いのちとの出会い

元旦礼拝
メッセージ 「いのちとの出会い」
聖書 詩編126編1-6節、ヨハネによる福音書11章25,33-38

126:1 【都に上る歌。】主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて、わたしたちは夢を見ている人のようになった。
126:2 そのときには、わたしたちの口に笑いが、舌に喜びの歌が満ちるであろう。そのときには、国々も言うであろう。「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた」と。
126:3 主よ、わたしたちのために、大きな業を成し遂げてください。わたしたちは喜び祝うでしょう。
126:4 主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように、わたしたちの捕われ人を連れ帰ってください。
126:5 涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。
126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

11:25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
11:26 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
11:33 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、
11:34 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。
11:35 イエスは涙を流された。
11:36 ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。
11:37 しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。
11:38 イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。

新年明けましておめでとうございます。
新年の祝福をお祈りいたします。
「主よ、わたしたちのために大きな業を成し遂げてください。」

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敬天愛人



今年は、明治150年と呼ばれ、NHKの大河ドラマでも維新の立役者・西郷隆盛の生涯を描く「西郷どん」が放送されましたが、大槻牧師が書かれた『言泉集』の中にも西郷の言葉が引用されています。『西郷南州翁遺訓』という西郷の教えをまとめた本に出て来る言葉で、剣の達人と言われた山岡鉄舟のことを評した言葉です。「地位も名誉も財産もいらぬという者は、始末に困る者である。しかし、この始末に困る者でなくては、大事を共にすることはできない。」『言泉集』の12巻と15巻に出てきますので、どんなメッセージの中で引用されているのか興味のある方は、ぜひ『言泉集』を読んでください。
ところで、西郷隆盛の座右の銘と言えば「敬天愛人」ですが、この言葉は18世紀の清王朝、康熙(コウキ)帝がキリスト教認定の言葉として使ったのが起源とされ、その後、明治時代の啓蒙思想家・中村正直がキリスト教精神を要約した言葉として用い、親交のあった西郷に伝わったようです。すでに、漢訳(中国語)聖書を読んでいた西郷は、「敬天愛人」との言葉を通して、自らが信奉していた陽明学を超えた真理が、キリスト教にあると悟ったのです。
内村鑑三は名著『代表的日本人』の中でこう記しています。「敬天愛人の言葉には、キリスト教で言うところの律法と預言者の思想が込められており、私としては、西郷がそのような壮大な教えをどこから得たのか興味深い。」「西郷にとって、天は全能であり、不変であり、きわめて慈悲深い存在であり、天の法は守るべききわめて恵み豊かなものとして理解されていたようだ」と。新しい時代を切り拓いた維新の志士が、聖書を通して、心の維新を体験していたことを忘れないようにしたいと思います。
「西郷どん」の最終話のナレーションで、西郷に従った人の言葉が紹介されました。「一日西郷に接すれば一日の愛が生じ、三日接すれば三日の愛が生じる。親愛の情は日々募り、もはや去ることは出来ない。ただ、ただ生死を共にしたいのだ。」キリストに接した人もまた同じです。明日から始まる新しい年が、新しい時代を切り拓くために、涙と共に種を蒔き、喜びの歌と共に刈り入れる年となりますように。まず心の維新を求めましょう。

元旦礼拝は明日1月1日(火祝)午前10時半から。
新年の祝福を共の祈りましょう。

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君たちはどう生きるか(敬天愛人)

年末感謝礼拝
メッセージ 「君たちはどう生きるか(敬天愛人)」
聖書 ヨハネによる福音書8の56-58、創世記12の1-9

ヨハネによる福音書
8:56 「あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。」
8:57 ユダヤ人たちが、「あなたは、まだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか」と言うと、
8:58 イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」

創世記
12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。
12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。
12:3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
12:4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
12:5 アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。
12:6 アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。
12:7 主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。
12:8 アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。
12:9 アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。

