なぜ?



マリアがナルドの香油をイエスに注いだ時、マタイの記事によれば、弟子たちが彼女の行為を「なぜ、こんな無駄なことをするのか」と叱責していますが、イエスは、マリアがした以上のことを、これからしようとしていました。イエスはその命までも、弟子たちのために、そして私たちのために注ぎ尽くし、使い果たそうとしておられたのです。それは無駄なことだったのでしょうか。いいえ無駄ではありませんでした。
もう一つの「なぜ」があります。ヨハネは、ここであのイスカリオテのユダが「なぜ、この香油を300デナリオンで売って」と言った言葉を記録しています。彼は、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたとも書かれています。彼の「なぜ」は、やがてイエスを銀貨30枚で売ってしまう、怖ろしい「なぜ」です。「なぜ」という問いかけは、動機を探る時に大切ですが、「なぜ」と言いながら冷静に計算を始めてしまうと、できなくなることが多くなるのではないでしょうか。そして、いつの間にか、大切な香りを失ってしまうのです。
人生にはいつでもできることと、たった一回しかできないことがあるのです。マリアは、やがて私たちのためにその命を惜しみなく献げ尽くしてくださるイエスを思い、イエスに葬りの備えとしてこの油を注いだのです。その時の状況をヨハネは「家は香油の香りでいっぱいになった」と美しく表現しています。計算高い私たちは、時に人と比較したり、過去と比較したりしながら、最小限にキリストと教会に献げるにはどうしたらよいかと間違ったことを考えます。しかし、そんなクリスチャンには、そんな教会には香りがありません。
先日、教区の先生方の集まりが持たれました。神学院の開校70年と言うことで、先生方と献身の証しを分かち合いましたが、今年暦年50年を迎えられたN先生が最後に、「皆さんにお願いがあります」と前置きされて、「どうぞ福音の香りを失わないでください」とおっしゃいました。いろいろな意味があると思いますが、キリストのために献げ尽くした人にしか醸し出せない福音の香りを大切にしたいと思いました。「いとも良きものをイエスに献げよ。熱き汝が心、若き力を。」

次の日曜日はイースター礼拝です。ぜひお出かけください。

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愛の本質



ヨハネ福音書は21章ありますが、12章からキリストの最後の一週間が始まります。ですから、ヨハネは福音書の半分を費やして、キリストの最後の一週間を記録していることになります。ここにヨハネが本当に伝えたかったことが記されているのです。12章は、11章の続きの記事で、ラザロを囲む食卓でなされた事件から始まります。よく知られたイエスへの油注ぎの物語です。共観福音書にも見られる記事ですが、それぞれシチュエーションが異なります。詳しくは改めて説明します。
3節を御覧ください。「そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」ここで彼女が惜しみなく注いだナルドの香油とは、どれほど高価なものであったのでしょうか。イスカリオテのユダはそれを300デナリオンで売れると見積もっています。1リトラが300グラムほどなので、量は小さいペットボトルくらいということになります。1グラムで1デナリオンということです。1デナリオンは労働者の1日の賃金ですから、300日分の賃金、年収に相当する額と考えられます。仮に1日1万円で計算すれば300万円です。
パンの奇跡の場面を思い出せるでしょうか。イエスと弟子たちが、どうしたら群衆に食物を与えることができるかと話していた時、弟子のフィリポが「200デナリオンのパンがあっても足りない」と答えています。そこにいたのは男だけで5000人、女性や子どもを含めればその倍はいたにちがいありません。すると300デナリオンとなれば、祐に1万人の給食を準備できるほどの額であったということです。それを高く売って、貧しい人に施すことができたと言われても無理からぬことでした。
普通は、香水のように一滴か二滴かをたらして使うものを、彼女は何を血迷ったのか、たった一回で使い切ってしまったのです。マルコでは、壺を「壊して(割って)」と書かれています。その壺というのも、高価なものであったと思われますが、この愚かとさえ思える行為の中に、愛の本質を見ることができるのです。愛は計算しません。損得を考えません。愛は最大限に与え、すべてを与えた後で、もっと与えたいと望むものなのです。

