この瞬間に自分を置く



ヨハネの黙示録は、新約聖書の最後の書であり、聖書全巻の最後にある書です。黙示録は「イエス・キリストの黙示」という言葉で始まりますが、この書の最後に改めて、「わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした」と、この書を朗読する者に、この黙示の出所は私であると宣言された上で、「わたしはダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である」と御名が示されています。
「ひこばえ」とは、樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のことです。イザヤ書の11章にはメシアにつて、「エッサイ(ダビデの父)の株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち」と預言されていますが、「ダビデのひこばえ、その一族」も同様に、ダビデ王の子孫から生まれて来るメシアのことを指しています。そればかりではなく、パウロはローマの信徒への手紙の冒頭にこう記しています。「この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、私たちの主イエス・キリストです。」
さらに「明けの明星」とは、夜明け前に東の空に輝いて見える金星のことですが、イエス・キリストこそ、世界に希望の朝を告げる明けの明星なのです。世界は暗く闇に覆われていますが、やがて朝が来ます。大切なことは待つことです。
カトリックの司祭ヘンリ・ナウエンは『待ち望むということ』の中に、待ち望むことの積極性について、次のように記しています。
「私たちの多くは、待つことはとても受け身的であり、自分たちのまったく手の届かない出来事によって決定される希望なき状態であるかのように考えます。それはまるで、遅れているバスを待っているような状態です。あなたにできることは何もありません。ただじっと待つしかありません。いらだっている人が『じっと待っていなさい』と言われたらどう感じるか容易に想像できます。こうした言葉は、私たちを受身の状態に落ち込ませるかのように思えます。
しかし、こうした受け身的な人物は聖書のどこにも見当たりません。待っている人々は、とても積極的に待っています。彼らは、待ち望んでいるものが、自分たちが今依って立つ場で育ちつつあることをよく知っていました。ここに秘訣があります。
待つことの秘訣は、種はすでに蒔かれており、そこに何ごとかが始まっていると信じることです。積極的に待つとは、自分のいるところで何ごとかが起こっていることを確信しつつ、それゆえ、そこにいたいと願い、今のこの時にしっかりと自分を置くことです。待ち望む人は、今この瞬間に自分を置き、この時こそ、かけがえのない時であることを信じます。」

やがて東空に明けの明星が輝くまで、待ち続けましょう。今この瞬間に自分を置きながら。

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