暖かさ



木曜日であった。空はねずみ色であった。・・・
神父は私に声をかけてくれた。ぼたん雪が降っていた。

「あなたは少年時代から、キリスト者の生活の目的とは何かということを探し求めてきた。・・・
今、あなたにその真の目的を教えてあげる。・・・
キリスト者の生活の真の目的は、聖霊を獲得することである。・・・」
その時、セラフィーム神父は私の肩を固くつかんで、言った。
「我々は聖霊の充満の中に居る。・・・」
セラフィーム神父は聞いた。「今、何を感じるか」
「最高に『良い』気分です。」 
「また、何を感じるか。」
「不思議な甘美さを。」
「また、何を感じているのか。」
「心の中で非常な喜びを。」
「また何を感じるか。」
「非常な暖かさを。」
「何?暖かさを?私たちは今、森林の中に居て、冬の最中ではないのか。
雪は私たちの足元にあるし、降り続けて、私たちを覆っている。
どのような暖かさなのだろうか。」
「サウナに入浴するときのような暖かさ。」
「神の友よ、・・・足元の雪、私たちを覆う雪を見てごらんなさい。
全然溶けない。暖かさは大気中にあるのではなく、私たちの内にあるから。
『あなたの聖霊は私たちを暖めますように』という祈りの中で、
聖霊はその暖かさを求めさせるのである。
この暖かさは男女の隠遁者たちを冬の寒さから守り、
聖霊によって織られた服をまとわせたかのようであった。
聖霊は私たちを照らし暖め、言いようのない喜びで私たちを満足させるのである。
神の友よ、我々は聖霊の充満の中に居る。」
(「サーロフの聖セラフィーム」モトヴィーロフとの話し合い抜粋)

あなたの聖霊は私たちを暖めますように。

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Aging with Grace



教会では、今週の礼拝で敬老の日のお祝いができませんでしたので、次の日曜日に礼拝に来てくださっているみなさまに小さなプレゼントをお渡しします。礼拝に通えない方のところには、昨日もプレゼントを届けてくださった方がありましたが、こちらからお届けします。喜んでいただけたら嬉しいです。
さて、アルツハイマー型認知症の原因を解明する研究に、死後の検脳も含めて協力した678人のシスターたちの日々を綴った「100歳の美しい脳」という本があります。原題は、「Aging with Grace(神の恵みによって、年齢を重ねる)」となっていますが、素敵な言葉です。神の恵みにあふれ、すこやかに、美しく年齢を重ねていきましょう。

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海はどのように深くても かならず海底がある
苦しみや悲しみはどのように深刻でも 時間という海底がある
微笑みという すばらしい珊瑚礁がある
祈りという 無限に浸透する光がある
---河野進

河野先生の詩にはいつも慰められます。
今日は海の日です。
海は好きですか? 私は好きです。
海よりも広くて深い神様の愛の中に潜り込み、
そのディープな世界を楽しみましょう。
もっと深く、もっと深く。

今週も大切なことを大切に。

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つみびと



花の詩画集で知られている星野富弘さん。群馬県の東村(現・みどり市)にある富弘美術館は今年で開館25周年を迎え、その記念「あの時から空がかわった」という新しい詩画集が出ました。今回も素敵な詩画とエッセイでいっぱいです。

タチアオイの絵は「つみびと」という題が付けられ、星野さんらしいユーモアにあふれた詩です。

むかし罪人だったというあなた、
今も相変わらずつみびとなんですね。
毎日毎日、目に見えない宝を天に積み上げている、
すばらしい積み人です。
 

ツルバラの絵は「当てはずれ」という題です。

あなたは私が考えていたような方ではなかった。
あなたは私が想っていた方からは来なかった。
私が願ったようにはしてくれなかった。
しかし、あなたは私が望んだ何倍ものことをしてくださった。


星野さんは、大学卒業後、夢に胸を膨らませて中学の体育の教師になりました。教師になってまだ2ヶ月、放課後のクラブ活動中に、前方宙返りで着地に失敗、頸椎損傷で首から下が動かなくなってしまいました。9年の病院生活の後、不治のまま退院。病院生活中に、信仰に導かれ、また口で筆をくわえ、字を書いたり、絵を描いたりするようになりました。生涯車いす生活は、当てが外れたということだったでしょうか。信仰に導かれ、癒されたいという思いもあったことでしょう。でも「願ったようにはしてくれなかった。」この一文に秘められた思いを想像して、ため息が出ました。それでも「望んだ何倍ものことをしてくださった」と神の恵みを噛みしめる姿に心を打たれます。先日、いま闘病中の教会員がこの「当てはずれ」という詩を何度も読み返し励ましを得ていると話してくれました。神様が考えていたような方で、想っていた方から来られ、願ったようにしてくれていたら、わからない世界を経験しておられるのだと思いました。
今週も大切なことを大切に。毎日毎日、目に見えない宝を天に積み上げましょう。救われた積み人として。

