続・クリスマスの神秘

待降節第3礼拝(聖餐式)
礼拝メッセージ 「続・クリスマスの神秘」
聖書 ヨハネによる福音書1章14-18節ほか
ヨハネによる福音書(クリスマス編)

1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
1:15 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」
1:16 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
1:17 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。
1:18 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

創世記
3:15 お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。

ガラテヤの信徒への手紙
4:4 しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。

ヘブライ人への手紙
10:5 それで、キリストは世に来られたときに、次のように言われたのです。「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、むしろ、わたしのために体を備えてくださいました
10:6 あなたは、焼き尽くす献げ物や罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。
10:7 そこで、わたしは言いました。『御覧ください。わたしは来ました。聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、神よ、御心を行うために。』」

今週も礼拝の恵みに感謝。来週はクリスマス礼拝です。

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水槽



アメリカの有名なクリスチャン・ジャーナリスト、フィリップ・ヤンシーの本はとても示唆に富んでいて、うなずかされることが多いです。彼が「受肉」ということについて、次のような説明を試みています。

「私は塩水を入れた水槽を管理していて受肉について学んだことがある。水槽の管理は楽な仕事ではない。化学実験用具を使って、硝酸塩の度合いやアンモニアの含有量をチェックしなければならなかった。ビタミンや抗生物質、サルファ剤や十分な酸素をポンプで送り込んで魚が育つようにした。水はグラスファィバーと炭で濾過してから紫外線にさらした。私が費やした労力全部を考えると、魚たちは少なくとも感謝してくれたと読者諸氏は思われるだろう。
だがそんなことはなかった。水槽の上に私の影がかかるたびに、彼らはいちばん近くにある貝殻の中に隠れようと、もぐっていった。彼らが私に見せた唯一の『感情』は恐れだった。私がスケジュール通り日に三回、水槽の蓋を開けて食べ物を落としてやる時も、魚たちはその都度私が彼らに苦痛を与えようとしているしるしだと確信しているように反応した。私は彼らに、自分が本当は心配しているのだと説得することができなかった。
魚にとって私は神だった。私はあまりにも大きく、私の行動を理解することはとてもできなかった。魚たちをあわれむ気持ちから出た私の行為を、彼らは残酷なものと見た。魚の病を癒そうとした私の試みも破壊的なものと見なされた。彼らの認識を変えるには受肉という形態をとる必要があると、私は気づくようになった。私が魚になり、魚にわかる言葉で『話しかけ』なければならないのだ。
人間が魚になることなど、神が赤ん坊になることと比べれば何でもない。しかしそれでも福音書によると、それこそがベツレヘムで起きたことだったのである。物質を創られた神が物質の中に形をなした。ちょうど芸術家が一枚の絵の中の一点になったり、脚本家が自分の書いた劇の中の人物になったりするようなものである。神は現実の人格だけを使って、現実の歴史のページに話を書いた。『言』は肉になったのである。」(『だれも書かなかったイエス』)

ナザレの受胎告知教会の地下の祭壇に何と書かれていましたか。「ここにてみことばは肉体となりたまえり」。私たちは毎週、使徒信条で何と告白していましたか。「主は聖霊によって宿り、おとめマリアより生まれ・・・」。それはこのことだったのです。目に見えない神が見えるものとなり、人間の言葉で話しかけ、永遠なる神が時間の中に生き、不死なる神が人類の罪を贖う供え物として死なれたのです。

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真の悔い改め

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
マタイによる福音書から。

5:8 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。

3:1 そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、
3:2 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。

今週のお勧めは裕美先生。2つのお勧めをいただきました。まず、昨日12月12日にちなんで、清子ちゃん証し、それから、聖餐式を前にして悔い改めについてです。次の礼拝では聖餐式が行われますが、清い心で主の聖餐にあずかることができますように。

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ここにてみことばは



聖地はナザレにある受胎告知教会の地下に、天使ガブリエルがおとめマリアに現れたと言われる場所があります。そこにある記念の祭壇には、ラテン語で「ここにてみことば(ロゴス)は肉体となりたまえり」と刻まれています。ベツレヘムの聖誕教会ではなく、受胎告知のあったここが神の言であるキリストが受肉された場所と言うことです。ロゴスの受肉(incarnation)の神秘は、毎週、使徒信条で「主は聖霊によって、おとめマリアより生まれ」と告白している大切な教理です。カトリックでは「託身」と言い、最近では「人間化」という訳語も使われるようになっています。
礼拝で「ヨハネによる福音書」をシリーズで学びはじめて4年、ようやく17章の終わりまでたどり着きました。来年いっぱいで終わると思いますが、聖イエス会で一番大切な書をていねいに学んでいます。今年も待降節は、ヨハネによる福音書の1章に戻って、ロゴスの受肉の神秘について改めて学び、待降節の味わいを深めたいと思います。
ヨハネによる福音書には、いわゆるクリスマスの物語はどこにも見当たりません。聖書の預言の言葉も、ベツレヘムも出てきませんし、マリアもヨセフも、羊飼いも博士も天使も登場しません。しかし、イエスの誕生の意味を考える時、ヨハネが伝えるメッセージはクリスマスの真実を私たちに教えます。ヨハネはクリスマスの出来事ではなく、霊的な意味を伝えるのです。

今週も大切なことを大切に。

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クリスマスの神秘

待降節第2礼拝
礼拝メッセージ 「クリスマスの神秘」
聖書 ヨハネによる福音書1章14-18節ほか
ヨハネによる福音書(クリスマス編)

1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
1:15 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」
1:16 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
1:17 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。
1:18 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

