信じさせるためです



ラザロの墓の前に置いてあった石が取りのけられると、イエスは天を仰いで祈り始められました。きっとそこにいた多くの人は、石を動かすことやその後どうなるかに気を奪われていたにちがいありません。しかし、ヨハネはそこで祈られるイエスの声を聞き逃さなかったのです。この後、「ラザロ、出て来なさい」という言葉は、わざわざ「大声で叫ばれた」とことわっていますので、その前の祈りは、誰にも聞こえないような小さな声であったかもしれません。でもヨハネはその声をキャッチしました。
イエスは何と祈られたでしょうか。パンの奇跡の時もそうでしたが、まだ何も起こらない先に、イエスは天を仰ぎ、感謝にあふれた信仰の祈りをささげています。祈りには、お願い事の多い請求書的な祈りと、先取りの感謝と言われる領収書的な祈りがあると言われますが、イエスと父なる神との交わりに見る祈りは、先取りの感謝の祈りです。
「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。」地上的な望みが断たれ、もはや万事休すと言うときに、イエスは天を仰ぎ(これは信頼の姿勢です)、すでにそれを受け取ったかのように過去形で祈られます。この後に続く途轍もない奇跡は、この途轍もない祈りから始まっていたのです。
そして、この祈りの中で、この奇跡の目的が明らかにされています。「わたしがこう言うのは・・・あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」11章の初めから始まったラザロの物語、随分長い記事でしたが、最後ラザロの復活の場面はこの後、たった2節で終わり、その後、復活に続く物語へと話題を移していきます。正直、あっさりし過ぎている感じがするかも知れませんが、ヨハネの焦点は、このイエスの祈り、その一言に集中していました。「彼らに信じさせるためです。」

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認識力と受容力

わたしにつながっていなさい

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