この母ありて



昨日の中日春秋より。

その俳優の母上はとにかく、息子をほめるのだそうだ。「おまえは本当に役者に生まれてきたような子だよ」「おまえはなんてうまい役者だろう」「おまえは最高だよ」。「蒲田行進曲」「熱海殺人事件」などの風間杜夫さんのおかあさん。ある日、終演後の楽屋にやって来るなり、息子の名演に喜びのあまり、こう大声を出した。「仲代達矢よりよかったよ。勝ったね」。隣の楽屋には共演の仲代さんがいる。風間さんがどんなに肝を冷やしたことか。たとえ、それが聞こえたとしても、仲代さんは怒らず、ほほ笑んだのではないかと想像する。仲代さんにも同じ「記憶」がある。俳優座時代の若き日、イプセンの「幽霊」で大役をつかんだ。上演中、どうも客席が騒がしい。騒ぎのもとは仲代さんのおかあさん。舞台を指さして、「アレ、私の息子なんです。いい男でしょ。アレ息子!」いずれも『この母ありて』(木村隆さん・青蛙房)から拝借した。母の日である。どの母も子の成長、幸せに喜びを爆発させる。笑う。母とはそういう生き物である。そして子どもは母の喜びに照れくさく感じつつも、勇気づけられ、励まされ、その道を歩んでいく。母の笑いは子の道を照らす。なにも名優にならずとも母の笑いは手に入る。カーネーションさえいらないかもしれない。電話で、魔法の言葉を唱えればいい。「元気だよ。」

今は亡き母であれ、好きになれない母であれ、この世に生を受けたこと、そのために、母が用いられたこと、そのことを「母の日」に感謝をすることは、神様への感謝につながるのではないでしょうか。毎年、母の日には大輪のカーネーションの花束を祭壇に飾り、礼拝後、皆さんにプレゼントしています。毎年、そのカーネーションを教会の納骨堂に手向けて帰られる方があります。きっと天国のお母さんに贈っているのでしょう。「元気だよ。ありがとう」との言葉と共に。

今週も大切なことを大切に。
今日は岐阜で先生方との祈り会です。

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卓枝安牧師のこと



先日の礼拝メッセージの最後に、台湾の車路墘教会の卓枝安老牧師のことを語らせていただきました。
卓老牧師は、先月の28日に92歳の生涯に幕を下ろされました。卓牧師のことは、2010年の11月頃のBlogにも何度か書かせていただいたことがありますが、台湾に御名の福音を伝えるために、その人生を賭け、献身されました。
以下、当時の文章から。「昨晩、卓枝安老牧師のお宅に呼んでいただいた。老牧師は、私が神学生の頃、共に机を並べて勉強させていただいたことがある。当時は教会の長老で、貿易のお仕事をされていたと記憶しているが、大槻先生の講義を聴講するために、京都に長期滞在されたことがあった。子どもの頃、日本語教育を受けておられるので、流暢な日本語を話される。今回個人的にお交わりをするのは、あの時以来のことになるが、私が四国の出身であることも覚えていてくださり、感激した。もう20年も前の話なのに。御名の福音のために、単身京都に来られ、神学生と一緒に熱心に学ばれる卓長老の姿を見て、台湾の地のために祈った神学生の頃を思い出した。」
私が台湾に行かせていただいた時には、すでに一線は退いておられたが、私を紹介する役を買って出てくださり、私のことを会衆に紹介してくださった(写真)。
卓牧師が牧師に就任されたときのあいさつが、1991年の『あかしびと』に載っています。「なぜこの年になって伝道に献身することになったのか、疑問を持たれる方がいらっしゃるかも知れません。真実を申しますと、伝道の道を選びましたのには、やむにやまれぬ事情があったのです。・・・神の御名の中に無限の愛、一切の宝があることを感じるのです。『我は主なり』と連祷すればするほど、心に平安、愛、聖、無限の喜びが湧き出てくるのです。これが私を献身へ献身へと駆り立て、今日に至ったのです。・・・今私は私に与えられた使命をもう一度確認します。主が私に与えられた使命、それは御名を宣べ伝えることです。この命が燃え尽きるまで。」

イエスは言われました。「この人のするままにさせておきなさい(彼女はできるかぎりのことをした)」と。私にはそんなことはできないと思われるでしょうか。今日も「自分には愛がないと思う人は、愛が一番たくさんある所に行きましょう。愛が一番たくさんある所、それは十字架です。」その時、「家は(教会は、私の人生は)香油の香りでいっぱいになった。」