桜がきれいですね。今週も大切なことを大切に。

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民の代わりに死に



イエスの友ラザロの復活について、時間をかけて学んできました。福音記者ヨハネは、随分と長い前置きしながら、復活の場面は簡潔に描き、更にこの奇跡のために、ユダヤの最高法院(わかりやすく言えば国会のようなもの)が招集され、ある決議がなされたという事実を再び紙面を割いて伝えています。
ユダヤの最高法院、サンヘドリンと呼ばれる議会は70名から構成されていましたが、多くはサドカイ派と言われる一派で、エルサレムに住む祭司や富裕層からなる特権階級の人々でした。イエスとの衝突をくり返してきたファリサイ派の人々は、イエスが安息日を無視し、自分を神の子と呼んだことでイエスを憎んでいましたが、サドカイ派の人々は、イエスの言動については、この時まで、ある意味無関心でした。ところが、ラザロの復活のうわさがエルサレムに広まるにつれて危機感を覚え、ファリサイ派と結託することになったのです。
彼らは言います。「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」つまり、このままイエスを放っておけば、ユダヤの議会は民衆に対する指導的な立場を失い、すべてをローマに乗っ取られてしまうかも知れないという懸念を、彼らは抱いていたということです。
そこで発言したのが、この後、キリストの受難劇で大きな役割を果たすことになる「その年」の大祭司カイアファです。ヨハネはここで「その年」という言葉をくり返し使い、「その年」が特別な年であったことを印象づけようとします。「その年」の大祭司がカイアファだったのです。モーセの律法によれば、本来、大祭司という職は終身制でしたが、イエスの時代には、ローマ帝国の支配下にあって、次々と大祭司が代わっています。そのような中、カイアファのしゅうとアンナスの一族が、ローマ政府におもねり、長い間、実権を握っていたのです。アンナスの娘婿であったカイアファは狡猾な人物で、18年その職に就いていました。それは異例の長さでした。
カイアファの言葉です。「あなたがたは何も分かっていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だと考えないのか。」イエス一人を殺し、この国を救おうという彼の提案は、そこに集まり、イエスの問題で手をこまねいていた議会を忖度しての政治的な発言でしたが、誰にとって好都合かというと、「あなたがたに」とってというのですから、それは自己保身によるものでした。彼らが守りたかったのは、彼らの立場であり、既得権だったのです。そこで、ラザロの復活の直後、「その日」イエスの死が決定されました。もう過越祭が近づいていました。ラザロの死と復活は、キリストの死と復活の序曲であったと話してきましたが、ラザロが復活したその日、すでにイエスの死が、議会では決定したのです。
カイアファの言葉ですが、過越祭を目前にして、カイアファは、大祭司の特別な務めのことを思って、このような発言をしたのではないでしょうか。過越祭には全イスラエルを代表して、一年の一度だけ、大祭司が神殿の至聖所に小羊の血を携えて入り、民のために祈りました。一匹の小羊は民の身代わりの犠牲でした。ヘブライ人への手紙には、真の大祭司であるイエス・キリストのことがくり返し記されています。「キリストは・・・動物の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度だけ聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです」と。
やがて、イエスの死を目撃したヨハネは、声を大にして叫びます。「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいまいた。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。」「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
春の京都聖会のロゴス神学院開校70周年記念集会で次のように教えていただきました。「自分には愛がないと思う人は、愛が一番たくさんある所に行き、そこにとどまりなさい。愛が一番たくさんある所、それは十字架です。」
「私の救いの原因である十字架、私を清め神化する十字架、天国の道である十字架、私のすべてである十字架。」
「主はすべてだ。」このひと言に尽きる。

