葛藤



十字架の前夜、最後の晩餐が終わった後、弟子たちに語られたイエスの最後の教えが続きます。ゲッセマネの園に向かう道すがら、「ぶどうの木の譬え」が語られましたが、枝として選ばれた目的が述べられた後、キリストと弟子たちとの関係から、この世と弟子たちとの関係に話題を移します。キリストと弟子たち(私たち)の関係は、ぶどうの木と枝のつながりであり、友という言葉でも表現されました。では、この世と弟子たちの関係はどうでしょう。「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。」この後の部分も含めて言えば、この世にあって、キリストのように生きたいと願うクリスチャンの感じる葛藤や違和感の理由がここに語られています。
「世」という言葉がくり返し使われていました。ギリシア語の「コスモス」という言葉ですが、ヨハネ福音書に77回、特に13章から17章まで、イエスの最後の教えの中に44回もくり返し出てくる言葉です。おおよそ3つの意味がありますが、文脈によってその意味を見分ける必要があります。第一に、宇宙という意味です。それは神が秩序と調和をもって創造され美しい世界のことです。コスメ(化粧)という言葉はここから来ています。第二に、宇宙の中で最も大切なこの地球に住む人類のことです。ヨハネ福音書3章16節で「世を愛された」と言われている使い方です。そして、第三に、神に敵対する世界、勢力のことで、ヨハネ福音書の多くは、この意味で使われていることになります。
神の選びが、聖書の教える人生観とするなら、神が支配する神の王国と「世の支配者」であるサタンが治める闇の王国との対立は、聖書の教える世界観です。クリスチャンになれば、すべてがハッピーになるかと言えば、そうではありません。世の支配者が治め、多くの人が神を信じていない世界の中で、クリスチャンとして生きるのには、多くの戦いがあります。聖書を学び、クリスチャンとして成長すればするほど、葛藤(争いやもつれ)を感じ、違和感(不自然さ)を感じるのです。
イエスの言葉の通り、クリスチャンは、闇の王国から神の王国に移されたという点で必然的に憎しみの対象となりました。しかし、これは、あなたが神に愛されているから、あなたが輝いているから、あなたが憎らしいと言われているのであって、私たちとしては本来責められるべきことではありません。
ペンテコステの後、使徒に対する迫害が始まりました。ユダヤの指導者たちは、イエスに対してしたように、ねたみに燃えて、使徒たちを捕らえました。そして、彼らを鞭で打ち、イエスの名によって話してはいけないと命じました。しかし、使徒言行録はそのときの弟子たちの心境をこう伝えています。「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた」と。

今週も大切なことを大切に。

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