ひとり子の神が



星の王子さまと言えばこの言葉です。仲良くなったキツネが教えてくれたとっておきのこと。
「大切なことは、目に見えないんだ。」
本の中では、その答えがはっきり書かれているわけではありません。読む人がそれを考えることが大切ということでしょう。真実、愛、友情。正解があるわけではないと思いますが、王子さまの星B-612がブルンシュビック版のパンセの断章612であるとするなら(詳しく知りたい方は「星の王子さまからのクリスマス・メッセージ」をお読みください)、それは神と私たちの契約ということですから、目に見えないほんとうに大切なものとは、信仰、そして目に見えない神様ご自身ではないかと思うのです。
そもそも信仰とは、「望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することです。」信仰者は、目に見るものによらず、信仰によって歩んでいます。「信仰によって、モーセは・・・目に見えない方を見ているように、耐え忍んだ」のです。だから、「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。」それが星の王子さまからのクリスマス・メッセージです。
しかし、クリスマスの驚きの真実をお伝えします。クリスマスの夜、目には見えない神が、見えるものとなられたのです。「ことばは(キリストのことです)、人間となり、私たちの間にしばらくの間住まわれた。私たちは彼の栄光を見た。・・・だれもまだ神を見たことはない。ただひとりの比類のないみ子、ひとり子の神が神を目に見えるように現された」と。目には見えない大切なものが見えるものとなられたクリスマス、いま心の目を開かれて、ひとり子なる神を見ましょう。

今日は今年最後の松阪での聖書講座(クリスマス会)でした。
日曜日に洗礼を受けた高校生の一人は三重の教会のメンバーでした。
大きな喜びと感謝にあふれました。

年末年始の集会
2015年12月27日(日)年末感謝礼拝 午前10:30
2016年1月1日(金)元旦礼拝 午前10:30
2016年1月3日(日)新春オープン礼拝 午前10:30

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ひとりの赤子が



今から百年ほど前にアメリカの西部、ローリングキャンプで起こった実話です。
ローリングキャンプの炭鉱で働く数百人の男たちは、前科者や荒くれ者ばかりでした。毎日酒ばかり飲み、ギャンブルをし、傷害事件も日常茶飯事の争いの絶えない場所でした。そんな炭鉱で働いていた一人の女性が男の子を生み、そのまま亡くなってしまいます。男たちは、その赤子を死なせる訳にはいかないので、何とか協力して育てようとしました。そこでとりあえず、赤子を炭鉱で使うトロッコに入れましたが、そんな真っ黒で汚い箱に赤子をいつまでも入れて置くわけにはいかず、ゆりかごを買うために、炭鉱から150劼睥イ譴仁拂まで何人かの男たちを買いに行かせました。そして、買って来たゆりかごに赤子を寝かせてみると、今度はその赤子を包んでいる毛布が汚いという者があり、毛布ときれいな布を買いに行かせました。そしてその赤子を、きれいな毛布に包んで、ゆりかごの中に寝かせてみました。すると今度は、ゆりかごはきれいだけど、ゆりかごを置いている床が汚いと言い出す者があり、男たちは床にカンナかけ、床を磨きました。するとまた別の男が、床はきれいになったけれど、天井も壁も窓も汚いと言い出し、男たちは総掛かりで、天井も壁も窓もきれいにしました。部屋だけではありません。赤子を順番に抱きかかえる男たちは、自分の体や着ている服も汚いことに気付き、皆が体を洗い、ひげを剃り、服を洗濯するようになりました。
あの日、地獄のようなローリングキャンプに、ひとりの赤子が生まれて以来、その小さい存在は、キャンプの内も外も、そこの住む人の心の中さえも、まるで天国のように変えて行ったといったという話しです。
この小さな幼子こそ、罪に汚れた私たちの世界にお生まれになった神の御子イエス・キリストです。今日、神の御子が、あなたの心にも来てくださるなら、キリストは、あなたの心もあなたの明日も永遠も変えてくださいます。
「ひとりのみどりごが、わたしたちのために生まれた。ひとりの男の子が、わたしたちに与えられた。」

待降節に入っています。今年のクリスマスはぜひ教会でお過ごしください。

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宝の箱を開けて




クリスマス、おめでとうございます!

東方で見た星が・・・幼子のいる場所の上に止まった。
学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、
黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
(マタイによる福音書2の9-11)

今年のクリスマス音楽劇で歌った新曲、
東方の博士の礼拝の場面で歌った「新しき我らの王」。
私たちも宝の箱を開け、
東方の博士たちと共にキリストを礼拝しましょう。

クリスマスの夜は教会で。
イブ礼拝は、今夜7時30分から。
キャンドルを灯してキャロルを歌い、美しいdvdを鑑賞し、
クリスマスのメッセージに耳を傾ける1時間。
素敵な聖夜をご一緒に。

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Mary did you know



Mary did you know
マリア、知っていましたか?
that your baby boy
あなたの赤ちゃんがいつか
will one day walk on water?
水の上に歩いていることを
Mary did you know
マリア、知っていましたか?
that your baby boy
あなたの赤ちゃんがいつか
will save our sons and daughters?
私たちの息子や娘たちを救うことを

