ハクソー・リッジ



今年度、アカデミー賞2部門を受賞したメル・ギブソン監督の「ハクソー・リッジ」という映画が、日本でも公開されています。第2次世界大戦末期、激戦となった沖縄のハクソー・リッジの戦いで、戦場の常識を覆した一人のクリスチャンがいたという実話です。主人公はデズモンド・ドスは、志願して軍隊に身を投じますが、少年時代にある出来事を通して心に刻まれた「汝、殺すなかれ」という聖書の言葉を、強い信念を持って貫き、武器を取らず、負傷兵を助ける衛生兵として戦地に赴きます。
ハクソー・リッジ(のこぎりの崖)とは、日本の司令部があった首里から北に3キロ、150メートルにも及ぶ断崖絶壁の「前田高地」と呼ばれる場所に米軍が付けた名前です。1945年5月、ハクソー・リッジで激しい攻防がくり広げられました。日本軍の決死の総攻撃を受け、多くの死傷者を出した米軍は退却を余儀なくされますが、デズモンド・ドスは、銃弾が飛びかう中、そこに倒れている負傷兵を助けるため戦地を走り続けます。
彼は断崖絶壁から、一人ずつ抱きかかえるようにして負傷兵を下に降ろし、一人が終わるとまた一人を、敵味方の区別なく、なんと一晩のうちに、75人の命を救ったというのです。彼は、何度も口ずさむように言います。「Please Lord, help me get one more. Help me get one more(どうぞ主よ、私にもう一人助けさせてください。あと一人救わせてください)」と。
最後は、自分も手榴弾を受けて重傷を負い、スナイパーに腕を撃ち抜かれながら、ついに75人の命を救ったデズモンド・ドス。彼は自分が英雄にされることを望まず、2006年に87歳で亡くなるまで、物語が作品化されることを拒否しますが、10年を経て、彼の物語が公にされました。
神は、私たちがこの地上での戦いに疲れ果て、傷つき倒れ、置き去りにされているのをご覧になって、どうしてもあの一人を救い助けたいと、この世界に飛び込んで来られ、私たちのところまで走って来られました。
イエスは叫んで、こう言われました。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく、わたしを遣わされた方を信じるのである。わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たのである。」

梅雨も明け、こどもたちは夏休みに。
夏休みも大切なことを大切に。

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天国からの奇跡



京都の聖会を終えて、名古屋に戻りました。
行きも帰りもひどい渋滞でしたが、車中で映画を何本か観ました。
「天国からの奇跡」は昨年、話題になった映画です。
娘の難病から神を信じられなくなった母親クリスティが、
奇跡の木となる老木にすがって「主の祈り」を祈り始めると、
家族が、そこにいた人々がその祈りに和していきました。
そして奇跡が起こるのです。

クリスティの証しです。
「アインシュタインが言うには、人生に道は2つ。
ひとつは、奇跡など存在しないと思う道。
もうひとつは、すべてが奇跡だと思う道です。
正直、私は今まで奇跡など存在しないと思ってきたので、
多くを見逃しました。奇跡はどこにでもあります。
奇跡とは優しさ。奇跡とは愛・・・。
神は奇跡を通して教えてくれています。
そばにいると。」

名古屋教会で仕える新しい一年がスタートします。
天国からの奇跡をたくさん発見する一年でありますように。
今週も大切なことを大切に。

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War Room



御殿場の行き帰り、新幹線の中で「War Room」という映画を見ました。昨年の夏、全米で興行ランキングで一位となり、話題になった作品です。戦争映画ではなく、ジョージア州にあるバプテスト教会が製作した祈りをテーマにした映画です。この映画を作った教会は、日本でも知られている「Facing the Giants」や「Fireproof」を制作しており、監督は教会の副牧師とか。「War Room」は、今年の夏「祈りのちから」という題で日本でも上映されることが決まっています。楽しみですね。

自宅のクローゼットを祈りの司令室(War Room)としている老婦人クララとの出会いが、崩壊寸前だったあるトニーとエリザベスの家庭を救うというストーリー。クララの力強い祈りに心が揺さぶられました。彼女がエリザベスに語ります。

神にしかできないことは、神にお願いしなさい。
あなたが下がって、神さまの出番よ。
あなたがするのは祈りの闘いよ。

今週も大切なことを大切に。

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星の旅人たち



先週紹介した世界遺産スペインのサンディアゴへの巡礼が映画にもなっているのをご存知ですか?
何作かあるようですが、「星の旅人たち(The Way)」は最近の作品です。
人生は自分探しの巡礼の旅。今週も天の故郷をめざし、聖書というマップを持って旅しましょう。

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The Bridge




桜も咲き始めているようで、もう春ですね。

教会学校の生徒だったころ、何度も聞いた物語が映像化されていました。
神の愛を伝える物語です。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

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神様からのラブソング




次の礼拝用に、先日のコンサートを7分ほどにまとめてみました。お世辞にも上手とは言えませんが、祈ってくださったみなさんにお裾分けです。昨日、届いたコンサートの感想に目を通していると、「神様からのラブソングが聞こえてきた」と書かれているものがあり、感激しました。お気に入りの曲にコメント付け、聖歌隊へのメッセージを寄せてくださっている方も多く、ありがたかったです。S.D.G.

