奥義

40th anniversary
今日も記念聖会のメッセージからです。どうすれば神の顔となることができるのか。その答えがこの短いストーリーの中にあります。神を見続けること、朝も昼も夜も、春も夏も秋も冬も。やがて鏡に映すように、神の顔を映し出すでしょう。

アルスの聖者ヴィアンネー神父が好んで用いた逸話です。「ある村に数年前に死んだ敬虔な老農夫があった。彼は毎朝、畑に出かける前に、教会に寄って祈る習慣があったが、ある日、鍬を聖堂の入口においたままで祈りに没頭してしまった。近所で働いていた農夫たちはどうして彼が畑に来ないのかと不思議に思ったが、しばらくして彼がやって来た。農夫たちは尋ねた、『いったい、お前は長いこと、何をしていたのか』と。すると老人は答えた。『私は神を見ていた。神も私を見ておいでになった』と。」ヴィアンネー神父はこの話を終えると、会衆に語りかけた。「彼は神を見、神は彼を見ておいでになった。キリスト教の奥義はこの一言に尽きる」と。

明日は教会暦で棕櫚の聖日。キリストの最後の一週間が始まります。主のご苦難を偲びつつ、礼拝で洗礼式と聖餐式が行われます。祈りをもってお集まりください。

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召命

主の恵みを語るは楽し
記念聖会で語られたモーリス・ズンデルの言葉が心に響く。

私のうちに主の人性の延長が行われ、今日の歴史の中にイエスが現存されるために、私の存在自体が主に浸透されるものとならねばならない。「私にとって生きるのはイエス・キリストである。」キリスト者のすべての完全さはそこにある。・・・キリスト者の召命は神の顔となること。教会とは私たちであって、自分が生きた福音となる責任を感じながら、一人一人が他の人々にとって神の顔となるように努めるなら、今日の世界には喜びがあるであろう。人が救われるのは説教によってではなく、現存によってである。そしてこの現存は人間の顔をとおしてしか現れない。
---「沈黙を聴く」現代の神秘家 モーリス・ズンデルの人と霊性

40年前の献堂聖会では「神の傑作」というメッセージが語られ、今回は「神の顔」というメッセージが語られた。主の不思議な導きを感じた。名匠は作品に名を残すもの。その名に恥じぬように、神の作品として生きたい。神の顔となれますように。
今回、献堂当時から教会を支えてくださった方々に、いろいろな形で聖会や祝賀式典に携わっていただいた。礼拝では40年の歴史をふり返って証もしていただいた。その時その時、教会の必要のために犠牲を払い、また牧師とその家族のことを気遣い、祈り支えてくださる信徒の存在があったことを改めて知らされ、感謝の思いでいっぱいになった。教会とはそういう場所だ。

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責任

顔
「40歳になれば人は自分の顔に責任を持たなければならない。」
献堂40周年の記念聖会でアメリカ合衆国第16第大統領アブラハム・リンカーンのこの言葉が引用された。この有名な言葉がいつ語られたのか。諸説があるようだが、こんなエピソードが紹介された。ある側近から、閣僚候補としてひとりの人物が大統領のもとに連れて来られた。ところが、面談の結果、彼の顔が気にいらないという理由で推薦を断ったそうだ。側近は「大統領、それはアンフェアだ。本人の顔には責任ないでしょう」と反論した。そこでリンカーン曰く「男も40歳を越えたら自分の顔に責任を持たねばならない」と側近を諭したということだ。
顔に刻まれた履歴書、年輪ともいうべきものが、その人自身を物語るということだろう。孔子は「40にして惑わず」とも言ったが、献堂40周年、迷うことなく、その顔で神を証する教会となりたいと願う。
記念誌に載せるのにこんな作品を作った。タイトルを付けるとするなら「顔」だろうか。いろんな形、いろんな輝きがある。それが教会というものだ。

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荒れ野

献堂40周年記念聖会
神は苦労の多かった40年の荒れ野の旅を終え、約束の地に入って行くイスラエルの民に仰せになりました。「あなたの神、主が導かれた40年の荒れ野の旅を思い起こしなさい」(申命8の2)と。
「荒れ野」と聞くと、だれもが辛くて暗い印象を受けると思います。実際、イスラエルの歴史をふり返って見ても、民は荒れ野で試みを受け、くり返し主につぶやき、不信仰の罠に陥りました。しかし、神にとって荒れ野はイスラエルの民と出会い、彼らに語りかけることができる特別な場所でした。神は、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって荒れ野を旅する間、彼らを守り導き、彼らは連日主の奇跡をその目で見ました。かくして、神以外の何ものも頼ることのできない荒れ野こそ、彼らの信仰の原点となったのです。だから主は「あなたの神、主が導かれた40年の荒れ野の旅を思い起こしなさい」と仰せになったのです。
私たちもこの40年という教会の歴史をふり返り、神の恵み深さを心に刻むと共に、信仰の原点に立ち帰らせていただき、そこから再出発したいと願います。40年の荒れ野の旅、それは奇跡の連続でした。そして、その最大の奇跡は、今日という日に、わたしがここにいるということなのです。

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意義

デコチョコです。
聖会の感想文を読み、感謝の思いでいっぱいです。ユースのメンバーもそれぞれに歴史の重みを感じ、それを継承する責任を感じてくれたようです。今回、午前と午後の聖会の後に記念式典や祝賀会のようなものを短い時間でしたが持ちました。集会で霊的な恵みをいっぱいいただくと共に、老いも若きも、子どもたちまで、みんなで献堂40周年を喜び祝うというのがコンセプトでした。過去を知る人だけが、それを懐かしむと言うのでは足りません。次の世代を担うメンバーが、教会の歴史を感じ、その歴史を自分たちも、主と共に作り出していくという自覚こそ、献堂40周年の意義だと思ったからです。
少々やり過ぎた演出もあったかも知れませんが、集会後みんなが「良かった」「楽しかった」「素晴らしかった」と言ってくださり、嬉しく思いました。若い人たちや子どもたちからは、「またやりたい」「次はいつ」とか、「次の40周年は」とまで話題が膨らみ、時間をかけて準備させてもらった者としては、報いられた気持ちになりました。
今日の一枚は、子どもたちとユース用に作った献堂40周年オリジナルのデコチョコです。みなさんの教会でも作ってみませんか。

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