Did you know
知っていましたか?
that your baby boy
あなたの赤ちゃんが
has come to make you new?
あなたを新しくするために来られたことを
This Child that you deliver
あなたが生んだこの子が
will soon deliver you
あなたの救いとなる

Mary did you know
マリア、知っていましたか?
that your baby boy
あなたの赤ちゃんがいつか
will give sights to a blind man?
盲人の目をあけることを
Mary did you know
マリア、知っていましたか?
that your baby boy
あなたの赤ちゃんがいつか
will calm the storm with His hand?
自分の手で嵐を静めることを

Did you know
知っていましたか?
that your baby boy
あなたの赤ちゃんが
has walk where angels trod?
天使たちが歩いた場所を歩んだことがあることを
When you kiss your little baby
あなたがあなたの赤ちゃんに口づけした時に
you've kissed the face of God
神の御顔に口づけしたことを

the blind will see
盲人は見えるようになり
the deaf will hear
耳の聞こえなかった人も聞こえ
the dead will live again
死人が生き返り
the lame will leap
足の立たなかった者が自分で跳び上がり
the dumb will speak
口のきけなかった人が
the praises of the Lamb
小羊の賛美を歌えるようになる

Mary did you know
マリア、知っていましたか?
that your baby boy
あなたの赤ちゃんが
is Lord of all creation?
万物の創造主であることを
Mary did you know
マリア、知っていましたか?
that your baby boy
あなたの赤ちゃんがいつか
will one day rule the nations?
国々を支配することを

Did you know
知っていましたか?
that your baby boy
あなたの赤ちゃんが
heaven's perfect Lamb?
御国の全き小羊であることを
The sleeping child you're holding
あなたの腕の中で眠るこの子が
is the Great I AM
大いになる「わたし」であることを

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サプライズ



クリスマス、おめでとうございます。
昨日はイブ礼拝のあと、ユースのクリスマスパーティーがありました。
今日は三重県は志摩市にあるテベリヤ教会のクリスマス礼拝でした。
信徒の方はもちろん、地域の方と子どもたちと一緒にクリスマスをお祝いできて感謝でした。

今日はルカ福音書の御言葉をメッセージバイブルで紹介します。

1:30 Mary, you have nothing to fear.
God has a surprise for you:
1:31 You will become pregnant and give birth to a son
and call his name Jesus.

クリスマスには欠かせないマリアへの御告げの箇所ですが、
神様があなたのためにサプライズを用意しておられるとはなんという驚きでしょう。
今年の流行語を使うなら、まさに「じぇじぇじぇ!」です。
教会の暦では、今日から12日間が降誕節(クリスマス)です。
さあ、クリスマスのサプライズをもっともっと驚きましょう。

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平和の子



アフリカの或る二つの部族の話です。
ソトンギは戦いを好む部族、ワナキキは詩を書いたり、音楽を作ったりするのを好む部族でした。二つの部族は川を挟んで敵対し、もう長い間、交わりを持っていませんでした。ところが、都会からテレビクルーがやって来て、そこに橋を作り、二つの部族が和解するドキュメンタリー番組を撮ろうとしました。橋の工事が進むと、二つの部族に緊張が走りました。橋が完成したら、和解どころではなく、もう戦争は避けられないような空気が漂っています。ソトンギは戦いの部族ですから、戦闘の準備を整えました。そんなある日、ワナキキの長に初めて子どもが生まれます。その夜に、ワナキキの長が夢を見るのです。きょう、生まれそのひとり子を敵に与えることで平和がもたらされるという夢でした。ワナキキの長はその夢を神からのお告げと信じました。橋ができた日、彼は、大切なひとり子を、まだ子どものいないソトンギの長に送り届けます。どうなったかと思いますか。戦いの部族ソトンギの長は、民に武器を捨てるように命じました。このひとり子が与えられたことで、二つの部族が家族になるという奇跡が起こったのです。この子どもが何と呼ばれたと思いますか。その子どもはピース・チャイルド(平和の子)と呼ばれたという感動の物語です。
その名は…平和の君と唱えられる。彼こそ、まさしく平和である。

今夜はクリスマスイブ。教会では、夜7時30分から、クリスマスイブ礼拝がもたれます。
クリスマスキャロルと美しい映像でクリスマスを満喫しましょう。今年はリベラのクリスマスコンサートです。
あなたと過ごしたいほんとうのクリスマス…。今夜も。

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赤子のイエス様を探しています



さすがクリスマス。きのうはチラシをご覧になって礼拝に来られた方も大勢ありました。ご自宅の窓から教会が見えるという方もあり、小さな男のお子さんを二人連れて来ておられましたが、これから、こどもたちを教会に連れて来たいと話してくださり、嬉しいことでした。明日はクリスマスイブですが、最近読んだ本にこんな話がありました。

