鶏鳴



ヨハネは、最高法院による宗教裁判と並行して起きたペトロの否認を、アンナスによる予審をはさむ形で、2ヶ所に分けて記しています。初めに第1の否認だけを記しましたが、続く箇所に第2、第3の否認が記されています。
ちょうど今頃の季節、花冷えのする夜でした。大祭司の屋敷の中庭で、そこに集まっていた人たちに紛れ、火に当たっているペトロに突然、声がかかりました。「お前もあの男の弟子の一人ではないか。」ペトロは前の時よりも語気を強め、その声を打ち消して「違う」と否定しました。それから、少し時間をおいて、「大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者」が来て、「園であの男と一緒にいるのを、私に見られたではないか」と言いました。
ゲッセマネの園での騒動を覚えているでしょうか。イエスが捕らえられようとする中、ただ一人、ペトロだけが剣を振るって立ち向かいました。そして、大祭司の下役に怪我をさせてしまったのです。その下役の名はマルコスであったと、名前まで記録されていたのは、ペトロの否認の伏線でした。「お前、あの現場にいただろう。俺は見ていたんだよ。」絶体絶命、もう逃げられません。それでも、ペトロはその声を再び打ち消しました。
ヨハネはその時のペトロの発言をあえて記さず、その後のペトロの立ち直りに関しては、復活の後の出来事として感動的に描いていますが、ルカ福音書のカメラは、この時のワンシーンをまるで一枚の写真に収めるかのように切り抜いています。それは彼が3度目にイエスを知らないと言い、鶏が鳴き出した瞬間でした。ルカ福音書22章61節、「主は振り向いてペトロを見つめられた。」
このルカの証言に従うなら、鶏の声と最後の晩餐の席で語られたイエスの言葉を結びつけたのは、イエスの愛にあふれる眼差しでした。ペトロは、「今日、鶏が鳴くまでに、三度私を知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣きました。深夜に鳴り響いた鶏の声も、イエスの眼差しも、神がペトロを眠りから目覚めさせ、もう一度はじめからやり直させるために備えられた神の恵みだったのです。
今日の写真は鶏鳴教会(ペトロの否認の現場、カイアファの屋敷跡に立つ記念教会)の尖塔に立つ十字架です。私たちの心を呼びさます声が聞こえますように。

次の日曜日は教会暦で棕櫚の聖日。キリストの最期の一週間(受難週)が始まります。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

祈りのチャレンジ

私の名前は希望です

comments





 

trackbacks

(C) 2019 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
Join me on Facebook Follow me on Twitter Subscribe to RSS Email me