愛の本質



ヨハネ福音書は21章ありますが、12章からキリストの最後の一週間が始まります。ですから、ヨハネは福音書の半分を費やして、キリストの最後の一週間を記録していることになります。ここにヨハネが本当に伝えたかったことが記されているのです。12章は、11章の続きの記事で、ラザロを囲む食卓でなされた事件から始まります。よく知られたイエスへの油注ぎの物語です。共観福音書にも見られる記事ですが、それぞれシチュエーションが異なります。詳しくは改めて説明します。
3節を御覧ください。「そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」ここで彼女が惜しみなく注いだナルドの香油とは、どれほど高価なものであったのでしょうか。イスカリオテのユダはそれを300デナリオンで売れると見積もっています。1リトラが300グラムほどなので、量は小さいペットボトルくらいということになります。1グラムで1デナリオンということです。1デナリオンは労働者の1日の賃金ですから、300日分の賃金、年収に相当する額と考えられます。仮に1日1万円で計算すれば300万円です。
パンの奇跡の場面を思い出せるでしょうか。イエスと弟子たちが、どうしたら群衆に食物を与えることができるかと話していた時、弟子のフィリポが「200デナリオンのパンがあっても足りない」と答えています。そこにいたのは男だけで5000人、女性や子どもを含めればその倍はいたにちがいありません。すると300デナリオンとなれば、祐に1万人の給食を準備できるほどの額であったということです。それを高く売って、貧しい人に施すことができたと言われても無理からぬことでした。
普通は、香水のように一滴か二滴かをたらして使うものを、彼女は何を血迷ったのか、たった一回で使い切ってしまったのです。マルコでは、壺を「壊して(割って)」と書かれています。その壺というのも、高価なものであったと思われますが、この愚かとさえ思える行為の中に、愛の本質を見ることができるのです。愛は計算しません。損得を考えません。愛は最大限に与え、すべてを与えた後で、もっと与えたいと望むものなのです。

桜がきれいですね。今週も大切なことを大切に。

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ナルドの香油

十字架の黙想・第13日

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