敬虔な老農夫の話



学生の頃、夢中になって読んだ『農村の改革者 聖ヴィアンネー』から紹介します。

アルスの農夫に、ルイ・シャッファンジョンという老人がいた。ヴィアンネー師は、彼のことをこう物語った。

この村に数年前に死んだ敬虔な老農夫があった。彼は毎朝、畑に出かける前に、教会に寄って祈りをしたが、ある日、鍬を聖堂の入口に置いたままで祈りに夢中になってしまった。近所で働いている農夫たちは、どうして彼が来ないのだろうと不思議に思ったが、ふと思いついて、帰りに聖堂に寄ってみた。はたして、その男はそこにいた。
 「いったい、お前は長いこと、なにをしていたのか?」と聞くと、「私は神を見ていました。それから神も私を見ておいでになった」と彼は答えた。

師はこの話しをたびたびくり返していたが、「彼は神を見、神は彼を見ておいでになった。子どもたちよ、宗教はこのひと言につきている」と、いつも付け加えて村の人たちに教えた。しかり老農夫が到達した観想の境地こそ宗教の神髄である。

京都の聖会でも紹介されたヴィアンネー師の説教を聞きながら、聖人伝に心熱くした日のことを思い起こしました。

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