今日は一年最後の礼拝。この一年のすべての恵みに感謝。
元旦礼拝は1月1日(火祝)午前10時半から。
クリスマスに続き、新年のスタートも教会で。

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ひつじはねむれり



12月のぶどう樹で紹介された「ひつじはねむれり」は、日本で生まれた美しいクリスマスの賛美歌です。

1 羊はねむれり 草の床に
  冴えゆく冬の夜 霜もみえつ
  はるかに響くは 風か水か
  否とよ御使い 歌うみ歌。              

2 真昼に劣らぬ 奇しき光
  み空の彼方に 照り輝く
  救いをもたらす 神の御子の
  生まれし喜び 告ぐる星か

3 「天には御栄え 神にあれや    
  地には穏やか 人にあれ」と  
  昔の調べを 今にかえし  
  歌えや友らよ 声も高く  


年末年始の集会は次のようになっています。
12月30日(日)午前10時半 年末感謝礼拝
1月1日(火祝)午前10時半 元旦礼拝
1月6日(日)午前10時半 新年オープン礼拝
1月10日(木)午前10時半、午後7時半 祈祷会初め

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この目であなたの救いを見た

今日は今年最後の祈祷会でした。毎週の祈祷会を大切にしてくださったみなさんに感謝。
御言葉をシェアします。ルカによる福音書2章から。

2:22 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
2:23 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。
2:24 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。
2:26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。
2:27 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
2:29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。
2:30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
2:31 これは万民のために整えてくださった救いで、
2:32 異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」
2:33 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。
2:34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
2:35 ——あなた自身も剣で心を刺し貫かれます——多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

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平和の歌「きよしこの夜」



1818年のことです。クリスマスを一週間後に控えたオーストリアの小さな田舎の教会では、遅くまで明かりが点いていました。その教会の26歳になる若い神父モールは、眠ることができませんでした。一週間後に聖誕礼拝をささげ、演劇発表会もしなければならないのに、たった一つのオルガンが壊れてしまったのです。オルガンを直そうとあれこれ調べてみましたが、田舎で修理することは難しく、新しく買えるような状況でもありませんでした。夜更けにモール神父は神に切に祈り、窓の外を眺めました。実に静かな夜でした。彼は美しい街の景色に感動を受けて、一つの詩を書きました。次の日の朝、彼は詩を持って教会のオルガン演奏者であり、学校の先生であるグルーバーを訪ねます。「先生、詩を一つ書いてみました。この詩で作曲してください。聖誕礼拝の時、ギターで演奏したらどうでしょうか。」・・・クリスマスの日、田舎の小さな教会ではモール神父の詩に、グルーバーが曲を付けた新しい歌がギターで演奏されました。これが「きよしこの夜」の初演となったのです。
今ではクリスマス・ソングの定番となったこの歌も、その年に小さな田舎の教会のオルガンが壊れていなかったら作られることはありませんでした。今年もいろんなことがありました。壊れたオルガンのように、どうにもならない現実や思いもあるかも知れません。でも、きっとそこから新しい歌が生まれてくるでしょう。今年のクリスマスも・・・。
ところで、モール神父が書いた「きよしこの夜」の歌詞には6節まであったことを知っていますか?
今では3節までしか歌われないクリスマスの名曲の4節以下には、平和への願いが綴られています。その歌詞はナポレオン戦争後の混乱した時代、飢えと貧しさに絶望し悩まされていた人々の心を癒すものでした。今の時代も同じです。きよしこの夜を新しい平和の歌として歌いたいものです。


きよしこの夜 神の御子は
憎み争う 人の心に
ともしたもう 平和の灯を

きよしこの夜 御子主イエスは
すべての人を 兄弟と呼び
迎えたもう 腕をひろげ

きよしこの夜 父なる神は
むかしも今 変わらぬ愛を
注ぎたもう 世の人に


昨日のクリスマス礼拝と今晩のイブ礼拝で、奥山正夫先生の訳による「きよしこの夜」の4節から6節を賛美しました。
「きよしこの夜」が生まれて200年目の夜に感謝。

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「きよしこの夜」物語

クリスマス礼拝
礼拝メッセージ 「『きよしこの夜』物語」
聖書 ヨハネによる福音書3章16節

3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

今年もたくさんの方とクリスマス礼拝をささげることができて感謝でした。
「きよしこの夜」が生まれて200年。誰もがクリスマスを思い出せる名曲をプレゼントしてくださった神さまに感謝。
今週も礼拝の恵みに感謝。