次の日曜日は「母の日」の礼拝です。「母の日」は教会で始まった美しい習慣です。ぜひお出かけください。

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時間をつかったからだよ。





昨年の暮れに帰天されたカトリックのシスター渡辺和子先生の新刊『どんな時でも人は笑顔になれる』から、素敵な文章です。
「私には、物事ののみ込みの遅いところがあります。しかし一旦のみ込むと、仕事はわりに速い方と思います。その私が忘れられないのは、母のこんな言葉です。
「和子、速いばかりが能ではありませんよ。あなたの仕事は速いけれども、ぞんざいです。」
そういう母自身、決して手の遅い方ではなかったけれども、母が繕ってくれたものは決してほつれなかったし、母が結んだ風呂敷包みは不思議に途中でほどけることはありませんでした。
何かそこには年季が入ったコツといったものと同時に、心、愛情が込められていたのだと今になって思います。
星の王子さまは地球上に何千本と植えられているバラの中に、自分が星に残してきたのと同じ花を見つけることができませんでした。いぶかる王子にキツネが言います。
「君があのバラの花をたいせつに思うのは、そのために時間をつかったからだよ。」
面倒に思いながらも水をやり、虫を取り、風よけを作ってやった時間は、いつしか、王子とバラの花との間に愛情を生み育てていました。お金にならない時間、特にならない時間、その意味では無駄と思える時間の中にしか愛情は育たないということです。
スピード至上、インスタント万能の世に、待つことの大切さ、無駄な時間の価値を説くこと自体、時代遅れ、見当ちがいと言われるかもしれません。しかしながら、待たないですむ人生などありはしないのです。そうだとしたら、待つことの意味も知らなければならないでしょう。
「急くことは、おまかせしていない証拠」と、かつて、あるお坊様に言われて耳が痛かったことがあります。何もかも自分の思い通りに、思い通りのスピードで運ばれるはずだという思い上がりを正していただいた瞬間でした。愛をこめた時間は無駄にはならない。費やした時間には愛が宿り、育っている。

いつも忙しそうにしていて、無駄が大嫌いな私たちには教えられる文章です。
実は、聖書の神は、たっぷり時間をかけて私たちを教育されるお方で、私たちには随分と遠回りで、無駄に思えるような方法で、私たちに対する愛を示されました。ですから、振り返ると、神のなさることには失敗も無駄もないことがわかるのです。今週も大切なことを大切に。

『アンネの日記』が出版されて今年で70年、教会の「アンネのバラ」満開です。

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神愛



昨日は、尾道の向島にある教会で御言葉の奉仕をさせていただきました。
神愛教会、素敵な名前です。

自分には愛がないと思う人は、愛が一番たくさんある所に行きなさい。
愛が一番たくさんある所、それは十字架です。
私の救いの原因である十字架、私を清め神化する十字架、私のすべてである十字架。
「主はすべてだ。」このひと言に尽きる。

聖イエス会の創立期、この島ではめざましい奇跡が起こりました。小さな島に3つも聖イエス会の教会があるのもそのためです。今回、イースター聖会と言われていたこともあり、ヨハネ福音書の11章から、2回シリーズのメッセージを祈りつつ備えて行きました。名古屋では最近5回ほどに分けて語ったものをダイエットして語らせていただきましたが、恵み豊かな集会となりました。若い頃からお世話になり、尊敬している先生方との交わりも私にとっては楽しいひと時でした。

GWですが、今週も大切なことを大切に。

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園丁だと思って



イースターの朝、空の墓の前で泣いていたマグダラのマリアの前によみがえられたイエスが現れ、話しかけます。
それがイエスだとは分からず、園丁だと思って、話し込むマリアの姿をヨハネは伝えています。
この場面を多くの画家が描いていますが、よく見るとイエスがスコップやくわなど、農具を手に持っている絵が多いのに最近気がつきます。レンブラントの作品は麦わら帽子までかぶっていて、まさに園丁です。
ある説教家が、復活の主は私たちの人生に美しい実をみのらせる園丁のように臨み、私たちがエデンの園で失ったものを、復活の朝、園の墓で取り戻してくださったと語っています。私たちの人生という園に、このお方をお迎えしましょう。

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罪状書きの裏側



昨日の春の音楽礼拝には100名を越える方が集われました。
新聞折り込みチラシやインターネットを御覧になって、足を運んでくださった方も多くありました。
三宅さんご夫妻は、数年前から全国の小さな教会を巡り、コンサートを開いてくださっています。
土曜日に志摩の教会でコンサートをしていただいた続きに、名古屋にも来ていただきました。
ご主人のチェンバロ制作秘話の後、奥様の演奏が始まりました。
前半は「フランス風序曲」から、後半は「マタイ受難曲」からの演奏でしたが、
「マタイ受難曲」の後、短く十字架のメッセージを語らせていただきました。

