その時だけにとどまらない意味



いつモブログを読んでくださっているみなさま、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

年末に、いま話題の吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』を読みました。日中戦争に向かう1937年に書かれた「歴史的名著」。今回マンガが同時発売されたことや、池上彰さん、糸井重里さん、斎藤孝さんなどがこぞってこの本を紹介したこと、極めつけはジブリの宮崎駿監督が新作に、この本の題を付けたことでブレークしたようですが、読めば納得の良い本でした。信仰的な本としてお勧めするわけではありませんが、80年も前に書かれた児童文学書でありながら、今の時代に「君たちはどう生きるか」と真っ向から問いかけられているように感じました。
80年前と言えば、今年は、聖イエス会の創立者・大槻武二牧師が、当時の満州奉天、現在の中国瀋陽において、神との出会いを体験されて80年目にあたります。聖イエス会という小さな群れのすべてが、80年前の一人の牧師の神体験から始まっているということを思い、これまでもくり返し、その体験談を聞いてきましたが、今改めて「君たちはどう生きるか」ということが問いかけられているように感じます。
「君たちはどう生きるか」は、旧制中学に通う「コペル君」とあだ名を付けられた15歳の少年の日常を軸に、彼のおじさんとのやり取りで綴られていくのですが、ある時、おじさんがコペル君にこんなことを伝えます。「肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。・・・そうすると、ある時、ある所で、君がある感動を受けたという、くりかえすことのないただ一度の経験の中に、その時だけにとどまらない意味のあることがわかってくる。それが、本当の君の思想というものだ。」
今から80年前、1938年1月9日のただ一度の経験の中に、その時だけにとどまらない意味のあることを、今年私たちも体験を通して教えられたいと願っています。今年の御名は、創世記17章1節、「我は全能の神なり」です。この御名は信仰の父と仰がれ、神の友と呼ばれたアブラハムに現されたものですが、1月の礼拝は、ヨハネ福音書の特別編「わたしの日を見て喜んだ」ということで、アブラハムの生涯を4回シリーズで学びたいと思います。

新年の祈祷会(木曜礼拝)は1月11日からです。

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君たちはどう生きるか

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