わたしたちはろばの子です



中東では、ろばは家畜の群れの中によく見られる動物です。荷物の運搬用に、また、乗り物として、さらに農耕用にと重宝がられる家畜です。聖書にもしばしば登場します。アブラハムがイサクを連れてモリヤの山に出かけたとき、彼は荷物をろばに積んでいました。預言者バラムの記事には、ろばが話し出すという物語があります。イスラエルの初代の王サウルは、いなくなったろばを探している途中、王となる召しを受けます。そしてキリストのエルサレム入城に用いられたロバの話し。ところが、ろば(donkey)には、愚か者とか頑固者という意味があります。ろばはみばえのしないもの、愚鈍なものの象徴でもあるのです。
三浦綾子さんの「ちいろば先生物語」をお読みになったことがあるでしょうか。榎本保郎という牧師先生の生涯を描いた小説です。榎本先生自らが、「ちいろば」という自伝を書いておられますが、あとがきのところにこう記しています。
「『ちいろば』というのは、イエスさまがエルサレムにご入城なさったときにお乗りになったろばの子のことで、新約聖書のマルコ福音書11章にその時の情景が記録されています。そこには「向こうの村」につながれていたところを『主がお入用です』といって召し出されたことが記されているだけですが、この小さいろばの子を短かく縮めて『ちいろば』と私が勝手に名づけたのです。私はしばしば子どもたちに『ちいろば』の話をしてきましたが、いつのまにかそれを自分自身にも当てはめてみるようになりました。
というのは、このろばの子が「向こうの村」につながれていたように、私もまたキリスト教には全く無縁の環境に生れ育った者であります。私の幼な友だちが、私が牧師になったことを知って、『キリストもえらい損をしたもんじゃのう』といったそうですが、その評価のとおり、知性の点でも人柄の上からも、およそふさわしくなかった私であります。ですから、同じウマ科の動物でありながら、サラブレッドなどとはおよそけた違いに愚鈍で見ばえのしない『ちいろば』にひとしお共感をおぼえるのです。」
そして、本のまえがきを書いている当時の同志社大学神学部長が、推薦文の最後に、「この書を読む人びとがこうして、『ちいろば』の行進につぎつぎに加わられるように祈ってやまない」と書いてあります。ちいろばの行進、それはエルサレム大行進のことです。私たちの参加しましょう。
「わたしたちはろばの子です。馬のように早く走れない、ライオンのような力なんかない、ただのちっぽけなろばの子です。だけどあなた知っていますか。ろばが主のお役に立ったこと、イエスさまを背中にお乗せしてエルサレムにお連れしたことを。走れなくても、強くなくても、いつもイエスさまがいてくださる、わたしたちはろばの子です。神さまのために働きます。」

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わたしに従いなさい

ちいろば

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