂長ヤイロの娘の復活です。主のすばらしい癒しの御業も、危篤の娘をかかえ家路を急いでいたヤイロにとっては、ロスタイムとなりました。彼らが道草を食っている間に、ヤイロの家からの使者が悲しい知らせを伝えにやって来ました。「お嬢様は亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。もう手遅れです。」万事休す。ヤイロは奈落の底に突き落とされるように、その場で倒れ伏したにちがいありません。

NYの同時多発テロの標的となった世界貿易センター跡地、9.11の現場が「グラウンド・ゼロ」と呼ばれています。もともとは、核爆弾が投下された爆心地を指す言葉で、広島・長崎の爆心地もグラウンド・ゼロと言います。すべてのものが跡形もなく崩壊し、瓦礫と化した状態、それがグラウンド・ゼロです。
その意味からいえば、一人娘の死は、ヤイロにとってグラウンド・ゼロとなりました。彼の地位も名誉も財産も、そしてキャリアも死という現実の前には何の役にも立たず、彼が大切にしていたすべてのものが、音を立てて崩れ去ってしまいました。ヤイロは娘の命と共にすべてを失ってしまったのです。しかし、憐れみに富む主はそんな人生のグラウンド・ゼロで倒れ伏すヤイロの傍らに寄り添い、声をかけてくださいました。「恐れることはない。ただ信じなさい」と。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
Join me on Facebook Follow me on Twitter Subscribe to RSS Email me