夜明けを待つ

新年オープン礼拝
メッセージ「夜明けを待つ」
聖書 ヨハネの黙示録22章16-21節

22:16 わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」
22:17 “霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。
22:18 この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。
22:19 また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。
22:20 以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。
22:21 主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。

今週も礼拝の恵みに感謝。

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聖なる読書



今年もよろしくお願いいたします。
年末、中日新聞のコラムにこんなことが書かれていました。

長い迫害の歴史を持つユダヤ人の世界に、母親が子どもへ問いかける伝統のなぞなぞがあるという。「おまえが家を焼かれて、財産を奪われたとき、持って逃げるものは?」。それは色も形もにおいもないとヒントが付く。答えは「知性」だそうだ。マービン・トケイヤー著『ユダヤ処世術』に教わった。
源流を同じくすると思われる、本に関することわざの類いも数多い。例えば「旅先で故郷の人が知らない本に出合ったら、必ず持ち帰れ」「貧しい時に売るのは金、宝石、家、土地。本は売ってはならない」「本は敵にも貸さなければならない。さもないと知識の敵となる」頼れるもののない土地に離散しながら、文化を失わずに生き延びる支えの一つであっただろう。
そんな本や読書の力を思えば、気になる数字である。わが国で、一カ月に本をまったく読まない人は、49.8%にものぼるという。読書習慣に関する国立青少年教育振興機構の調査である。六年前は28.1%だったから、加速しているようでもある。世代間で傾向にさほど大きな差はないようだ。スマートフォンなどの普及により電子書籍の読者は増えているようではあるが、本離れを埋めるには程遠い。本離れ、読書離れは今に始まったことではない。知らずに、世の中から失われているものの大きさを想像してしまう。色や形がないだけに、不安である。

私は「牧師の傍ら」と言うと大袈裟ですが、出版の仕事をしていますので、気になる数字、気になる記事でした。皆さんは、いかがでしょうか。
年が改まって、デボーションガイドも新しい冊子でスタートしています。3年に1度、旧約聖書を1回、新約聖書を2回通読するためのアイテムです。今回、最初のページに、「レクチオ・ディヴィナ(聖なる読書)」というお勧めを書きました。古くから修道院で実践されてきた聖書に基づく祈りの方法で、デボーションの原型とも言われている聖書の読み方です。時間をかけて、ゆっくりと、一つ一つの単語に触るように読み、行きつ戻りつしながら、同じ箇所を何度も読むそうです。すると、聖書を読む時間が祈りになると、『目からウロコ、聖書の読み方』という本で学びました。個人的には、今年、こういう読み方にも挑戦できたらと思っています。読み方はともかく、今年もみんなで聖書通読に挑戦し、御言葉を慕い求める一年にできれば感謝です。今年も大切なことを大切に。

明日は志摩にあるテベリヤ教会の新年礼拝、日曜日は名古屋で新年最初のオープン礼拝です。
ぜひお出かけください。

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「一輪の花」として生きる

元旦礼拝
メッセージ 「『一輪の花』として生きる」
聖書 イザヤ書35章1-6節

35:1 荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ
砂漠よ、喜び、花を咲かせよ
野ばらの花を一面に咲かせよ。
35:2 花を咲かせ
大いに喜んで、声をあげよ。
砂漠はレバノンの栄光を与えられ
カルメルとシャロンの輝きに飾られる。
人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。

35:3 弱った手に力を込め
よろめく膝を強くせよ。
35:4 心おののく人々に言え。
「雄々しくあれ、恐れるな。
見よ、あなたたちの神を。
敵を打ち、悪に報いる神が来られる。
神は来て、あなたたちを救われる。」

35:5 そのとき、見えない人の目が開き
聞こえない人の耳が開く。
35:6 そのとき
歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。
荒れ野に水が湧きいで
荒れ地に川が流れる。