次の日曜日は棕櫚の聖日、受難週に入ります。今年は16日がイースター(復活祭)です。

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十字架とキリスト像



教会暦では次の日曜日が棕櫚の聖日で、その日からキリストの最後の一週間(受難週)が始まります。こんな話しを聞きました。
2003年の8月、ニューヨークにあるホーリークロス教会に泥棒が入りました。泥棒は献金箱と十字架のキリスト像を盗んで行ったそうです。キリスト像は等身大のもので重さが100キロ以上あったのですが、泥棒はキリスト像を十字架から取り外し、十字架を残して、ご像だけを持って行きました。教会のスミス神父は「どうして泥棒が十字架を残し、キリスト像だけを持って行ったのか、私にはわからない。十字架像というものは、キリストと十字架が一つになって、はじめて意味のあるものだから」と語ったそうです。
もしかするとこれは泥棒の話ではないのかもしれません。キリストと十字架が一つであるように、私たちクリスチャンも十字架と一つです。私たちは、キリストを十字架から外して、キリストだけを手に入れようとしてはいないでしょうか。キリストの愛、恵み、祝福、癒しはいただくが、十字架は、試練は、苦難は、犠牲は要らない、そんな態度をとってはいないでしょうか。キリストは言われました。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と。
今年は、「『十字架の黙想・平成版』、これで行こう」と、くり返しお勧めしていますが、受難週を前に、いよいよ深く、この書を学び味わっていただきたいと思っています。『あかしびと』の最新号には、お正月に紹介した老牧師の証しが掲載されていますが、牧師はこの本を読んで、「神は愛であり、愛する者をキリストの似姿に変えようとしてくださっていることがわかった」と記しています。「読書百遍」、どうぞ毎日の聖書通読と併せて、何度も読んでください。
今日は、3日、ゲッセマネの園での出来事が学べます。「ゲッセマネに伏す、主を思いなば・・・、己を捨てて、君に従わん。」

今週も大切なことを大切に。

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墓を背にしたラザロと墓に向かうイエス



ラザロの墓が開かれると、イエスは大声で「ラザロ、出て来なさい」と叫ばれました。イエスの神々しい声が響きました。何が起こったでしょう。「すると死んでいた人が、手と足を布でまかれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、『ほどいてやって、行かせなさい』と言われた。」
そうです。死んで四日もたっていたラザロが墓の中から出て来たのです。11章の初めから始まったラザロの死と葬り、復活の物語ですが、ヨハネは最後、この一節だけにラザロの復活を簡潔に描きました。ある人は、「手と足を布でまかれたままで、どうして出て来ることができたのか」と突っ込むかも知れません。しかし、そのような疑問や詮索は、ここでは無意味です。
一枚の絵を御覧ください。ジオットが描いた「ラザロの蘇生」です。よく見ると鼻を覆う人、布をほどきにかかる人、驚く人、足元にひれ伏すマルタとマリア、それらの群像の中で、イエスとラザロが向き合っています。墓を背にしたラザロと墓に向かうイエス・・・。それはラザロと引き換えに、イエスが墓に葬られることを暗示しているように見えます。
あなたはこの絵のどこに自分を見るでしょうか。イエスはご自分の命と引き換えに、今日もあなたを死から命へと呼び出そうとしておられるのです。第一コリント15章54節、「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。」イエスは言われました。「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、・・・死から命へと移っている。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。」「「ラザロ、出て来なさい。」

明日から4月、新生活が始まる方の上に祝福を祈ります。

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農村の改革者



先日の書きましたが、京都の聖会でメッセージを聞きながら、学生の頃、夢中で読んだ『農村の改革者』という聖人伝のことを思い出しました。アルスの聖司祭ヴィアンネー神父(1786年 –1859年)の伝記です。

フランスのリヨンからほど近いアルスの村は、当時人口わずか230人、60世帯ほどの小さく貧しい村でした。村人の信仰は名ばかりで、決して熱心な信徒ではありませんでした。そんな村に、「あそこの教会には、あまり神の愛がないから、あなたが行って、それを植え付けてやりなさい」と言われ、彼はアルスに赴任したのです。彼がアルスに近づいた頃には、もう日が沈みかけていました。道に迷い、牧童に教えられて、ようやくアルスに入った彼は、人家の屋根が見えてくると、そこにひざまずき祈りました。祈りが終わると、彼はこうつぶやくのです。「この教区は、今に、来る人々が入りきれないようになる。」
しかし、現実は、彼の赴任当初、毎朝のミサにあずかるのは2、3人の婦人だけでした。日曜のミサも、村人は口実をさがして、すぐに欠席し、出席している人々も、堪えがたい退屈の色をあらわし、居眠りをする者、私語をかわす者もいました。説教が終わると、ほとんどの人が新鮮な空気を吸いに、教会を飛び出して行ったと言います。
しかし、神父の不屈の信仰と祈り、努力によって、10年あまりが経ったとき、アルスの村は全く変えられてしまったのです。死んだようなアルスの村がよみがえったのです。そして、ついにフランス中から、いいえ国境を越えて多くの巡礼者が集まって来るようになりました。聖人の足跡を尋ねて巡礼者が集まることはあっても、現在生きている人を尋ねて、巡礼者が集まることは、教会の歴史の中でもまれなことです。ところが、ヴィアンネー神父の存命中、30年に渡って、アルスの聖堂には昼夜人影が絶えることがありませんでした。
その頃の様子を伝えるのが、あの有名なエピソードです。「アルスの聖司祭ヴィアンネー神父の声は、あまりに低かったので、説教のとき、かれの周囲におしよせる群衆には、よくききとれなかった。しかし、人びとには、ヴィアンネ神父のいうことは全然きこえなくても、かれの姿はみえた。神の霊に乗りうつられたような、かれの姿はみえた。彼の姿をひと目みただけで、聴衆はみな感動し、心服し、回心した。アルスの巡礼から帰って来た一人の弁護士に、ある人が、『アルスで、どんな印象を受けましたか』と、たずねてみた。『そうですネ、わたしは、人間のなかに、「神さま」をみましたよ!』これが、弁護士の答えだった。」
主は、アルスの村で起こった、そして、ヨハネ11章のベタニアの村で起こった途轍もない奇跡を、私の住む町にも、あなたの住む町にも起こすことができるのです。あなたはそれを信じますか。