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家に入ること



今朝、礼拝堂に入ると春の聖会の余韻がのこっているのを感じました。
昨日のメッセージで、こんな話しを聞きました。神癒で用いられていた先生の言葉だそうです。

あなたの肉親が死にかけているとき、医者を呼んでおいて、来てくれたときには家に入ることを拒みはしないであろう。ふろ場の蛇口が壊れたので水道屋を呼んで直してもらおうとするとき、仕事をしてもらうためにその人が家に入ることを許すだろう。そのようにキリストに癒しを求めるとき、癒すお方をあなたの生活の中にお入れしなければならないのである。

救いとは、キリスト教という宗教を迎え入れることではなく、真実な神であり、永遠の命であるキリストご自身を、自分の家に迎え入れることなのです。

今週もこのお方を私たちの家に、奥の部屋に、私たちの生活のあらゆる場面に、お迎えしましょう。
今週も大切なことを大切に。

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方法に窮する勿れ



先日も書いたNHKの連続テレビ小説「あさが来た」で話題の広岡浅子さんが書かれた文章を読みました。彼女がクリスチャンになった後、九転十起生というペンネームで一年に渡りある週刊誌に寄稿した「一週一信」という文章です。改革の根源はクリスチャンの覚醒にかかっていることを痛感した彼女は、教会と信徒に向かって弾丸のような言葉を投じました。「方法に窮する勿れ」という一文を紹介します。少し言い回しが難しく感じられるかもしれませんが、ゆっくり味わってください。

今日のキリスト教会が割合に発達しないということの原因はどこにあるのであろうか。
もしも自分の見るところを言うことを許してもらうならばこう言いたい。我々銘々の人格品性が、今一段神の霊に満たされないということに帰省すると思う。言葉を換えていうならば、我らが神を憧憬し、救い主の十字架の意義をモット明瞭と自覚せないためであると思う。それ故に多くの場合我らはいかなる工風をもって伝道しよう。いかなる方法をもって人を救おうということの詮議が余りに多過ぎることになる。もちろん今日の場合、これを見逃すことはできないのであるが、まず第一にすべきは個々銘々が充たされることである。
私の考えることは、使徒行伝3章に示されてある足なえが立って歩んだという記事のところに、ペテロが「金銀は我になし、ただわれに有るものを汝に与う、ナザレのイエス・キリストの名により起ちて歩め」云々というところと、4章の34節に「その中一人も窮乏者(ともしきもの)なかりき。その地所あるいは家を有(もて)る者は、それを売りてその売りし所の値を持ち来たり、使徒らの足下に置く、これを各々の用に従いて分け与えしが故なり」云々とあるところの精神は、今日の教会に欠いている心ではあるまいかと思う。経済思想の発達した今日から見るならば、馬鹿らしいことのように見ゆるかも知れないが、しかしこの偉大なる精神は今日の我らの深く記憶に止めなければならないところである。我らはペテロの如く「ナザレのイエス」を我が懐に持つことによって、初めて伝道心もできれば、またそれに従って方法や金銭は与えらるることを信じて疑わない。我らは決して使徒行伝のこの記事を幼稚なる昔の事と思うことはできない。神に充たされることによって、我らは方法を与えらるるのである。
・・・要するに我らが神の霊に充たされるかどうかという問題に帰着する。それさえできておれば、起つ時には必ず与えられて余りある事業ができる。・・・今日伝道が思わしくないとか、教会が発展しないとかいうことを聞くのは、方法を先にし、苦心の第一に金銭を置くようなことが大分にその原因をなしてはいまいか。我らは方法を第二とし、モット霊的充実のために大いなる苦心をなす必要はないか。

今日は午前中、松阪での聖書講座、午後から聖歌隊の有志が京都へ行きます。

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説明書



昨日、京都から名古屋に戻り、編集を担当しているデボーションガイドの2016年版第2巻を仕上げ、今日無事に入稿しました。いつもご利用いただいているみなさん、続けてご愛用ください。まだ使っていない方は、各教会までお問い合わせください。
最近読んでいる「早起きクリスチャンの祝福」という本にこんなことが書かれていました。

聖日説教の時間にみことばを聞くだけでは、神様のみことばと私の人生を結びつけることができない。神様は聖書を通して、ご自身のことだけでなく、人間の存在のすべてのことについて語っておられる。ある面では、聖書は神様が造られた「人間」という存在に対する説明書のようなものだ。だから、聖書を理解するということは、私たちの人生に対する総体的な報告書に出会うようなものだ。
人生、どこに向かっていけばいいのかわからない人がいるなら、今からでも聖書を学んでみてほしい。・・・学んでいるうちに、聖書の感動によって神様という存在が胸に迫ってくる瞬間があるだろう。神様のみことばが、車のハンドルのように、人生を導いてくれる瞬間があるだろう。