クリスマスイブの日、アメリカの小さな町で起こった出来事である。
その年は、町の人が皆一ヶ所に集まってXマスパーティを開く予定だった。そのため、市庁前の広場に舞台を作り、イエス様の誕生の場面の模型を設置しておいた。ところがパーティの直前、かいばおけに寝かせるはずのイエス様のお人形が見当たらなかった。 そこで皆で赤子のイエス様の人形を探すことにし、市全体に次のような放送を流した。「赤子のイエス様を探しています。どこにあるのか知っている方は、すぐ連絡してください!」 何回か放送した後、セットの片すみに、誰かが遅れて持ってきた赤子のイエス様の人形を見つけた。こうしてイエス様と一緒に楽しいパーティが始まった。
この事件は、私たちに大切な教訓を与えてくれる。それは、イエス様のいないクリスマスパーティには何の意味もないように、私たちの人生にも、イエス様がいなければ意味がないということである。
今日一日、私たちのためにこの世に来てくださったイエス様に特に感謝し、祝福のクリスマスを過ごそう。

今日は、教区の先生方とクリスマスのホームパーティー。明日は夕食からユースが集まり、イブ礼拝とパーティー。
25日、クリスマス当日は志摩のテベリヤ教会のクリスマス礼拝。クリスマスはまだまだ終わらない。

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究極の安心



クリスマスは、イエスの誕生を祝う日だが、
それは神が人類に直接触れてくださったことを祝う日なのである。
その意味であらためて見るならば、
古今の聖母子像も思わぬ意味を帯びて見えてくるはずだ。
聖母マリアは、いうなれば人類の代表である。
つまり、ある意味で聖母子像とは、
母マリアが幼な子イエスを抱いているようでいて、
実はイエスが全人類を抱きしめている姿なのだ。
神に直接抱かれるよりも安心なことはない。
クリスマスとは、そんな究極の安心が
この世界に現実となったことを祝っているのである。
---晴佐久昌英「おお、よし、よし」

今日は午前、午後と市内のクリスマス会です。究極の安心をお届けできますように。

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受肉



アメリカのクリスチャン・ジャーナリスト、フィリップ・ヤンシーの本にはうなずかされることが多い。
彼が「受肉」ということについて、次のような説明している。

私は塩水を入れた水槽を管理していて、受肉について学んだことがある。水槽の管理は楽な仕事ではない。化学実験用具を使って、硝酸塩の度合いやアンモニァの含有量をチェックしなければならなかった。ビタミンや抗生物質、サルファ剤や十分な酸素をポンプで送り込んで魚が育つようにした。水はグラスファィバーと炭で濾過してから紫外線にさらした。私が費やした労力全部を考えると、魚たちは少なくとも感謝してくれたと読者諸氏は思われるだろう。
だがそんなことはなかった。水槽の上に私の影がかかるたびに、彼らはいちばん近くにある貝殻の中に隠れようと、もぐっていった。彼らが私に見せた唯一の「感情」は恐れだった。私がスケジュール通り日に三回、水槽の蓋を開けて食べ物を落としてやる時も、魚たちはその都度私が彼らに苦痛を与えようとしているしるしだと確信しているように反応した。私は彼らに、自分が本当は心配しているのだと説得することができなかった。魚にとって私は神だった。私はあまりにも大きく、私の行動を理解することはとてもできなかった。魚たちをあわれむ気持ちから出た私の行為を、彼らは残酷なものと見た。魚の病を癒そうとした私の試みも破壊的なものと見なされた。彼らの認識を変えるには受肉という形態をとる必要があると、私は気づくようになった。私が魚になり、魚にわかる言葉で「話しかけ」なければならないのだ。
人間が魚になることなど、神が赤ん坊になることと比べれば何でもない。しかしそれでも福音書によると、それこそがべッレへムで起きたことだったのである。物質を創られた神が物質の中に形をなした。ちょうど芸術家が一枚の絵の中の一点になったり、脚本家が自分の書いた劇の中の人物になったりするようなものである。神は現実の人格だけを使って、現実の歴史のぺージに話を書いた。「言葉」は肉になったのである。
(『だれも書かなかったイエス』山下章子訳)

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カンドウ



1925年に来日し、日仏学院長、聖心女子大教授などを務め、日本を愛し東京で生涯を閉じたカンドウ神父(1897〜1955年)は、若いころフランス兵として、第一次世界大戦を戦った。
凍てつくようなクリスマスの夜、その戦場で、一輪のかぐわしいバラのような出来事が起こった。彼らは、凍傷を防ぐため、空になった鮭缶に炭火を入れて靴に結びつけ、ドイツの塹壕めがけて手榴弾を投げていた。その時だれかが、ため息まじりにつぶやいた。
「今ごろ、故郷の教会では賛美歌を歌っているなあ・・・。」
「よし、おれたちも歌おう。」暗い中から弾んだ声がそう言った。
やがて、その小隊の塹壕から小さなささやきのような賛美歌が湧いてきた。それは野火のようにフランス軍の前線塹壕全体に広がり、大合唱と変わった。すると、ドイツ軍の塹壕からも投げ込まれる手榴弾がだんだんと少なくなり、とうとう何の爆発音も、苦痛にゆがむうなり声も聞こえなくなった。

その名は・・・「平和の君」と唱えられる。(イザヤ9の5)
世界に平和がありますように。

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