ある絵描きが、イエスが十字架で息を引き取られた瞬間の絵を書きました。
キャンバスの中心には、十字架に掲げられた罪状書きが置かれています。
絵描きは、展覧会に訪れた人に話しかけました。
「この絵にはある秘密が隠されています。おわかりになりますか?」
すると誰もが立ち止まり、その絵をしばらくじっと眺めてくれたそうです。
そして言いました。「わかりませんね。何が隠されているのですか。」
「では、教えましょう。
この罪状書きの裏側にもう一枚の罪状書きが隠されているのです。
それは私とあなたの罪状書きなのです。
でも、この方の名が私とあなたの罪状書きの上に打ちつけられたのです。
だから、もう私とあなたの罪とは赦されました。」
これこそ十字架の隠された秘密です。ご存知でしたか?
三浦綾子さんはこう言っています。
「それにつけても、私は十字架がありがたい。
イエスさまが十字架におかかりになったありがたさが身にしみる。
天下晴れて、神さまの前に祈ることのできる幸いがうれしくてならい」と。

礼拝が終わると、何人かの方が「マタイ受難曲と十字架のメッセージがつながって、その意味がよくわかった」と声をかけてくださいました。礼拝堂に響くチェンバロの音色を通して、十字架の真実に気がついた人たちです。

今週も大切なことを大切に。

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重い扉の奥に



チャールズ・コルソンは、ウォーターゲート事件で収監され、後に「獄中の使徒」と呼ばれた人物ですが、彼が2人のクリスチャンに監督権が委任された、ブラジルのサンパウロにある刑務所を訪問したときのことを次のように記しています。
そこはヒューメータと呼ばれ、彼らの計画はその刑務所をキリスト教の原理に基づいて運営していくことでした。ヒューメータを訪問したとき、服役者たちは微笑んで私を迎えてくれました。特に鍵の束を下げて門を開けてくれた元殺人犯が最も印象に残っています。
行く場所ごとに私は平安に包まれている人々に出会い、住居環境は清潔で、壁には詩編と箴言の御言葉が飾られていました。ヒューメータ刑務所は驚くほどの記録を持っています。ブラジルやアメリカの再犯率が75パーセントであるのに対して、ヒューメータの再犯率はわずか4パーセントに過ぎなかったということです。このようなことが可能なのでしょうか。
過去には拷問室として使っていた牢獄を見たとき、私はその答えを見つけました。案内人は、今、そこには一人の囚人が収容されていると言いました。長いコンクリートの廊下の終わりにある部屋に着いて、彼は私に訊きました。「本当に入ってみたいですか。」「もちろんです。私は世界のあちこちの牢獄を見て回って来た者です」と答えました。
彼はずしりと重い牢の扉をゆっくりと開け、私はその牢獄に閉じこめられている囚人を見ました。その囚人とは、ヒューメータの服役者たちが美くし彫刻した十字架のキリストだったのです。
今日もその重い扉の奥に、絶望のとなりに、この方がおられます。「私の名前は希望です。」

明日は午後1時30分から志摩市にあるテベリヤ教会で、明後日は午前11時から名古屋教会で、チェンバロ奏者の三宅眞理子さんをお迎えしての春の音楽礼拝(クラッシック・コンサート)が持たれます。ぜひお出かけください。

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私の名前は希望です



漫画「アンパンマン」の作者、やなせたかしさんの詩集から。

絶望のとなりにだれかがそっと腰かけた。
絶望はとなりのひとに聞いた。
「あなたはいったい誰ですか。」
となりのひとはほほえんだ。
「私の名前は希望です。」

イースターにふさわしいメッセージではないでしょうか。
ヨハネが記すイースターの夜の記事があります。その夜、弟子たちはユダヤ人を恐れ、自分たちのいる家の戸に鍵をかけ、絶望の中に座り込んでいました。するとそこへイエスが来てその真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われたのです。イエスは手と脇の傷を弟子たちにお見せになりました。弟子たちは、主を見て喜びました。詳訳聖書は、その喜びを「弟子たちは主を見て喜び<歓喜、狂喜、陶酔、有頂天>に満たされた」と訳し、欣喜雀躍する弟子たちの姿を生き生きと描いています。復活であり、命であるキリストとの出会いこそ、私たちの喜びと希望の源なのです。

次の日曜日は、春の音楽礼拝。チェンバロ奏者の三宅眞理子さんをお迎えし、古楽器の美しい音色を教会堂に響かせていただきます。土曜日は志摩にある小さな教会でも演奏をしてくださることになっています。ぜひお出かけください。
今週も大切なことを大切に。

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なぜ?