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見つめること



最近読んだ古い古い『二つの客間』という説教集に「星を見つめて」という素敵な文章がありました。

東方の博士を救い主に導いた星、・・・その星がどんな星であったのか、今の私たちにはわかりませんが、はっきり言えることは、その星が、東方の博士だけではなく、その地方の人には誰にでも見えたということです。
・・・リンゴはニュートンが見つめる前から地面に落ちていました。ペニシリン用の青カビ(世界初の抗生物質)は、日本の鰹節にも付いていて、フレミングがそれを見つけて薬にする前から日本にもありました。大切なことは、見つめることです。主イエスのご降誕、クリスマスの神秘は、これを真剣に見つめる人にだけ、その意味がわかるのです。

「言は肉となって、私たちの間に宿られた。私たちはその栄光を見た。」ヨハネと共に、今日も見つめ続けましょう。「それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」

次の日曜日はクリスマス礼拝。聖歌隊によるキャンドルサービスを中心に、クリスマスを祝います。
午前11時スタート。ぜひお出かけください。入場無料。
駐車場あり(満車の場合は近くのコインパーキングをご利用ください)。
お子さま連れも歓迎します。
礼拝に続いて、祝賀会(軽食)あり。最後までお楽しみください。

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三つの降臨

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
マタイによる福音書1章、ルカによる福音書1章から。

マタイによる福音書
1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

ルカによる福音書
1:37 神にできないことは何一つない。」
1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」

聖書の伝える三大ニュースは「三つの降臨」だ。
第一に、イエス・キリストの誕生(初降臨と言う)。第二に、聖霊の降臨。第三に、イエス・キリストの再臨。第一と第二については過去においてすでに実現した出来事だが、第三はこれから起こる出来事になる。もちろん、その時は神が決定されることではあるが、私たちの側から言えば、私たちの祈り、信仰と献身によって実現していただかなければならないことでもある。だから聖書にこう書かれている。「神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。」(ペトロの手紙二3:12)

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女の子孫



旧新約聖書は66巻、1189章から成りますが、罪が存在しない章がどれくらいあるかご存知でしょうか。罪を見いだすことのできない章は、聖書の一番最初、創世記の1章と2章、そして聖書の一番最後、ヨハネの黙示録の21章と22章、たった4章だけです。聖なる書であるはずの聖書ですが、実は人間の罪にまみれた、とことんまで罪について描いた書なのです。この事実は、罪の問題の解決なくして、人は絶対に幸せになれないことを私たちに教えています。ですから、聖書は贖罪について、いささかもぶれることなく、「キリストは私たちのために生まれ、私たちの罪を背負われた」というもう事実を一貫して語り続けるのです。愛である神は、人類の救いのために人となる必要があり、十字架の上で私たちのために死ぬ必要があったのです。
神が女の子孫から生まれることについては、創世記の3章、罪の始まりの章において、すでに預言されています。創世記3章は、人類の罪の始まりを克明に描いた聖書中最も暗い章ですが、すでに神の愛が散りばめられている福音の始まりでもあります。特に15節は、原福音とも呼ばれる聖書中最初のメシア預言として知られています。
「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」「女の子孫」とは、処女マリアから生まれるキリストのことです。「子孫」という言葉は本来「種」という意味で(文語訳聖書では「苗裔(ビョウエイ)」と書いて「すえ」と読ませていました)、通常男性に用いられる言葉で、「女の種」では意味をなさないのですが、女のみによる子孫、つまり処女から生まれるメシアとの意味になります。
イザヤのあの有名な預言もこの言葉を根拠としていました。イザヤ書7章14節、「それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」使徒パウロも言っています。ガラテヤ4章4節、「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子とするためでした」と。
この創世記3章から始まり、旧約聖書の至るところで語られたメシア預言のすべてを受けて、ヘブライ人への手紙にはこう書かれています。10章5節以下、「キリストは世に来られたとき、次のように言われたのです。『あなたは、いけにえや献げ物を望まず、むしろ、わたしのために体を備えてくださいました。あなたは、焼き尽くす献げ物や罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。そこで、私は言いました。「ご覧ください。わたしは来ました。聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、神よ、御心を行うために。」』」
人類救済という神の願いを実現するために、キリストはこの世界に来られたのです。これがクリスマスの真実です。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。」

今週も大切なことを大切に。

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