5月のオープン礼拝



5月のオープン礼拝(キリスト教のススメ)は母の日特集、テーマは「人を美しくするもの」。
「令和」という新しい元号には、明日への希望とともに、それぞれの花を咲かせることができる国になるとの願いが込められています。人間は一人ひとりが花です。小さな花もあれば、大きな花もあり、早咲き、遅咲き、いろいろですが、花の使命は咲くことです。自分にしか咲かせられない花を一番美しく咲かせることです。

毎月第1日曜日(今月は第2日曜)は、教会は初めてと言われる方にも入りやすいオープン礼拝です。
ぜひお出かけください。弥富公園東、丘の上の教会です。
入場無料、駐車場あり、お子さま同伴も歓迎します。

オープン礼拝は、日曜の朝10時30分から。
弥富公園東、丘の上の教会。

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わたしの国



5月1日に新天皇の即位と共に改元が行われ、日本は「令和」という新しい時代を迎えました。外務省は、諸外国に向けて「令和」という元号の意味を、Beautiful Harmony(美しい調和)と伝えているようです。令という字が、命令の令という字なので、当初、orderとかcommand(命令とか秩序)と報じられたようですが、令とは美しい、和とは調和という意味です。この国にとって令和が、美しい調和の時代となることを心から願います。
さて、毎週の礼拝で『ヨハネによる福音書』をシリーズで学んでいますが、ローマ総督ピラトによる裁判が始まっています。ピラトは総督官邸の外にいるユダヤ人の訴えを聞くとは足早に官邸に戻り、イエスに対する尋問を始めます。個人的な対話はヨハネ福音書の特徴ですが、イエスとピラトとの対話です。「お前がユダヤ人の王なのか。」するとイエスは、「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか」と鋭くつっこみました。
ピラトは軽蔑と皮肉を込めて、「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか」と問い返します。イエスの答えです。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」
ここでイエスが語られた「わたしの国」こそ、この世には属さない、まさに神と人が、そして神を中心に、人と人が美しい調和を実現した神の国なのです。イエスは十字架の前夜、天を仰いで祈っておられました。「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。・・・わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。」ここに神の国のBeautiful Harmonyがあります。しかし、この神の国の到来を実現するためには、ただ一つの方法しかありませんでした。それが十字架だったのです。

GWも最終日ですね。今週も大切なことを大切に。

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美しい調和

礼拝メッセージ 「美しい調和(Beautiful Harmony)」
聖書 ヨハネによる福音書18章28-32節ほか
ヨハネによる福音書シリーズ(161)

18:28 人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。
18:29 そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。
18:30 彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と言った。
18:31 ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。
18:32 それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。

17:21 父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。
17:23 わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。

令和最初の礼拝。今週も礼拝の恵みに感謝。

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カジモド



イースター後の最初の日曜日が「白衣の主日(神の慈しみの主日)」とか「カジモド・サンデー(Quasimodo Sunday)」と呼ばれるのをご存知ですか?
この日曜日、復活節の第2週(平成最後の礼拝)のメッセージを「ノートルダムの鐘」と題して語りました。このタイトルはディズニーの映画や、最近では劇団四季の演目としても知られていますが、原作はフランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーの長編小説「ノートル=ダム・ド・パリ」です。
15世紀末の混乱するパリのノートルダム大聖堂を舞台に、美しいジプシーの娘エスメラルダをめぐる大聖堂の副司教フロロー、青年警備隊長フィーバス、そして聖堂の鐘つきをしているせむし男のカジモド、彼らの愛と哀しみを描く物語ですが、原作は映画や舞台とは少し異なります。映画や舞台では、カジモドを中心に物語が展開していきますが、原作では、彼が主人公というわけではありません。原作によると、カジモドという名は、「彼が拾い上げた日にちなんだものだったが、また、この名が、可哀そうな赤ん坊のほとんどと人間の形をなしていない姿をよく表していると思ったからだ。事実、独眼で、背中にこぶがあり、X脚のカジモドは『ほぼ』人間の形をした生き物であるとしか言いようのない子供だった」ところから名付けられています。映画ではそれを「できそこない」と表現していましたが、ほぼ人間のような者、それがカジモドという意味です。しかし、その名は彼が拾い上げられた日にちなんで付けられた名前でもありました。この乳飲み子が拾われて来たのは、「よく晴れた白衣の主日の朝のことだった」とユーゴーは書いています。彼がカジモドという名を付けられたのは、ただ絶望のためではなく、イースターの次の日曜日、キリストの十字架と復活を通して、私たちがまるで生まれたばかりの赤ちゃんのように、新しい人に生まれ変わることができるという希望でもあったのです。
カジモド・サンデーには、ペトロの手紙一の2章2節からはじまる祈りがささげられました。「生まれたばかりの乳飲み子のように」、それがカジモド・サンデーの名前の由来です。
ノートルダムの鐘のように、キリストの十字架と復活のメッセージが地の果てにまで鳴り響きますように。だれでもキリストにあって、生まれたばかりの乳飲み子のように、新しい人生を生きることができるという希望のメッセージと共に。

