休みと仕事

休符
休符は神が人のために作られた特許品です。巡り続けるリズムの世界で、休符は聴衆の息を整え、その次の渓谷に導く綱です。神は労働と労働の間に必ず休符を置かれました。それが「創造の秩序」と言われるものです。6日間働き、1日を休み、また6日間働いて1日を休む生活のパターンは、神の創造の世界に属するエデンのリズムです。しかし、よく考えてみると、働いてから休むのではなく、休んでから働くのがエデンの原型的リズムなのです。
私たちの最初のおばあさんとおじいさんはこの世界に生まれ、真っ先に神の休符を楽しみました。彼らが出会った最初の日は神が安息される日であったからです。ですから、労働と休息のリズムではなく、休息と労働のリズムがエデンの園のリズムなのです。しかし、不幸なことにエデンの東に住む人たちは、休息と労働のリズムをひっくり返し、労働と休息の順番に変更してしまいました。結果、休息は労働の代価となり、人は休むために仕事をするのであって、休んでから働くのではなくなったのです。しかし、エデンの園では安息と休息、そして平安はいつも神からのプレゼントであって、決して人間の努力で得るものではなかったのです。

早いもので今日で1月も終わりです。明日は2月のオープン礼拝になります。お近くの方、ぜひお出掛けください。ご来会をお待ちしております。エデンの園のリズムを取り戻し、生きる力をいただきましょう。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

光と出会うため

新年聖会2009
祝福にあふれた聖会、集会後にみなさんが書いてくださった感想に目を通しながら、主への感謝を新たにしています。
私の家内は献身前の1年間、千葉県の柏になるゼカリヤ教会にいました(当時はまだ伝道所の時代です)。その頃、柏におられたのが今回の聖会に来てくださった藤井牧師で、随分とお世話になったようです。夕べも「牧師と出会っていなかったら、私はここにいなかったと思う」と話していました。子どもの頃は、病気のデパートと呼ばれるほど病身で、入退院の日々を送っていたそうですが、キリストを心に迎えたときから、それまでの弱さが嘘のように強められ、今では豊かな賜物をもって主に仕えている牧師です。主の癒しを経験してから、将来は医療関係の仕事を思っていたそうですが、イザヤ書の御言葉によって、主の召しを感じ、献身されました。主は先生にこのように迫られたそうです。「あなたは御名によって癒されたではないか。人々を御名によって癒し救うために、あなたはわたしに従って来なさい」と。
私たちクリスチャンがキリストにある救いを体験し、「あなたがたは世の光である」と呼ばれる存在とされたのは、自分のためではなく、私たちを通して、出会うすべての人がいのちの光と出会うためなのです。

comments(1)  |  trackbacks(0)

edit  top

火の管理人

宇都宮餃子
はるか昔のローマ帝国時代のことです。もちろん電気はありません。スイッチ一つで電気が点き、つまみを回せばガスの火が点き、温度センサーさえ調節すれば家中が暖かくなる今日とはまるでちがいます。その代わり、村ごとにある中央広場に、1年中1日中24時間燃えている炉を置きました。その炉は村人の生活に欠かすことのできないもので、管理人を雇って火を絶やさないようにしました。万が一、管理人が仕事を怠けて火が消えたり、台風や嵐で火が消えてしまった日には、日の管理人の命も保証されませんでした。
神は私たちに聖霊の火を与え、主イエスへの愛と情熱によって燃え上がるようにされました。どんな理由があったとしても、その火を消してはなりません。罪を犯し、主を悲しませることがないようにしてください。あなたは聖霊の火を守る火の管理人なのですから。

昨日は宇都宮にある待望教会で新年聖会のご奉仕をさせていただいた。役不足を感じもするが、精一杯みことばを語らせていただいた。午後はパウロの絶筆であるテモテへの第二の手紙からメッセージを語らせていただいた。それは宣教の困難と迫害の嵐の中で意気消沈する若い愛弟子テモテに贈られたパウロの最後の言葉である。彼はその冒頭に記している。「こういうわけで、あなたに注意したい。わたしの按手によって内にいただいた神の賜物を、再び燃えたたせなさい。というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである」(1の6〜7)と。これが獄中でただ死を待つ白髪の老人の言葉とは到底思えない。この言葉がどれほど若いテモテを奮い立たせたことだろう。私たちも内に与えられている聖霊の火を燃えたたせていただこう。今週も世の光として。