新年の祝福をお祈りいたします。

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最初のしるし



昨日は、年末の感謝礼拝。毎年恒例、一年の出来事を写真で振り返るPhotoMovieを見ていただき、数名の方に、一年をふり返り、ひと言ずつ報告と感謝を述べていただきました。家庭教会学校のこと、聖歌隊の福井伝道のこと、選民集会のこと、結婚と受洗10年の恵みなど。ほんとうはみんなにマイクを回して、話してほしいほどです。
大阪や石川県からも、年末、名古屋に来ていた人たちが礼拝に加わってくださったのも嬉しいことでした。
メッセージは、実習中の神学生にお願いしましたが、ヨハネによる福音書2章から御言葉をシェアしてくれました。来年は、名古屋教会献堂50周年の記念の年。その年を迎えるに当たって、一年の最後に「最初のしるし」に導かれたことに感動し、「良いぶどう酒を今まで取って置かれました」との言葉に心が震えました。来年、水がぶどう酒に変えられるような奇跡が起こることを信じます。さあ、水がめに水を満たしましょう。

2020年1月1日(水祝)、元旦礼拝は午前10時半から。
1月5日の初週礼拝は新年のオープン礼拝です。新年の祝福を共に祈りましょう。

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救いの泉から水を汲む

年末感謝礼拝
メッセージ 「救いの泉から水を汲む」長谷川義也神学生
聖書 ヨハネによる福音書2章1-11節ほか

2:1 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
2:4 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
2:5 しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
2:6 そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
2:7 イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
2:8 イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。
2:9 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、
2:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
2:11 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

イザヤ書
12:2 見よ、わたしを救われる神。
わたしは信頼して、恐れない。
主こそわたしの力、わたしの歌
わたしの救いとなってくださった。」
12:3 あなたたちは喜びのうちに
救いの泉から水を汲む。

今年最後の礼拝でした。今週も礼拝の恵みに感謝。

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秘密の花園



フランシス・バーネットの『ザ・シークレット・ガーデン(秘密の花園)』という物語をご存じでしょうか。
主人公はメアリーという10歳の少女です。彼女が住んでいた町をコレラが襲い、彼女は両親を失いました。メアリーは、イギリスはヨークシャーの大富豪、叔父のミスター・クレイヴンに引き取られます。ミスター・クレイヴンの豪邸には、高い壁に囲まれた誰も入れない庭がありました。そこは亡くなったミセス・クレイヴンが愛したバラ園で、若い夫婦はいつもその美しい園で楽しい時を過ごしていたのでした。ところが、ある日、ミセス・クレイヴンがその園で亡くなりました。深い悲しみのため、ミスター・クレイヴンは園の入り口のドアを固く閉じ、鍵をかけてしまいました。それ以来、もう10年間、その園には誰も入ったことがなく、入り口がどこかわからないほど、木や草が生い茂げる所となってしまいました。ある日、メアリーが庭で遊んでいると、土の中に錆びた鍵を見つけます。彼女は不思議に思い、その鍵を試しに、園の扉の鍵穴に指し入れてみました。するとなんとその重い扉が開いたのです。しかし、園は彼女が想像していた美しい花園ではなく、荒れ放題に荒れていました。メアリーは婦人を失い、今も悲しみの中にある叔父のために、友だちと一緒に、雑草を抜き、土地を耕し、種を蒔き、ついに以前のように美しい花園を回復させたのです。そして、ある日、メアリーの愛によって、再び美しくよみがえった花園を叔父のミスター・クレイヴンが見たとき、彼の長く閉ざされ錆びついた重い心の扉もついに開かれ、癒やされていくという美しいストーリーです。
私たちの心にも神が愛された美しい園がありました。しかし、その園はアダム以来、罪によって荒れ果てた状態です。だれもが過去の失敗や過ち、その痛みや悲しみによって心を閉ざし、誰も、自分さえもそこに入れないように扉に鍵をしています。しかし、神は私の心にある園の扉を開き、再び美しい神の花園とするために、クリスマスの夜、この世界に来られたのです。
旧約聖書のイザヤ書にこんな素敵な言葉を見つけました。「わたしは・・・砂漠を花畑とする。荒野はエデンの園のように美しくなる。」(イザヤ51:3LB)神は今日も、あなたの心にある「The Secret Garden(秘密の花園)」を取り戻すために、長く閉ざされてきたその重い扉を開きたいと望んでおられるのです。イエス・キリストを信じる心、それが扉を開く鍵です。
『THE SECRET GARDEN』は今までも映画化されて来ましたが、来年新作が公開されるようです。