マリアがナルドの香油をイエスに注いだ時、マタイの記事によれば、弟子たちが彼女の行為を「なぜ、こんな無駄なことをするのか」と叱責していますが、イエスは、マリアがした以上のことを、これからしようとしていました。イエスはその命までも、弟子たちのために、そして私たちのために注ぎ尽くし、使い果たそうとしておられたのです。それは無駄なことだったのでしょうか。いいえ無駄ではありませんでした。
もう一つの「なぜ」があります。ヨハネは、ここであのイスカリオテのユダが「なぜ、この香油を300デナリオンで売って」と言った言葉を記録しています。彼は、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたとも書かれています。彼の「なぜ」は、やがてイエスを銀貨30枚で売ってしまう、怖ろしい「なぜ」です。「なぜ」という問いかけは、動機を探る時に大切ですが、「なぜ」と言いながら冷静に計算を始めてしまうと、できなくなることが多くなるのではないでしょうか。そして、いつの間にか、大切な香りを失ってしまうのです。
人生にはいつでもできることと、たった一回しかできないことがあるのです。マリアは、やがて私たちのためにその命を惜しみなく献げ尽くしてくださるイエスを思い、イエスに葬りの備えとしてこの油を注いだのです。その時の状況をヨハネは「家は香油の香りでいっぱいになった」と美しく表現しています。計算高い私たちは、時に人と比較したり、過去と比較したりしながら、最小限にキリストと教会に献げるにはどうしたらよいかと間違ったことを考えます。しかし、そんなクリスチャンには、そんな教会には香りがありません。
先日、教区の先生方の集まりが持たれました。神学院の開校70年と言うことで、先生方と献身の証しを分かち合いましたが、今年暦年50年を迎えられたN先生が最後に、「皆さんにお願いがあります」と前置きされて、「どうぞ福音の香りを失わないでください」とおっしゃいました。いろいろな意味があると思いますが、キリストのために献げ尽くした人にしか醸し出せない福音の香りを大切にしたいと思いました。「いとも良きものをイエスに献げよ。熱き汝が心、若き力を。」

次の日曜日はイースター礼拝です。ぜひお出かけください。

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愛の本質



ヨハネ福音書は21章ありますが、12章からキリストの最後の一週間が始まります。ですから、ヨハネは福音書の半分を費やして、キリストの最後の一週間を記録していることになります。ここにヨハネが本当に伝えたかったことが記されているのです。12章は、11章の続きの記事で、ラザロを囲む食卓でなされた事件から始まります。よく知られたイエスへの油注ぎの物語です。共観福音書にも見られる記事ですが、それぞれシチュエーションが異なります。詳しくは改めて説明します。
3節を御覧ください。「そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」ここで彼女が惜しみなく注いだナルドの香油とは、どれほど高価なものであったのでしょうか。イスカリオテのユダはそれを300デナリオンで売れると見積もっています。1リトラが300グラムほどなので、量は小さいペットボトルくらいということになります。1グラムで1デナリオンということです。1デナリオンは労働者の1日の賃金ですから、300日分の賃金、年収に相当する額と考えられます。仮に1日1万円で計算すれば300万円です。
パンの奇跡の場面を思い出せるでしょうか。イエスと弟子たちが、どうしたら群衆に食物を与えることができるかと話していた時、弟子のフィリポが「200デナリオンのパンがあっても足りない」と答えています。そこにいたのは男だけで5000人、女性や子どもを含めればその倍はいたにちがいありません。すると300デナリオンとなれば、祐に1万人の給食を準備できるほどの額であったということです。それを高く売って、貧しい人に施すことができたと言われても無理からぬことでした。
普通は、香水のように一滴か二滴かをたらして使うものを、彼女は何を血迷ったのか、たった一回で使い切ってしまったのです。マルコでは、壺を「壊して(割って)」と書かれています。その壺というのも、高価なものであったと思われますが、この愚かとさえ思える行為の中に、愛の本質を見ることができるのです。愛は計算しません。損得を考えません。愛は最大限に与え、すべてを与えた後で、もっと与えたいと望むものなのです。

桜がきれいですね。今週も大切なことを大切に。

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