今週も大切なことを大切に。

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敬虔な老農夫の話



学生の頃、夢中になって読んだ『農村の改革者 聖ヴィアンネー』から紹介します。

アルスの農夫に、ルイ・シャッファンジョンという老人がいた。ヴィアンネー師は、彼のことをこう物語った。

この村に数年前に死んだ敬虔な老農夫があった。彼は毎朝、畑に出かける前に、教会に寄って祈りをしたが、ある日、鍬を聖堂の入口に置いたままで祈りに夢中になってしまった。近所で働いている農夫たちは、どうして彼が来ないのだろうと不思議に思ったが、ふと思いついて、帰りに聖堂に寄ってみた。はたして、その男はそこにいた。
 「いったい、お前は長いこと、なにをしていたのか?」と聞くと、「私は神を見ていました。それから神も私を見ておいでになった」と彼は答えた。

師はこの話しをたびたびくり返していたが、「彼は神を見、神は彼を見ておいでになった。子どもたちよ、宗教はこのひと言につきている」と、いつも付け加えて村の人たちに教えた。しかり老農夫が到達した観想の境地こそ宗教の神髄である。

京都の聖会でも紹介されたヴィアンネー師の説教を聞きながら、聖人伝に心熱くした日のことを思い起こしました。

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信じさせるためです



ラザロの墓の前に置いてあった石が取りのけられると、イエスは天を仰いで祈り始められました。きっとそこにいた多くの人は、石を動かすことやその後どうなるかに気を奪われていたにちがいありません。しかし、ヨハネはそこで祈られるイエスの声を聞き逃さなかったのです。この後、「ラザロ、出て来なさい」という言葉は、わざわざ「大声で叫ばれた」とことわっていますので、その前の祈りは、誰にも聞こえないような小さな声であったかもしれません。でもヨハネはその声をキャッチしました。
イエスは何と祈られたでしょうか。パンの奇跡の時もそうでしたが、まだ何も起こらない先に、イエスは天を仰ぎ、感謝にあふれた信仰の祈りをささげています。祈りには、お願い事の多い請求書的な祈りと、先取りの感謝と言われる領収書的な祈りがあると言われますが、イエスと父なる神との交わりに見る祈りは、先取りの感謝の祈りです。
「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。」地上的な望みが断たれ、もはや万事休すと言うときに、イエスは天を仰ぎ(これは信頼の姿勢です)、すでにそれを受け取ったかのように過去形で祈られます。この後に続く途轍もない奇跡は、この途轍もない祈りから始まっていたのです。
そして、この祈りの中で、この奇跡の目的が明らかにされています。「わたしがこう言うのは・・・あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」11章の初めから始まったラザロの物語、随分長い記事でしたが、最後ラザロの復活の場面はこの後、たった2節で終わり、その後、復活に続く物語へと話題を移していきます。正直、あっさりし過ぎている感じがするかも知れませんが、ヨハネの焦点は、このイエスの祈り、その一言に集中していました。「彼らに信じさせるためです。」

