一つの祝福された出会いから

今日の祈祷会は、京都での新年聖会から、T牧師の証の部分をDVDでご覧いただきました。
「すべては一つの祝福された出会いから始まった」と語られる言葉が心に響きました。
いま私たちが見ていることの始まりを忘れないようにしたい。
そして、その始まりに立っていた人が見ることのできなかったことを、私たちは見ようとしている。
私たちの目は何と幸いだろう。

今日の御言葉はイザヤ書の62章から。

62:6 エルサレムよ、あなたの城壁の上に、わたしは見張りを置く。
昼も夜も決して黙してはならない。主に思い起こしていただく役目の者よ、決して沈黙してはならない。
62:7 また、主の沈黙を招いてはならない。
主が再建に取りかかり、エルサレムを全地の栄誉としてくださるまでは。

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神の山に来た

今日で今年最後の木曜祈祷会。毎週、木曜日の祈祷会を大切にしてくださったみなさんに感謝です。
今日は今年の始めに与えられた指導メッセージからお勧めをいただきました。御言葉は出エジプト記の3章からです。

3:1 モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。

3:4 主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると・・・

3:11 モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」

「叶えられた祈りがあり、神の前に積まれた祈りもある。しかし、捨てられた祈りは一つもない」と語られましたが、ほんとうにそうだと思いました。


年末年始の案内
12月30日(日)午前10:30 年末感謝礼拝
1月1日(火)午前10:30 元旦礼拝
1月6日(日)午前10:30 オープン礼拝

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待降節の黙想

先週に続き、今日の祈祷会も待降節の黙想会ということで、クリスマスの意味と目的について考えてみました。
御言葉はガラテヤの信徒への手紙4章から。

4:4 しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。
4:5 それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。

詳訳聖書ではこう訳されています。
4:4 けれども定められた時がいよいよ到来した時、神はご自分のみ子をおつかわしになり、その〔み子〕は女によってお生まれになったかた、また律法〔の規定〕に服従する者としてお生まれになったかたでした。
4:5 それは律法の下に服従していた人々のために自由を買い取る〈身のしろ金を払う、買い戻す、贖う〉ためで、こうして私たちが子とされる〈この身分を授けられる〈〔神の〕子たちと認められる〉ためでした。


いよいよこころ躍る3日間 ☆☆☆ 
12月23日(日)午前11時 クリスマス祝賀礼拝
 聖歌隊による聖誕歌劇「あの夜のように」を中心に賛美と祈りとメッセージ。
 礼拝に続いて、パーティーと祝会(子どもたちによる寸劇、Youth?、サンタ?、ビンゴ!etc..)
12月24日(月祝)午後7時30分 イブ礼拝
 DVDによる美しい映像と音楽のイブの夕べ
12月25日(火)午前10時30分 こどもクリスマス会
 地域のお友だちと祝うクリスマス。

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キリストは世に来られたときに

今日は祈祷会、今週と来週は待降節の黙想会です。御言葉をシェアします。ヘブライ人への手紙10章からです。

10:5 それで、キリストは世に来られたときに、次のように言われたのです。
「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、むしろ、わたしのために体を備えてくださいました。
10:6 あなたは、焼き尽くす献げ物や罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。
10:7 そこで、わたしは言いました。『御覧ください。わたしは来ました。
聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、神よ、御心を行うために。』」

5 Therefore, when Christ came into the world, he said:
 “Sacrifice and offering you did not desire,
but a body you prepared for me;
6 with burnt offerings and sin offerings
you were not pleased.
7 Then I said, ‘Here I am―it is written about me in the scroll―
I have come to do your will, my God.’”