さて、今日から子どもたちは夏休みに突入。教会の夏休みプログラムも目白押し、神様と出会う夏が始まります。

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神が走ったとき




7月のぶどう樹を書かせていただきましたが、記事を読まれた方々から、「感動した」というメールをたくさんいただいています。一人でも多くの方に読んでいただきたいと願っています。今日はぶどう樹で紹介せていただいたバルセロナ五輪、レドモンド親子の感動のゴールシーンです。どうぞ、ご覧ください。

◆失速
忘れられないオリンピックの一場面があります。
一九九二年、スペインのバルセロナで開催されたオリンピックの男子四百メートル準決勝。号砲一発、快調に第一歩を踏み出したイギリス代表デレク・レドモンドを悲劇が襲います。ここまでの予選をトップで通過していた優勝候補はバックストレッチで突然失速し、背中を丸めてうずくまってしまいました。古傷の右太もも裏の肉離れでした。
かたわらを、他の走者が走り去って行きます。コースに一人残されたデレクは、やがて苦渋の表情を浮かべながら、自力で立ち上がると、左足だけではねるようにゴールをめざしました。これまでいくども大きな試練を乗り越えてつかんだ夢舞台を、彼はそう簡単にあきらめることができなかったのです。
◆最も栄光あるゴール
と、その時、観客席から一人の大柄な男がデレクに走り寄ります。彼は、どんなことがあってもレースを走り終えようとするデレクを抱きかかえ、二人でゴールをめざしました。男の名はジム・レドモンド、デレクの父親です。
「もういいんだよ」、父は泣き崩れる息子に言いました。
「僕は最後まで走りたい」とデレクは答えます。
「それなら、二人でゴールをめざそう。」
父は息子を抱きかかけるようにトラックを一緒に走りはじめました。スタジアムの大観衆が総立ちで、二人のゴールを祝福しました。その日のデレクのタイムは記録には残りませんでしたが、その光景を見た人々の心に二人の姿は深い感動と共に焼き付けられました。タイムマガジン誌は、「オリンピックの歴史の中で、最も栄光あるゴールであった」と、その日の出来事を評しています。
◆聖書の物語
ところで、聖書の中にも、ゴール目前で倒れ、足を引きずる息子に向かって走り出す父の物語があるのをご存知ですか。イエス・キリストが語られた「放蕩息子」の物語です。自分の夢を追いかけ、家を飛び出した放蕩息子が、泥まみれの姿で父の家に戻ってくる場面です。
聖書は「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」と、躍動する父の姿を生き生きと描いています。当時の父親にとって「走る」という行為は沽券にかかわる行為で、タブーとされていたにもかかわらず、父は泥まみれになった息子をめざして一目散に走ったのです。父に抱きかかえられ、ゴールであるわが家に向かう放蕩息子…。レドモンド親子の会話が聞こえてきそうです。
◆神が走ったとき
ある神学者が、この場面を「神が走ったとき(When God ran)」という言葉で解説し、夢が破れ、放蕩息子のように倒れ伏すわたしたちのために、なりふりかまわずに走り、抱きかかえてくれる父なる神の愛を教えています。この物語が「福音中の福音」と呼ばれる理由です。
さあ、わたしたちがめざす本当のゴールに向かって、いま歩き始めましょう。ほら、もう神が走り出しています。
「神は愛なり!」

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十戒




出エジプトのストーリーを描いたスペクタクル巨編、セシル・デミル監督、チャールトン・ヘストン主演の映画「十戒」を年末に購入したDVDで見ている。
映像も美しく、物語から再発見することも多く、感動を新にしている。次の礼拝で少し紹介したいと思う。
映画の始めに、緞帳から出てきた監督が映画についてこんな解説をするシーンがある。

観客の皆さん
上映の前にお話しするのは異例ですが、この映画はモーゼによる自由の誕生です。
聖書にはモーゼの生涯の中間部がありません。
幼子の彼が捨てられて、ファラオの娘に拾われ育てられた時から、
自分の出生の秘密を知るまでの期間です。
この空間を埋めるのは、古代の歴史家フイロンやヨセフスの著作です。
フイロンはキリストと同時代の人で ヨセフスは50年後、ローマ人によるエルサレムの破壊を見た人です。
彼らは大昔の聖書である死海文書を読むことができた人たちです。
人間を治めるのは神の律法であるべきか、それとも独裁者の意のままか?
国民は国の所有物か、それとも自由か?
これは今でも争われている問題です。
我々は創作を意図とせず、三千年来の尊い伝えに忠実であろうと努めました。