令和最初の礼拝は「美しい調和(Beautiful Harmony)」と題してメッセージを語らせていただきます。

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エバと道とマリアの道

令和になって最初の祈祷会。今週も祈祷会を大切に。
御言葉をシェアします。箴言とルカによる福音書から。

箴言
5:7 それゆえ、子らよ、わたしに聞き従え。わたしの口の言葉からそれてはならない。

ルカによる福音書
1:37 神にできないことは何一つない。」
1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」

今日は、今月のぶどう樹と『リベカ抄』からお勧めがありました。
新しい時代、私たちの聞く言葉によって、私たちは災いの源にも祝福の源にもなり得るのです。
どちらの道を選びますか?

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明日がある



今月15日、世界文化遺産でパリの象徴でもあるノートルダム大聖堂が大規模な火災で、建物の一部が焼失しました。1163年着工の大聖堂は、ゴシック建築の代表建造物であり、1804年には皇帝ナポレオンの戴冠式もここで行われ、ヴィクトル・ユーゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ」の舞台でもあります。大聖堂は単にフランス・パリの象徴というだけではなく、宗教・歴史・文化のシンボルでした。
火災の翌日、「消失を逃れた十字架を確認」と報じられ話題になりました。「外から差し込む明かりが、床から立ち上る煙や、左側の壁を白く照らす中、入口から真直ぐ向かった先に十字架が消失を逃れて立っている様子が確認できる。」十字架のもと、差し込む光の先には、ピエタ像も写っています。
10時間以上燃え続けた大聖堂を見たパリ市長は「私たちの一部が燃えている」と語り、フランス国民だけでなく世界がショックと悲しみの内に沈みました。そんな中、駆け付けたマクロン大統領は、大聖堂が火に飲み込まれていく光景を目にしながら、「明日から、私たちは大聖堂を再建する」と力強く語らっていました。まるで焼け残ってなお光り輝く十字架のように、問題や試練の中でも屈することなく、明日に希望を託して立ち上がる一国のリーダーに敬意を表したい気持ちになりました。
先週はイエス・キリストの復活を祝うイースターでした。死と闇の力を打ち破り、キリストはよみがえられたのです。焼失を逃れた十字架は、私たちにもキリストの十字架のゆえに「明日がある!」というメッセージを伝えてくれているように思えます。

平成から令和へ。今週も大切なことを大切に。

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ノートルダムの鐘

礼拝メッセージ 「ノートルダムの鐘」
聖書 ヨハネによる福音書18章28-32節
ヨハネによる福音書シリーズ(160)

18:28 人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。
18:29 そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。
18:30 彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と言った。
18:31 ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。
18:32 それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。