ほかではなくキリストが語るクリスマスの真実を思い巡らし、今年も感動と感謝を新たにしましょう。

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語るべきことを

今日は祈祷会。今日の御言葉をシェアします。今日もたくさんの聖書箇所を開き、「チャレンジ!祈りと宣教」の3つの祈りから、「御言葉を語らせてください」との祈りを深めました。「御言葉を語らせてください」と祈る私たちの口が、いつも神の言葉で満たされますように。

サムエル記下
23:2 主の霊はわたしのうちに語り、主の言葉はわたしの舌の上にある

出エジプト記
4:10 それでもなお、モーセは主に言った。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」
4:11 主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。
4:12 さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。

エレミヤ書
1:6 わたしは言った。「ああ、わが主なる神よわたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」
1:7 しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。
1:8 彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」と主は言われた。
1:9 主は手を伸ばして、わたしの口に触れ主はわたしに言われた。「見よ、わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける。

詩編
81:11 わたしが、あなたの神、主。あなたをエジプトの地から導き上った神。口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。

コロサイの信徒への手紙やエフェソの信徒への手紙を見ると、パウロが獄中から、宣教の働きのために、大胆に語るべきことを語ることができるように、自分のためにも祈ってほしいとリクエストしています。「御言葉を語らせてください」と祈る私たちも、実際に教会で御言葉の奉仕にあたってくださる説教者のために祈るものでありたいと思います。

コロサイの信徒への手紙
4:3 同時にわたしたちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。このために、わたしは牢につながれています。
4:4 わたしがしかるべく語って、この計画を明らかにできるように祈ってください。

4:4 わたしが語るべきことをはっきりと語れるように、祈ってほしい。(口語訳)
4:4 どうか、私がこの良い知らせを、勇気をもって、自由に、完全に、しかもわかりやすく語れるように祈ってください。(リビングバイブル)

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御言葉を語らせてください

今日は祈祷会。御言葉をシェアします。今日はチャレンジ!祈りと宣教の3つの祈りの3番目、「御言葉を語らせてください」との祈りを御言葉を通して学びました。引用箇所が多いですが、私たちの口にある神の言葉ということについて学びました。私たちの口が神の言葉で満たされ、神の言葉を語り始めることができますように。

詩編
19:15 どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない/心の思いが御前に置かれますように。
主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。
These are the words in my mouth; these are what I chew on and pray.(The Message)

サムエル記下
23:2 主の霊はわたしのうちに語り/主の言葉はわたしの舌の上にある。

エレミヤ書
15:16 あなたの御言葉が見いだされたとき/わたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなり/わたしの心は喜び躍りました。万軍の神、主よ。わたしはあなたの御名をもって/呼ばれている者です。
20:9 主の名を口にすまい/もうその名によって語るまい、と思っても/主の言葉は、わたしの心の中/骨の中に閉じ込められて/火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして/わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。

エゼキエル書
2:8 人の子よ、わたしがあなたに語ることを聞きなさい。あなたは反逆の家のように背いてはならない。口を開いて、わたしが与えるものを食べなさい。
2:9 わたしが見ていると、手がわたしに差し伸べられており、その手に巻物があるではないか。
2:10 彼がそれをわたしの前に開くと、表にも裏にも文字が記されていた。それは哀歌と、呻きと、嘆きの言葉であった。
3:1 彼はわたしに言われた。「人の子よ、目の前にあるものを食べなさい。この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に語りなさい。」
3:2 わたしが口を開くと、主はこの巻物をわたしに食べさせて、
3:3 言われた。「人の子よ、わたしが与えるこの巻物を胃袋に入れ、腹を満たせ。」わたしがそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった。
3:4 主はわたしに言われた。「人の子よ、イスラエルの家に行き、わたしの言葉を彼らに語りなさい。

使徒言行録
4:29 主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。
4:30 どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」
4:31 祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした


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主こそ神です

今日の祈祷会の聖書箇所です。列王記上18章から。

18:24 そこであなたたちはあなたたちの神の名を呼び、わたしは主の御名を呼ぶことにしよう。火をもって答える神こそ神であるはずだ。」民は皆、「それがいい」と答えた。

18:36 献げ物をささげる時刻に、預言者エリヤは近くに来て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、またわたしがあなたの僕であって、これらすべてのことをあなたの御言葉によって行ったことが、今日明らかになりますように。
18:37 わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう。」
18:38 すると、主の火が降って、焼き尽くす献げ物と薪、石、塵を焼き、溝にあった水をもなめ尽くした。
18:39 これを見たすべての民はひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言った。