今週も大切なことを大切に。

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あさが来た



先日訪れた御殿場は、「あさが来た」で話題の広岡浅子さんのゆかりの地です。彼女は60歳を過ぎて信仰に導かれクリスチャンとなりますが、その後、御殿場の別荘で日本女子大学の学生を中心に夏期勉強会を主催し、女性の活躍できる社会を築くために尽力します。その中に市川房枝さんや村岡花子さんがいたことは有名です。
60歳の時、乳がんを患って手術をしたことが信仰に導かれるきっかけとなるのですが、手術を終え目覚めたときの心境を彼女はこう語っています。「私はこの時、『天はなほ何をかせよと自分に命を貸したのであらう』と感じて、嬉しいと云うよりは非常に責任の重いことを悟りました。其の後私は萬事を全く天に任せその刹那に感じた偉大な力を再び味ひたいと試みつつ、或いはこれが人の云う神ではなからうかと、絶えず憧憬しておりました。」
やがて教会に導かれた浅子でしたが、ある時、軽井沢で神に触れられる経験をし号泣したと言います。親と死に別れても、夫と死に別れても泣くことのできなかった浅子にとって、自分でも信じられない経験となり、神が存在することが疑う余地の無いものとなりました。「自分は汚れ多き未熟な身なので」と洗礼を受けることを躊躇していた浅子でしたが、62歳となったクリスマスの日、日曜学校の生徒に混じって洗礼を受けることになりました。その日、牧師は浅子のためにこう祈ります。「この老婦人は家のために国の事業のために苦心奮闘を続けて来ました。しかしそれらは世の中のことであり、60歳になり彼女は神の道を知り、残る人生を神にささげる決心をし、今日洗礼を授けることになりましたことをありがたく、感謝します」と。牧師の祈りの声が教会堂に響き、言いしれぬ感動に打たれたと浅子は記しています。百戦錬磨の浅子でしたが、この時、子どもたちに混ざり、初々しいクリスチャン浅子として生まれ変わったのです。そしてあさにまた新しい朝が来ました。
そう言えば、昨日の放送に知り合いが出演していました。びっくりポンです。

次の日曜日は、3月のオープン礼拝です。ぜひお出かけください。

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聖書を開くなら



読書の秋。

教会ではデボーションガイド(ロゴス社発刊)を使って聖書通読することを勧めています。
読み始めたその日から3年で、旧約聖書を1回、新約聖書を2回読むことができます。
新シリーズも2サイクル目に入っていますが、先日、来年の第1巻の最終原稿を入稿しました。
聖イエス会のメンバーで、まだ使っていない方はぜひ各教会でお求めください。
夫婦で、家族で、友だちやグループで、教会ぐるみでご利用くださると感謝です。

あなたが聖書を閉ざすなら、神は口を閉ざされます。
あなたが聖書を開くなら、神は口を開いて語られます。

昨日紹介した沖佐々木もとさんの言葉を思い出します。
「神様のお話(お言葉)は、心で聞くものです。」

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前夜



ある祈りの本から。

牢に閉じ込められていたペトロのために教会が祈ったとき、
その祈りが答えられたのはいつだったでしょうか。
「ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜」でした。
祈りがいつ答えられるかについて悩まないでください。
私たちの時には答えられません。神の時に答えられるのです。
私たちの祈りの答えは、私たちが予想もしていない「前夜」に訪れます。
イスラエルの民はエリコの町を何周したでしょうか。
6周目までは何も起こりませんでした。
7周目をまわったとき、奇跡が起こりました。
目に見えるしるしもなく、祈った通りに答えられないとしても、
心配しないでください。
祈りの答えは「前夜」になされるからです。
ナアマン大将がヨルダン川に6度入ったときまでは、いやされませんでした。
7度目にヨルダン川に入ったときに、重い皮膚病はいやされました。
エリヤが6度祈ったときまでは、空には何の変化もありませんでした。
7度目に祈りはじめたときに、雲が現れ、彼は大雨の音を聞きました。
ペトロはその前夜、どのような状況にいたでしょうか。
二人の兵士の間で寝ていました。
ペトロは逃げられないように二本の鎖でつながれ、
二人の兵士が隣で番をしていました。
外にはだれがいたでしょうか。番兵たちが戸口で牢の監視をしていました。
これらはペトロが脱出することは絶対に不可能だったということを意味しています。
神は私たちに奇跡を体験させるために、時には逃げ場もない状況に私たちを置かれます。
そして、人の手や世の方法ではなく、神の方法での問題解決を経験させてくださいます。
不可能な状況のせいで挫折しないでください。
寄りかかる壁がないからと言って涙を流さないでください。
進展がないからといって悩まないでください。
あなたの計画に合わないからといって、絶望したりあきらめたりしないでください。
私たちが信じて祈るなら、神が神の時に働いてくださいます。
私たちが祈り、待つならば、神が「前夜」に答えてくださいます。

世界を変えるリバイバルの前夜を待ち望みつつ。

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