枕もと



ペトロの家にできた深夜まで続く行列。そのきっかけとなったペトロの姑は、イエスが家にやって来た時、熱病で床に伏していました。突然の訪問だったでしょうから、ペトロの家の者たちは、山のような洗濯物や片付いていない荷物を、とりあえず姑の部屋に放り込んだかも知れません。そんな部屋の片隅で、普段は台所のことを取り仕切っている姑が、何の役にも立てず、熱にうなされ、肩身の狭い思いで寂しそうに寝込んでいるのです。彼女のことを話したのは、ペトロではありませんでした。ペトロの家の召使いでしょうか。それとも近所の友人だったでしょうか。姑が寝込んでいると伝えた人がいたのです。イエスはすぐに姑が寝ている部屋に入って行かれ、その枕もとに立たれました。
医者であるルカは、シモンの姑の病状を「高い熱に苦しんでいた」と記していますが、二つのことが考えられます。一つはマラリヤ熱のように生死をわける大病であったということ、もう一つはちょっと風邪をこじらせて熱が上がり寝込んでいたということ。どちらにも意味があります。あなたが抱えている問題や病が、どんなに大きくても、難病、奇病、不治の病でも、主には癒す準備があるということです。また、あなたが抱えている苦しみが、人に話すのも恥ずかしいくらい小さな悩みであっても、主にはそれを癒す準備があるということです。イエスには大き過ぎる問題もなく、小さ過ぎる問題もありません。
今日あなたの心という家に、あなたの心という部屋に、イエスを迎えてください。それは、あなたのプライベートな空間で、あなたの痛みや心配という現実の中にイエスを迎えるということです。その家その家の問題があります。その人その人の弱さや痛みがあります。誰にも言えない苦しみに、枕を涙で濡らす夜もあったでしょう。そんな私たちのプライベートに、主が来て手を置いてくださるのです。
マタイは大きな感動をもって、「それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった」と言い、イザヤ書53章を引用します。「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」と。そうです。「彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたすたちは癒された」のです。

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新約の神殿建設

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至聖所のセラピム
「こころの一番奥にある
 光さしこむ聖堂で祈る」
という、言葉の一節がすきです。
2011年10月21日 (金) 14:59




 

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