毎瞬間



京都の聖会で、Z教授が語られた「祈りと歌」とのメッセージは示唆に富んだものでした。
冒頭、詩編96編を読まれた教授は、詩編には96編以外にも、5つ「新しい歌を歌え」との呼びかけで始まる詩編があるが、果たして私たちに「新しい歌」が必要なのか。今までに知られている歌では十分ではないのか、との問題提起をされ、私たちのうちにある新しいものへの渇望について語られました。「私たちが日々、くり返し唱える定められた祈りが、その祈りの意義を深く考えることの妨げとなることがある。つまり、私たちの唇は動いていても、私たちの頭と心はそこになく、祈りが祈りになっていないことがある」と。そして、詩編87編のミドラッシュ(ユダヤの聖書注解)が引用されました。「井戸が毎瞬間新しい水を湧き上がらせるように、イスラエルは毎瞬間新しい歌を唱える。」
ミドラッシュとは、「捜し求める」という意味ですが、ユダヤ教の聖書注解法の一つで、行間を読むように、神の秘められた思いを捜し求めるものです。ここでは、新しい歌が、湧き上がり、流れている水にたとえられていることがわかります。
教授は「新しい歌」について、古いものを否定することではなく、祈りと賛美において、一旦立ち止まり、今までわからなかった言葉の意味を、新たな状況において自分と結びつけ、それを新しい歌、祈りにすることが大切なのだと教えてくださいました。
私たちの祈りと歌が習慣惰性に陥らないように、井戸が毎瞬間新しい水を湧き上がらせるように、神との新しい出会い日々を求めたいと思います。先ほどミドラッシュで紹介した詩編87編7節を聖書で確認しましょう。「 歌う者も躍る者も共に言う。『わたしの源はすべてあなたの中にある』と。」
エレミヤ哀歌3章22節、「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。」
「命の泉はあなたにあり、あなたの光に、わたしたちは光を見る。」「さあ、我々は主のもとに帰ろう。」毎瞬間、毎瞬間・・・。

今週も大切なことを大切に。

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わたしの源はすべて

彼らの嗣業は主御自身である

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