宇都宮は餃子の街?のようで、駅には専門店が軒を並べていました。思わずお土産に餃子を求めましたが、今日の写真は餃子の街をアピールするポスターのようです。餃子の眉と口。。。

comments(1)  |  trackbacks(0)

edit  top

地下室の祈り

礼拝堂ベンチ
講壇のプリンスと呼ばれたチャールズ・スポルジョンに関する逸話です。(高校生の頃、彼の伝記を読み、彼のような説教家になりたいと憧れたのを思い出します。)
彼の説教を聞こうと多くの人々が教会に集まって来ました。ある時、ひとりの人が彼の説教に大きな感銘を受け尋ねました。「先生のメッセージから大きな力をいただきました。先生のメッセージが聞く者に信仰を興させる理由は何ですか?その秘訣を教えてください。」スポルジョンは次のように答えました。「私はその力を供給してくれる動力室を持っているのです。そこから聖霊の力が供給されています。」「ええ!信仰を興させる動力室ですか?それはどこにあるのですか?」「教会の地下室にあります。ご覧になりますか?私の後について来て下さい。」スポルジョンについて地下室に行くとそこからは機会が回るような音が聞こえてきました。ドアを開けると、そこにはスポルジョンのために祈っている多くの人々がいました。この祈りによってスポルジョンは多くの人々をキリストへと導く力を得ていたのです。

ビリー・グラハムのクルセードの背後でも祈りのチームが熱心に祈っていました。来週、オバマ大統領の就任式で祈りを捧げるリック・ウォレンも執り成しの祈りのチームを持っていると最近読みました。名古屋教会には土曜日の夜、明日の礼拝のために祈りに来てくださる数名の信徒がおられます。名古屋教会の信仰を興す(人の目には隠されている)地下室の祈りです。
明日は宇都宮にある待望教会の聖会でメッセージを語らせていただくことになっています。覚えてお祈りください。名古屋は明日も女子の先生がメッセージを担当します。ご期待ください。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

アントニオなくしては

Stradivarius
アントニオ・ストラディバリは17世紀のバイオリン製作者だ。そのラテン語名、ストラディバリウスは、名器の同義語となった。彼はかつて、こう語ったことがある。
「自分の最高のバイオリンより劣るものを作れば、神から不当に奪うことになる。神はアントニオなくしては、アントニオ・ストラディバリのバイオリンを作ることはできないのだから」と。
その通りだった。神はアントニオ・ストラディバリなくしては、ストラディバリウスのバイオリンをお作りになれなかった。ほかのバイオリン製作者の誰も持ち合わせていない賜物を、この名匠は神から与えられていたのだ。
同じようにあなたにも、ほかの誰にもない賜物がある。それは子育てであったり、家を建てることや落ち込んでいる人を励ますことであるかもしれない。
あなたにしかできないことがあるのだ。そして、それをすることであなたも元気になれる。ぼくたちが人生と呼ぶ壮大なオーケストラの中で、あなたは楽器と歌を与えられている。あなたは神に対して、そのどちらでもとびきり優れた演奏をする責任を負っているのだ。
---Max Lucado "Grace of the Moment" 5/31

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

JJとSDG

Bach
昨日はお客さんがあり、こどもたちは冬休みの最後の日をエンジョイした。彼女のメールアドレスに「SDG」とのアルファベットが並んでいた。音楽を愛する彼女らしい。
バッハは、作曲をする時、楽譜の最初に「JJ(Jesu juva)」と書いた。これはラテン語で「イエス様、助けてください」という意味で、彼の祈りでもあった。そして、曲が完成すると、楽譜の最後に「SDG(Soli Deo Gloria)」と書いたのだ。「ただ神の栄光のために」と。
この一年、私たちも一日のはじめに「JJ」、一日の終わりに「SDG」と祈り告白するような生き方をしたいと思う。バッハのような心で。きっとすばらしい音楽を奏でることができるだろう。

「何をするにしても、すべて神の栄光を現わすためにしなさい。」
---コリントの信徒への手紙一10の31

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

エクソダス

Transfiguration Raphael
二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。---ルカによる福音書9の31

律法を代表するモーセと預言者を代表するエリヤ、そしてイエスとの三者会談の内容は、イエスの最期、すなわち十字架についてでした。律法(モーセ五書)に描き出され、預言者たちが語り明かしてきたメシアの受難とその効果が、旧約を代表する二人を通して証言されたのです。更に興味深いことは、「最期について」と訳されている「エクソダス」という言葉です。エクソダスと言えば、モーセによってイスラエルの民がエジプトから救い出された出来事、出エジプトのことです。つまり、イエスの十字架こそは、罪の奴隷となっている全人類を解放し、永遠の救いをもたらす、栄光への脱出であることが話し合われていたということなのです。
後にペトロはこの時の光景を次のように証しています。「わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳な栄光の中から、『これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者』という声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました」と(競撻肇蹌韻裡隠供腺隠検法

今日は聖イエス会の創立記念日です。原点を忘れない者でありたいです。
仕事始めの方も多いと思います。良きお仕事ができるように祝福を祈ります。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