ヨハネ会のみなさんも、ぜひ冬休みの間に「十戒」を見てくださいね。きっと聖書の世界を豊かにしてくれるでしょう。

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計画




Jeremiah 29:11 (NIV)

“For I know the plans
I have for you,”
declares the LORD,
“plans to prosper you
and not to harm you,
plans to give you
hope and a future.



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ジャングルの殉教者



今月の教区の先生方の集まりが名古屋でもたれました。月に一度の大切な時間です。
今日は午前中を映画鑑賞会にして「The End of Spear」という映画を見ました。「Spear」とは槍のことですが、今から55年前にエクアドルで起きた宣教師たちの死から始まる感動のストーリーで「ジャングルの殉教者」として知られている実話です。日本では未公開の映画ですが、あらましはこんな感じです。

うっそうと繁るエクアドル東部ジャングル。そこには蛮族のなかで最もどう猛 といわれるワオラニ族が住んでいます。彼らに「神の愛のメッセージ」を伝え ようと5人の青年宣教師が立ち上がりました。最初は小型機で空から呼びかけ ながら物資を投下するなどして友好関係を結んだのですが、クラライ川沿いに 砂地をみつけて着陸してまもなく、ジャングルの茂みから突如襲ってきたワオ ラニ族の毒槍に5人とも倒れます。今から50年前、1956年1月8日の出 来事でした。この衝撃的なニュースはただちにHCJB放送局から短波にのせて全 世界に伝えられ、もうだれの目にもワオラニ伝道作戦は失敗に終わったとしか 映りませんでした。あれから半世紀、殉教した宣教師物語が後日談をふくめて映画化され、アメリカ全土の映画館で上映されることになりました。

この映画は、小型機のパイロットNate Saintの長男で当時8歳だったSteve の回想ナレーションでストーリーで展開します。宣教師たちが毒槍で殺されたあと、Nateの実姉Rachelや宣教師未亡人のElizabeth ElliotとMarj Saintが子供たちを連れてワオラニ部落に入り、夫を殺した本人やその家族といっしょに住 みはじめます。ワオラニ族は宣教師家族と寝食をともにすることで、自分たちの「殺さなければ殺される」報復の生き方ではなく、「ゆるし」による愛と喜びの生活があることに気づくのです。彼らの目には、あの日、毒槍に囲まれな がらピストルを上に向けて発射した宣教師たちの最期の姿がしっかりとやきついていました。ポリオ(小児麻痺)がジャングルを襲ったとき、ワオラニ族が仇敵に救いの手を差しのべたことから、部族間の冷えきっていた関係が氷解、毒をぬられた長い槍は彼ら自らの手で折られます。

映画のラストは、Steveが父親を殺したワオラニ族とクラライ川で再会する劇的シーンです。「父親を殺した張本人の俺を殺したいだろ。さあ、この槍で突け!俺がいのちを奪ったのだ!」そのときSteveは、その槍をかまえて相手 に突きつけながらこう叫びます。「父はあなたにいのちを奪われたのではない。そのいのちを与えたのだ!」殉教者の血で染まったクラライ川の水は、ワオラニ族に洗礼をさずける水となり、さらに、父親を殺された子供たちも、 同じ川の水で、ワオラニ族から洗礼をうけるのです。HCJB番組に出演した Elizabethさんはこう語りました。「神は、無限で、測り知れない方で、その方のなさることを私たちは頭で理解することなど出来ません。私たちにできることは、その方を信頼することだけです。神が私たちになさることは、神ご自身がすべてをご存知だからです。」クラライ川は、悲しみも喜びも川面にたたえながら静かに流れていきます。秘境に散った5人のいのちは、憎しみを愛に、争いを平和に変えました。神の愛を知った今、熱帯雨林には無謀な殺し合いの恐れから解放されたワオラニ族の明るい賛美がこだまし、草葺きの家からは感謝の祈りやあどけない孫たちの元気な笑い声がきかれるようになったのです。

ショッキングなシーンも多いですが、宣教の真実を突きつけられるような感動の作品です。父NateとSteveとの最後のやり取りです。
「お父さん、ワオラニ族が攻撃したらどうするの?鉄砲は撃つよね。」
「僕たちはワオラニ族に鉄砲は撃てないよ。なぜなら、彼らは僕たちのように天国に入る準備がまだできていないのだから。」

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