今日は、先日の宣教センターの集まりで教えていただいたアジアの教会からのチャレンジをシェアさせていただき、大きな励ましと信仰とを与えていただきました。この国が「主こそ神です」と告白できるように、御言葉に助けられ、「主よ、チャレンジさせてください。祈らせてください。語らせてください」と今日も3つの祈りをささげていきました。

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11月15日

今日の祈祷会の御言葉をシェアします。イザヤ書46章とマタイによる福音書23章から。

46:13 わたしの恵みの業を、わたしは近く成し遂げる。
もはや遠くはない。
わたしは遅れることなく救いをもたらす。
わたしはシオンに救いを
イスラエルにわたしの輝きを与えることにした。

23:39 言っておくが、お前たちは、「主の名によって来られる方に、祝福があるように」と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。

今日は岡山でいただいた合唱団のDVD(プライベート編集)を祈祷会で見させていただきました。エルサレムでのコンサートの光景を見ながら、50年前の一つの出会いが今日このように発展してきたことを思い、感動でいっぱいになりました。今日は11月15日。以下、大槻筆子先生の「エルサレムをめざして」から引用します。

(1962年)11月15日、朝、窓のカーテンを引きますと、学院の庭の紅葉が、朝日の光を受けて、まばゆいばかりに照り輝き、その美しさに思わず感嘆の声を放ちました。この輝かしいよき日、午後四時ごろ、トビヤ先生御夫妻が中村牧師に伴われ、司牧館にまでお越し下さいました。この日私は二、三日前から風邪のために発熱し、黙想庵で休んでおりましたので、そっと窓から司牧館の様子を眺めておりました。そして主人が感動に満ちた顔をしてトビヤ先生と握手をしている光景を見て涙をとどめることができず、思わず夜具の中に顔をうずめておえついたしました。1938年1月9日より、待ちに待ちし24年10か月、まことに長い歳月でございました。


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御言葉を宣べ伝えなさい

今日の祈祷会から、御言葉をシェアします。テモテへの手紙二4章からです。

4:2 御言葉を宣べ伝えなさい。折りが良くても悪くても励みなさい。

チャレンジ!祈りと宣教。きょうは3つの祈りの3番目「御言葉を語らせてください」からのお勧めをいただきました。御言葉を語るために、ガリラヤの風薫る丘で人々に語られた恵みの御言葉を、嵐の日波たける湖で弟子たちをさとされた力の御言葉を、ゴルゴタの十字架の上で罪人を招かれた救いの御言葉を、夕暮れのエマオへの道で弟子たちに告げられたいのちの御言葉を、私にも聞かせてください。

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この時のため

今日は祈祷会の日。今週届いた、しののめ合唱団によるエルサレムでのコンサートの報告をまず紹介し、すばらしい報告に一同で主に感謝しました。今日の御言葉をシェアします。エステル記4章からです。

4:13 モルデカイは再びエステルに言い送った。「他のユダヤ人はどうであれ、自分は王宮にいて無事だと考えてはいけない。
4:14 この時にあたってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解放と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるにちがいない。この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。」
4:15 エステルはモルデカイに返事を送った。
4:16 「早速、スサにいるすべてのユダヤ人を集め、私のために三日三晩断食し、飲食を一切断ってください。私も女官たちと共に、同じように断食いたします。このようにしてから、定めに反することではありますが、私は王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります。」
4:17 そこでモルデカイは立ち去り、すべてエステルに頼まれたとおりにした。

秋期聖会後、「チャレンジ!祈りと宣教」というテーマと3つの祈りを聖書の物語から学んでいます。聖書は、どの書も、どのページも、たくさんのチャレンジで満ちています。先週のネヘミヤ記に続き、今日はエステル記から、御言葉を学びました。どちらの書も、歴史的にはバビロン捕囚後の出来事ですが、エルサレムでは帰還民による神殿建設、ペルシャではユダヤ民族の救済という命がけのチャレンジがあり、祈りがあったことに感動しました。
エステル記には「神」という文字も、それに伴う宗教的行為、礼拝とか祈りとか賛美いう言葉も見いだせないのですが、新共同訳聖書の旧約続編にあるエステル記(ギリシャ語)には、モルデカイとエステルの感動的な祈りが記されています。ぜひ読んでみてください。

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