未来信じる者たちのための祈り



十字架の前夜、最後の晩餐が終わり、ゲッセマネの園に向かう道すがら、弟子たちに最後の教えを語り終えた後、イエスは天を仰いで祈られました。ヨハネ福音書の17章全体がイエスの祈りになっていますが、イエスはまず自分のために祈り、その後、弟子たちのために、そして、弟子たちを通して、イエスを信じるすべての者たちのために祈られました。
20節、「また、彼ら(弟子たち)のためだけでなく、彼らの言葉(弟子たちの祈りと宣教)によってわたしを信じる人々(未来信じるすべてのクリスチャン)のためにも、お願いします。」十字架の前夜、イエスが何と私のためにも祈ってくださっていたとは、それだけでも感動します。
弟子たちのための祈りでは、イエスは「御名によって彼らを守ってください」「彼らを聖なる者にしてください」「彼らを世に遣わしました」と祈られましたが、未来信じる者のために、イエスは何を祈られたのでしょう。それが21節以下です。「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、(わたしを信じるようになる)すべての人を一つにしてください。」これが未来信じる者たちのためにイエスが祈られたことでした。この後、22節でも、23節でもくり返し「一つになる」ということが祈られています。十字架を前にして、大祭司として祈られたイエスの祈りの中心は、あの夜、イエスにとって最大の関心事は、私たちが一つになることだったのです。
エフェソの信徒への手紙には「一つになる」ということが次のように表現されています。この手紙のテーマは「教会論」です。1章の10節を詳訳聖書で見てみましょう。「すべてのものを、すなわち、天にあるものも地にあるものも、キリストにおいて一つにする〈キリストにおいて完成する〉ために、時が熟するのを〈世々の頂点を〉〔計画されたのです〕。」
「キリストにおいて一つにする」とは、もちろん教会の一致を願う祈りですが、究極的には「キリストにおいて完成する」との祈りでもあるのです。聖書全体がここにかかっているとするなら、アダムの罪によって、エデンの園を追放され、神と共にいることのできなくなった人類が、今やキリストの十字架によって、再び一つになるという、壮大な神の救いのドラマが、キリストにおいて完成するということなのです。これが大祭司であるイエスの祈りです。祭司とは、「橋を架ける」という意味があると言われますが、イエス・キリストは神と人との断絶に橋が架けられたのです。

「キリスト教はまず『形』なのよ。先に『形』を作っておいて、後から『心』が入るものなの。」
「あなたは、すぐそうやって頭で考える。頭で考えないの。御言葉に聞いてごらんなさい。」
「日々是好日」、毎日が神との出会いの好き日となりますように。

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御言葉を宣べ伝えなさい

キリストにおいて完成する

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