息を吹きかけ



イエスは重ねて言われました。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」と。ヨハネ福音書には、他の福音書に見られるような復活のキリストによる大宣教命令は記されていませんが、この言葉こそは、ヨハネ福音書における大宣教命令です。私たちはここで語られている「ように」という言葉の意味と重みを正しく理解できているでしょうか。イエスは、弟子たちを、ご自分が御父から派遣されたのと同じ目的のために、同じ使命を与えて、同じ方法で遣わすと言っているのです。だれがこのような大役を果たすことができるのでしょう。そこで、イエスは息を吹きかけて言われました。「聖霊を受けなさい」と。イエスの行為はひとつのことを私たちに思い出させます。創世記2章7節、「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」神は人間をご自分にかたどって創造されたとき、命の息を吹き入れました。そして、人は神の命に生きる者となったのです。同じように、神の子キリストは、人類の罪を十字架の血によって贖い、罪のために失われた神の似姿を再創造するために、息を吹きかけられたのです。
カトリックはのトラピスト会の修道院長ドン・ショータルが書いた『使徒職の秘訣』は素晴らしい本です。そのはじめの方に、聖霊の働きについて、このように記されています。「かくて、聖霊は、ちりにひとしい人間を、神の境地まで高め、これを神化しようとのご計画を・・・お立てになりました。このご計画によりますと、御手によって、人間のかたちにつくられましたこのひとかたまりの土は、神のようになり、あなたの永遠の幸福にあずかることができるのです。ああ、前にも後にも絶えてあるまじき、愛の奇跡でありますことよ。」これこそ、キリストが十字架の上で成し遂げてくださった偉大な救いの結果です。
京都の新年聖会では、ドン・ショータルの言葉が少しアレンジして語られました。「「一塊の土くれが、神の息である聖霊を吹き込まれて、神の似姿に変わっていく。ああ、何という愛の奇跡でしょうか。」
あなたはこの愛の奇跡を信じますか。一塊の土くれに過ぎない私が、神の息吹を受けて、神の似姿となる。もう一人のキリストとなる。イエスはあなたに息を吹きかけて言われる。「聖霊を受けよ。聖霊に満たされよ。」

4月まで、あと40日を切りました。

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この命の言葉を語れ(3)

トマスとわたし

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