スタンド・バイ・ミー

Protestant150
しかし、わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。そして、わたしは獅子の口から救われました。---テモテへの手紙二4の17

ネロの法廷に立つパウロにはひとりの友もいませんでした。これが彼の30年に渡るミニストリーの結末でした。しかし、回廊にあふれる見物人たちの前で、パウロはたじろぐことなく福音を証します。主がすぐそばにいて、彼を力づけてくださったからです。英語では、「Stand by me」「Stand with me」という表現が使われています。それは、そばにいてください、味方になってください、力となってください、という彼の切なる祈りでもあったのではないでしょう。
あの夜の幻で語られた主の言葉を思い出します。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。」(使徒18の9)

宣教年のポスターに続き、今年もプロテスタント宣教150年のポスターのデザインを担当させていただきました。ミレーの「種まく人」です。ボストンや山梨にある良く知られた作品とは別のものですが、奥行きがあり、のどかな雰囲気が気に入っています。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った」(ルカ8の5)。詩編126の言葉を胸に、福音の種を蒔きに出て行きましょう。Send Me!

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

キッチンから

dining kitchen
キッチンに入って来た娘が尋ねました。「ママ、何してるの?」私は汚れた皿に囲まれ、エプロンで顔を覆ったまま答えました。「祈ってるのよ。」珍しい祈りのように見えますが、月日の流れが証してくれた方法です。
18世紀の初め、スザンナ・ウエスレーというイギリスの女性は19人の子どもを産みましたが、そのうち9人は成長できずに召されました。彼女は神と二人だけでいたい時、キッチンに立ってエプロンで顔を覆い、祈りました。彼女は神との時間を過ごすだけでなく、10人の子どもたち一人一人と毎週30分共に過ごし、唯一の教科書だった聖書を用いて文字を読むことを教えました。10人の子どもの中で、チャールズとジョンが18世紀の霊的大覚醒運動の中心メンバーになったのは、母親の特別な教育方法のゆえなのです。イギリスがフランスの各地で起こった血の革命から逃れることができた決定的な要因を、霊的大覚醒運動に求める歴史学者が多くいます。スザンナの子どもは国家の方向を変えさせ、数多くの人間の運命を転換させました。このようなことはどこから始まったのでしょうか。正しく子どもを教育することで、世の中を変えることができると信じた一人の女性スザンナ・ウエスレーのキッチンからです。
「もし我が家の近くを通って、エプロンで顔を覆っている私を見たとしても、何も聞かないでください。世界を変えようとしているところなのですから!

主婦にとってキッチンとは一日の多くの時間を過ごす場所です。あなたにとって、キッチンとはどこですか?職場、学校、年末年始を病院で過ごしている方はベットの上・・・。そこにあなたの祈りの空間を作ってください。世界をCHANGEするために。

一年間、当ブログをご愛読くださり、ありがとうございました。あたたかい励ましのメールやコメントにいつも感謝しています。お陰さまで丸三年、日記を書き続けることができました。心から御礼申し上げます。

明日から2009年。希望にあふれる新年となりますように。
元旦礼拝は朝10時30分から。ご来会をお待ちしております。

comments(1)  |  trackbacks(0)

edit  top

歴史

star
歴史家であったとも言われる福音記者ルカは、歴史が動いた「その時」を詳しく調査し、私たちに伝えています。特にイエスの誕生が旧約聖書ミカ書の5章2節の預言の成就であったことを裏付けるために、ヨセフとマリアがベツレヘムに向かうことになった事情を伝えてくれます。
「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、住民登録をせよとの勅令が出た。」ユダヤから遠く離れたローマで、時のローマ皇帝が徴税のために人口調査をせよとの勅令を出したのです。彼はミカの預言についても、自分の勅令がやがて世界を変えることになることについても、全く知りませんでした。
もう一つの神の摂理は、この住民登録はヨセフだけで済ませることもできたのですが、あえて身重になっていたマリアを120舛睥イ譴織戰張譽悒爐悗領垢墨△譴胴圓ざるを得ない状況が生じたことです。「マリア」という、キリストの誕生の物語を描いた映画を見ました。映画の中では、結婚前に身ごもっていることが分かったマリアを、ナザレの人々が蔑み、中傷する様子がシビアに描かれています。苦悩するマリアをヨセフが受け止め、自分を犠牲にしてまで守ろうとする姿が感動的でした。
このように歴史を支配しおられる神は、ローマ皇帝の勅令とナザレの人々の中傷という状況を用いて、マリアをベツレヘムに導かれたのです。そして、ついにミカの預言の通り、救い主はダビデの町ベツレヘムで誕生することになったのです。まさに歴史(history)とは、His story(神の物語)なのです。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

(C) 2018 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
Join me on Facebook Follow me on Twitter Subscribe to RSS Email me