三位一体



作家の井上ひさしさんのモットーは、「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く、面白いことを真面目に、真面目なことを愉快に、そして愉快なことはあくまでも愉快に」ということだったそうですが、毎週の礼拝で聖書の言葉を語る者として、私もそのようでありたいと思っています。
今年も礼拝ではヨハネによる福音書のシリーズを続けますが、14章を学び始めています。14章から17章までは、「御心の至聖所」と呼ばれ、聖書中、最も深遠な内容になります。特に、今週の箇所から聖霊の派遣と言うことがくり返し語られるようになります。これまでは、父なる神と子なる神、イエス・キリストとの関係性が強調されてましたが、そこに聖霊なる神が加わり、いわゆる「三位一体」というキリスト教の神学的テーマがここからくり広げられます。
15節から、間もなくイエスが弟子たちの前からいなくなることを前提に、イエスへの愛を示す方法として、イエスの教えられた掟を守るということがまず語られます。その掟とは、ヨハネの手紙一3章23節によれば、「神の子イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。」ここで問題になるのは、果たしてその掟を守ることができるかどうかです。
そこでイエスは語られました。「わたしにお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である」と。イエスの掟を守ることができるようになるために、イエスが父なる神に願い、私たちのもとに遣わされて来る別の助け主について、ここからイエスが語り始めます。これで父と子と聖霊、三位一体の神がそろいました。
ある教会では、聖書の中に「三位一体」という言葉は出て来ないので、それを認められないと言います。確かに、聖書の中に三位一体という用語は出て来ませんが、この箇所にも見られるようにその概念はあります。そもそも三位一体という言葉は、教会史の中で、異端の教えと戦う過程で生まれてきた造語です。しかし、その言葉が聖書にないからと言って、そのコンセプトがない訳ではありません。逆を言えば「三位一体」という用語を信じるかどうかは重要ではありません。その神を信じることがもっと重要だからです。三位一体の神を信じているかどうか、簡単にテストができます。信じる人はアーメンと答えてください。「神は唯一ですか?」アーメン。「父なる神は神ですか?」アーメン。「イエス・キリストは神ですか?」アーメン。「聖霊は神ですか?」アーメン。たとえ三位一体という言葉がわからなくても、これで三位一体の神を信じていることになります。これが重要です。このことを踏まえて、これから三位一体の神について学びを深めることにしましょう。

今週も大切なことを大切に。

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もうひとりの慰め主

一月九日

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