海嶺



愛知県知多郡の美浜町に小野浦と呼ばれる地区があります。日本で最初の和訳聖書の翻訳に協力した音吉、久吉のふるさとです。この二人に現在の名古屋市熱田区出身の岩吉が加わって、三人の「吉」ということで、「三吉」と呼ばれる若者たちによって、最初の日本語訳聖書が作られました。
経緯はこうです。天保三年(1832年)の秋、遠州沖で暴風に遭い、遭難した彼らは、難破船に乗ったまま1年2ヶ月をかけて太平洋を横断、命辛々カナダの沖合の小島に辿り着きます。やがてイギリス商船に拾われロンドンに、そしてついに日本をめざすことになりました。マカオまで戻って来た彼らは、そこでギュツラフという宣教師と出会い、聖書の和訳を手伝うことになります。そこで最初に和訳されたのが、いま私たちがシリーズで学んでいる『ヨハネによる福音書』でした。シンガポールで出版されたギュツラフ訳の聖書。「ハジマリニ、カシコイモノゴザル」で始まる1章1節は有名です。
先週の金曜日、日本聖書協会主催の聖書和訳頌徳記念式典というのが美浜町で持たれ、それに参加しました。今年は新しく建立された音吉像の除幕式があり、音吉の凛々しい姿に感動しました。音吉、久吉、岩吉の三人は、マカオで加わった四人の日本人漂流民と共に日本に向かいます。彼らが乗っていた船が歴史の授業で習うモリソン号事件のモリソン号でした。外国船の入国を認めない幕府はモリソン号を砲撃します。彼らは祖国を目の前にして、祖国に見捨てられてしまうのです。この出来事を題材にして書かれたのが、三浦綾子さんの「海嶺」で、彼らの数奇な運命をとおして、私たちをカシコイモノに導く長編です。
興味深いのは、最初に和訳された聖書箇所が、どうしてヨハネによる福音書だったのかということです。小説の中で、ある人がギュツラフに尋ねる場面があります。「なぜ、日本のためにヨハネ福音書を選ばれたのですか。マタイ伝やルカ伝の方が、訳すのが容易ではないですか。」彼は答えます。「確かにその通りかもしれません。しかし、3人と、マカオの寺院を巡った時、私は彼らがどこに行っても頭を下げることに気付いたのです。彼らは、何にでも手を合わせるのです。私はあの『知られざる神』に手を合わせる記事を思い出しました。(使徒言行録17章に記されている出来事です。)それで私は、キリストが神であることを確実に伝えるヨハネ伝を選んだのです。」
まさにこのギュツラフの気持ちはアテネのアレオパゴスの丘で説教したパウロの心でした。パウロは言いました。「道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう」と。確かにヨハネ福音書は、教会が誕生して半世紀が経ち、キリストの教えと、偽りの教えとの狭間で、どこが違うのかを明らかにするという目的を込めて書かれました。そこで何よりも先ずキリストが神であることを彼は証ししたかったのです。真っ直ぐに、「ハジマリニ、カシコイモノゴザル。・・・カシコイモノ(キリスト)は神であった」と。
悩み多き人生という旅路、漂流生活もあります。思うように願うように行かない現実があります。信頼していたものから見捨てられるようなこともあるかも知れません。しかし、その旅の果てに、知られざる神ではなく、カシコイモノとの出会いがあるのです。

今週も大切なことを大切に。

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