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出ておいでよ



三浦綾子さんの小説『氷点』の主人公、陽子という名は、綾子さんの実の妹の名前を使っていると言われます。陽子さんは綾子さんが13歳のときに、6歳で亡くなっていますが、綾子さんは近所の暗がりに行って、「幽霊でもいいから会いたいよ。陽子ちゃん、出ておいでよ」と言うほど、妹さんの死を悲しんだそうです。
三浦綾子記念文学館特別研究員の森下先生が、この「出ておいでよ」こそ、三浦文学の原点かも知れないと話されている文章を読みました。森下先生は、取材で、綾子さんが教師時代の教え子に会われたそうですが、その方が登校拒否で学校を休んでいると、綾子さんが家に大福餅を持って来てくれて、「学校に出ておいで」と優しく声をかけてくれたという話しをされたそうです。また、綾子さんは自宅で家庭集会を開いていたそうですが、ご近所の方をお誘いするのに、いつも「一人で家にいないで、家庭集会に出ておいでよ」と言っていたそうです。
『氷点』の最後は、陽子が雪の積もる見本林へ行き、睡眠薬を飲んで命を絶とうとする場面ですが、三浦綾子さんは、睡眠薬を飲んで昏睡状態になった陽子を、三日三晩眠らせますが、そこで陽子を可愛がっていた、陽子の母・夏枝の友人、辰子に「ねるだけ、ねむったら早く起きるのよ(まるで「出ておいてでよ」と呼びかけているよう)、全くちがった人生が待っているんだもの」と言わせているのも意味深な感じがします。そして、『続・氷点』では、目を覚ました陽子が、最後、夕日を浴びた流氷が燃えるように見える光景をとおして、キリストの十字架が描かれていきます。と思えば、「出ておいでよ」が三浦文学の原点というのも当を得ているのかも知れませ。
実は聖書も同じようなところがあります。聖書のはじめ、創世記には、「光あれ(光よ、出て来なさい)」と書かれており、罪を犯した人間に対して、神が「どこにいるのか(出て来なさい)」と呼びかけています。そして聖書の終わり、黙示録には、「聖なる都エルサレムが、花嫁のように用意を整えて・・・天から下って来る(出て来る)のを見た」と新しいエルサレムが現れる光景が描かれ、そして、天使が「ここへ来なさい(出て来なさい)。小羊の妻である花嫁を見せてあげよう」と呼びかけるのです。いのちである神の前に出て来ること、これこそ聖書の一貫したメッセージと言えるのではないでしょうか。

今週も大切なことを大切に。

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226許しの往復書簡



私たちは頭ではわかっていても、体がついていかないことがあります。2月の最後の日曜日は26日でした。昨年の暮れに帰天されたノートルダム清心女学院の理事長、渡辺和子先生は、昭和の大クーデターと言われる226事件で陸軍教育総監であった父・錠太郎氏を亡くしておられます。81年前のことです。先生の本の中に、あるテレビ局から、226事件の追悼番組をするので出演してほしいと依頼があった時の話しがあります。どうしてもと頼まれてテレビ局に行きましたが、そこにお父さまを殺した側の元兵士が来ていたそうです。聞かされていませんでした。常々、「お父さまを殺した人を憎んでいますか?」と聞かれると、「あの方たちにはあの方たちの大義名分がおありだったのですから、憎んではいません」と答えていたそうですが、その日、その方と二人きりになり、出されたコーヒーを口元まで運んでも、飲むことが出来なかったとき、自分は、本当は心から許していないのかも知れない、頭では「汝の敵を愛せよ」とわかっているつもりだったが、体が言うことを聞いてくれないということに気づいたのだと言います。
先生が召された後、一つのエピソードが新聞に掲載されました。226事件から50年経った年、お父さまを襲った青年将校たちの法事に参列してほしいと頼まれて、先生はその法事に参列し弔意を表したそうです。すると、青年将校の一人(先生のお父さまのとどめを刺したと言われる安田という兵士)の実の弟さんが、その様子を見、感動し泣きながら、「私の方が先にお父さまのお墓を参らなければならないのに、申し訳ありません」と頭を下げたそうです。その後、安田さんと渡辺和子先生の交流が始まりました。手紙のやり取りが続き、家族をまじえて食事もしました。5年後、安田さんは洗礼を受け、クリスチャンとなられたという話しです。「226許しの往復書簡」と見出しが付けられ、「何という驚くべき許しでしょう」と一般の新聞に報じられました。

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