クリスマスに続き、新年のスタートも教会で(年末年始の集会)。

12月29日(日)10時半 年末感謝礼拝
1月1日(水)10時半 元旦礼拝
1月5日(日)10時半 新年オープン礼拝

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東の方から

今年最後の祈祷会。今年も一年、祈祷会に励んでくださった皆さんに感謝。
御言葉をシェアします。マタイによる福音書2章から。

2:1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、
2:2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
2:3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
2:4 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
2:5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
2:7 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。
2:8 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。
2:9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
2:10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
2:11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
2:12 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

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中心



クリスマスの中心は、ベツレヘムの馬小屋で生まれた神の子イエス・キリストです。イエス・キリストの誕生を境に、歴史は紀元前と紀元後に分かれましたので、イエス・キリストこそ、歴史の中心とも言うことができます。もちろん、聖書の中心もイエス・キリストです。
世界のベストセラーと呼ばれる『聖書』は分厚い本ですが、簡単にまとめるとこういう話しです。聖書は天地創造の物語から始まりますが、神は美しい世界を造り、最後に御自分の姿に似せて人を造られました。ところが人は罪を犯して、エデンの園から追放されます。失楽園です。神は絶対の正義ですから、罪は罪として罰しなければなりません。しかし同時に、神はどこまでも愛ですから、人が罪のうちに滅びるのを放っておくことができませんでした。ここに神のジレンマがありました。しかし、神の愛は裁きに勝りました。神はその独り子をお与えになったほどに世を愛されたのです。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためでした。そうすることで、人は失われたあの楽園を、その心に取り戻すことができるようになったのです。その楽園の回復の中心にいるのがイエス・キリストなのです。

昨日のクリスマス礼拝、聖歌隊によるキャンドルサービスと降誕劇、続いてもたれた祝賀会、その一場面一場面を思い起こし、感謝があふれてきます。正直、すべてが満点でだったのではなく、上手くいかなったところもあります。でも、みんなの一生懸命な姿が、笑顔が、やさしさがそれをカバーしました。そんなクリスマスが大好きです。
今週も大切なことを大切に。

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The Secret Garden

クリスマス音楽礼拝と祝賀会
聖歌隊によるキャンドルサービスと降誕劇
メッセージ 「The Secret Garden(秘密の花園)」クリスマスの目的番外編
聖書 イザヤ書51章3節リビングバイブルほか

51:3 わたしは・・・砂漠を花畑とする。荒野はエデンの園のように美しくなる。

今年も大ぜいの方と共に、クリスマスをお祝いすることができ感謝でした。
礼拝の恵みに感謝。

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愛の見える化



クリスマスの神秘、神が人となられた理由について、3つお伝えします。
第1に、神が人となられたのは、父なる神を現すためです。愛の「見える化」と言うこと。イエスは言われました。「わたしと父とは一つである。「わたしを見た者は、父を見たのである」と。結局のところ、神が愛であることを現すためには、神が人となる以外に方法はなかったのです。神は、神の愛を示すために、愛を「見える化」する必要がありました。
第2に、神が人となられたのは、神に従って生きる人の模範になるためです。33年の生涯を通して、愛すること、与えること、仕えること、働くこと、祈ること、命のレッスンをしてくださったのです。あるニュース番組に、中村哲さんを慕って、いま日本で学んでいる学生が紹介されていました。彼が最初に中村さんと出会ったときのことです。事務所で、背広を着て、携帯を片手に仕事をしているのかと思ったら、事務所に中村さんの姿はありません。用水路を作っている現場に行ってもそれらしき人が見つからないのですが、よく見ると地元の人と同じ服で、誰よりも泥だらけになって働いていたのが中村さんでした。見分けがつかないほど、その土地に溶け込んでいたというのです。それは愛の見える化であり、良き模範となりました。
第3に、神が人となられたのは、私たちの弱さを知るためです。ヘブライ人への手紙4章15節、「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」イエスは、マリアの子として生まれ、その生涯を通じて、貧しさも、苦しみも、悲しみも、孤独も、別離も、私たちと同じように経験してくださったので、ご自分を通して神に近づく者を救うことがおできになるのです。

次の日曜日は、クリスマス礼拝です。第一部は、聖歌隊によるキャンドルサービスと降誕劇。昼食をはさんで、第二部は、祝賀会。子どもたち、青年たちの出し物とお楽しみプログラム。クリスマス礼拝は午前11時から。家族そろってお越しください。


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