成し遂げられた



「成し遂げられた」、これはキリストが十字架の上で語られた7つの言葉の第6番目の言葉です。口語訳聖書は「すべてが終わった」、新改訳聖書や詳訳聖書は「完了した」、リビングバイブルは「すべて成し遂げた」と訳していますが、文語の『十字架の黙想』に親しんでいる方は、ラゲ訳の「成り終われリ」という響きが好きだという人もいるかも知れません。ギリシャ語では「テテレスタイ」という言葉が使われていますが、もともとは「支払い済み」「完済」という意味であり、そこから解決した、決着がついたという意味で用いられることから、成すべきことを最後までやり遂げた者だけが言うことのできる勝利の宣言と言うことができます。悪意の人は、この言葉を「万事休す」と訳し、イエスは事を成し遂げられなかった、これは敗北宣言だと言いますが、この言葉には敗北の意味は全く含まれていません。
イエスが成し遂げられたこと、もう神殿で小羊が献げられる必要がなくなったということです。別の言い方をすれば、律法の完成です。マタイ5章17節、「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」これが父の御心を行うということでもありました。
神殿でささげるいけにえは、人間の罪を解決するために与えられた神の律法であり、礼拝の中心でした。ヘブライ人への手紙9章12節にはこう書かれています。キリストは「御自身の血によって、ただ一度(Once For All)聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」もう人間の罪のために、動物の血が犠牲として流される必要がなくなりました。
ですから、イエスはこう叫ばれたことになります。「聖書の巻物に私について書いてあることは、すべて成就した。モーセの時代から今日に至るまで、何世紀にもわたって、献げられてきた動物の犠牲は、手付けに過ぎなかったが、神の小羊である私の死によって、贖いは完了したのだ」と。
『キリストの最期』という本を書いたジェームズ・ストーカーによれば、「イエスが『完了した』と言われた時、全人類に向かって、『見よ、私は、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた』と言っておられるのである」ということなのです。「成し遂げられた。」この言葉がある限り、「主の名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。

10月最後の礼拝は、西宮にあるアンネのバラの教会から坂本誠治牧師をお招きしての信徒聖会です。

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