アブラムは主を信じた



主はアブラムを天幕の外に連れ出して言われました。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」と。
私たちの現実は、常識に捕らわれ、自分の立場や考えに終始してしまうことです。常識も大切です。しかし、信仰には、神の現実を制限しないゆとりが必要なのです。その小さな常識という天幕から外に出て、天を仰ぐゆとりです。ある有名なラビは、この言葉を次のように説明しました。「この天を仰ぐと訳されている言葉は、むしろ高い所に引き上げられて、上から下を見下ろすというニュアンスを持っている」と。神はアブラムを天幕から外に連れ出されただけでなく、彼を星よりも高く引き上げられたということです。そこで彼は、もはや人間の視点ではなく、人間的な立場からでもなく、神のまなざしをもってすべてのことを見せられたのです。その時、すべてが逆転しました。彼の事情境遇が変わったのではありません。彼の立ち位置が変わったときに、彼の見ている景色が変えられたのです。その時、ついに「アブラムは主を信じた」という信仰の世界の幕が開かれたのです。聖書の中で、このあと、当たり前のようにくり返し使われる「信じる」との言葉が最初に使われた瞬間でした。
ところで、「星よりも高く」というのは、何か霊的な体験であったのでしょうか。意外にこういうことだったのかもしれません。アブラムは、彼が神を信じる前に、神が彼を信じてくださった事実に気がつかせられたのです。これは、アブラムのことをとことん信じた神の信仰です。そもそも信仰という言葉は、真実とか忠実とかいう言葉から来ています。神が私たちに尽くしてくださった真実から、信仰が生まれたのです。もっと言えば、アブラムを信じてくださった神の愛のただ中で生きるということです。あなたを信じてくださった神を、あなたも信じてください。

寒い日が続いていますが、次の日曜日は教区合同の新年聖会です。

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内におられるキリスト、栄光の希望

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