ペトロの手紙一
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。

今週も礼拝の恵みに感謝。

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平安と驚き



キリストが復活された日の夕べのことでした。弟子たちはユダヤ人を恐れ、自分たちのいる家の戸に鍵をかけ、絶望の中に座り込んでいました。するとそこへイエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われたのです。イエスは十字架の上で付けられた手と脇の傷を弟子たちにお見せになりました。すると「弟子たちは主を見て喜んだ」と聖書に書かれています。
詳訳聖書では、この喜びが次のように訳されています。「弟子たちは主を見て喜び<歓喜、狂喜、陶酔、有頂天>に満たされた。」欣喜雀躍する弟子たちの姿が生き生きと描かれています。私たちの罪のために十字架で死に、三日目に復活されたキリストこそ、私たちの喜びの源泉なのです。
キリスト教の中心は、イエス・キリストの十字架と復活です。別の言葉で言えば、十字架によって罪を赦された平安と、死の力が打ち破ぶられた驚きです。平安と驚き、これこそイースターのメッセージ、そしてキリスト教の原点です。十字架によって私たちの罪が赦されたという平安、キリストが死を打ち破り、今も生きておられるという驚き。ここにこそ、私たちの人生を再建させるに必要な知恵が、希望が、十分に備えられているのです。二千年前のあの日のように、私たちもこの平安と驚きの神に出会うことができるのです。この平安と驚きを失うことがありませんように。
「イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。<歓喜、狂喜、陶酔、有頂天>に満たされた。」

平成から令和へと時代が移り変わります。明日への希望と共に、だれもが大きな花を咲かせる時代となりますように。

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心は燃ゆ

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
ルカによる福音書24章から。

24:28 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。
24:29 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。
24:30 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。
24:31 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
24:32 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。

復活の主との心燃やされる出会いが与えられますように。
『あかしびと』から「十二の御名」の記事の一部も合わせて学びました。

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再建に必要な知識は十分にある



パリのノートルダム大聖堂で大規模な火災が起こり、850年もパリを見守り続けてきた歴史的な大聖堂が焼け崩れる映像が世界に流れました。廃墟と化した聖堂の中、ただ祭壇の十字架だけが残されている写真も話題になっているようですが、様々な形でメディアに取り上げられています。その一つ「ノートルダム大聖堂、失われたものと残ったもの」という記事を読みました。
「穏やかな春の夕暮れ、ノートルダム大聖堂は炎に包まれた。パリの警察と消防隊員は、一刻を争うようにして持ち運び可能な貴重品の数々を建物の外へ運び出した。そのなかには、キリストが十字架刑に処せられたとき頭にかぶせられていたとされるいばらの冠や、ルイ9世が着ていたとされる服が含まれていた。(中略)だが、残念ながら動かせないものもあった。北塔と南塔の巨大な鐘は、フランス史上重要な出来事があると鳴らされてきた。8000本のパイプからなる巨大オルガンは、完成までに数世紀かかり、大聖堂を荘厳な音楽で満たした。太陽の光を受けてきらめく巨大な円形のステンドグラス「バラ窓」は、中世の時代から大聖堂の通路を照らしてきた。本記事の執筆時点で、これらの損傷の程度はわかっていない。今のところわかっているのは、既に多くの動画や写真にも記録されているように、エッフェル塔に並ぶパリの象徴として空高くそびえていた19世紀の尖塔が炎に包まれて崩落したということだ。(中略)専門家は、ノートルダムを元の形に戻すために必要な知識は十分にあると語る。屋根裏の構造はすでに細部まで調査され、3Dスキャンしたデータが残されている。専門知識を持った職人は、中世の大工が使っていた道具を扱う技能も備えている。」
再建に必要な知識は十分にある。・・・ノートルダム大聖堂、失われたものと残ったもの。いかがでしょうか。人生にも傷ついたり、崩壊したりするような時があるかも知れませんが、聖書には、私たちの人生を再建させるのに必要な知識が十分に備えられています。その最大の望みは、イエス・キリストの十字架と復活です。復活の主を見上げましょう。
来週の予告です。来週は、平成最後の礼拝メッセージを「ノートルダムの鐘」と題して語ります。お楽しみに。

今週も大切なことを大切に。

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