1:14 ことばは肉〔なる人〕となって、われわれの間に幕屋を張った。岩波書店・新約聖書翻訳委員会訳

今週も礼拝の恵みに感謝。

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無限に広がるこの宇宙よりも



瞬きの詩人・水野源三さんの詩から。

「聖夜」
夜空に輝くあの星よりも 
小さな小さなこの地球の
片隅にお生まれになられた 
御子イエスさま。
無数の星が輝き 
無限に広がるこの宇宙よりも
大きな大きな神さまの愛

今年も聖歌隊でこの歌を練習していますが、この歌を口ずさむ度に、床の上で寝たきりの源三さんが、宇宙大の賛美を書いていることに感動します。今年のクリスマス、小さな小さなこの地球の片隅のベツレヘムの家畜小屋でお生まれになられた御子イエスさまを愛し、無限に広がるこの宇宙よりも、大きな大きな神の愛を賛美したいものです。

明日は志摩のテベリヤ教会のクリスマス礼拝(30回目のクリスマス)です。
日曜日は待降節第2週の礼拝。待降節の味わいを深めましょう。

福岡県糟屋郡にある聖イエス会カリザリヤ教会ではチェンバロコンサートが持たれます。
お近くの皆さま、ぜひお出かけください。

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感嘆すべき交換

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
マタイによる福音書5章から。

5:3 心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
5:8 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。

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牛とロバとの間にある飼い葉桶



主イエス
あなたは偉大で、富んでおられたにもかかわらず、今は小さく貧しい方となられた。
あなたはご自分でお選びになった。馬小屋で生まれ、粗末な産着にくるまれ、
牛とロバとの間にある飼い葉桶に寝かされることを。
私の魂よ。
神の子の宿られたこの馬小屋を抱擁しよう。
幼いイエスの小さな両足に、うやうやしく口付けしよう。
羊飼いたちの寝ずの番を黙想し、天使たちの合唱を観想しよう。
そして天使たちの歌に口と心を合わせ、力いっぱい歌おう。
「いと高きところには神に栄光。地には御心に適う人に平和あれ。」
---ボナベントゥーラ

昨日は、岐阜教会で待降節の礼拝と聖餐式を行わせていただき感謝でした。
今週も大切なことを大切に。

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イエス・キリストの系図

礼拝メッセージ 「イエス・キリストの系図」宮本裕美師
聖書 マタイによる福音書1章1−6、17節、ローマの信徒への手紙1章3−4節

1:1 アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
1:2 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、
1:3 ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、
1:4 アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、
1:5 サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、
1:6 エッサイはダビデ王をもうけた。
1:16 ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
1:17 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

1:3 ・・・御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、
1:4 聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。

今日から待降節。クリスマスを待ち望みます。
今週も礼拝の恵みに感謝。

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世々とこしえ、あなたは神



天地創造の前からイエスに与えられていた栄光。それこそは、他ではないイエス自身が私たちに見せたいと望まれたものであり、またこの福音書を記す、イエスの愛しておられた弟子が見、伝えたかったものなのです。
ヨハネは、福音書の冒頭に、「私が書こうとしているのは、私が伝えたいのは、このお方だ」と言わんばかりに、何の迷いもためらいもなく、語り始めるのです。「初めに〔天地の初めに〕ことば〔キリスト〕がおられた。・・・ことばは神ご自身であられた」と。
ここでヨハネはキリストのことを「言」と呼んでいます。ギリシア語では「ロゴス」という言葉ですが、永遠の初めから、すでに存在しておられた神の子イエス・キリストを、彼はそう呼んだのです。ヨハネの手紙の書き出しも同様です。「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの・・・命の言」。
聖書は聖書で理解します。旧約聖書の箴言8章を開いてみましょう。ソロモン王が記した箴言には「知恵」という言葉がくり返し出てきますが、その多くはヨハネが強調する「神の言」と同じ意味です。8章は、箴言全体のハイライトで、知恵が擬人化され、「わたし」という一人称で語ります。22節以下に、天地創造の前からイエスに与えられていた栄光が詩的に美しく描かれています。

8:22 主は、その道の初めにわたしを造られた。
いにしえの御業になお、先立って。
8:23 永遠の昔、わたしは祝別されていた。
太初、大地に先立って。
8:24 わたしは生み出されていた
深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。
8:25 山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが
わたしは生み出されていた。
8:26 大地も野も、地上の最初の塵も
まだ造られていなかった。
8:27 わたしはそこにいた
主が天をその位置に備え
深淵の面に輪を描いて境界とされたとき
8:28 主が上から雲に力をもたせ
深淵の源に勢いを与えられたとき
8:29 この原始の海に境界を定め
水が岸を越えないようにし
大地の基を定められたとき。
8:30 御もとにあって、わたしは巧みな者(口語訳では「名匠」)となり
日々、主を楽しませる者となって
絶えず主の御前で楽を奏し
8:31 主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し
人の子らと共に楽しむ。

知恵とは神の言であるイエス・キリストです。知恵は天地が創造される前から存在していました。さらに、知恵は、父なる神と一体であり、父なる神の傍らで名匠となり、天地創造の業に参加しておられたのです。これが天地創造の前からイエスに与えられていた栄光であり、今日もイエスが私たちに見せたいと願っておられる真の姿なのです。

また、「神の人モーセの詩」と表題の付いている詩編90編にはこう記されています。
90:1 【祈り。神の人モーセの詩。】
主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。
90:2 山々が生まれる前から
大地が、人の世が、生み出される前から
世々とこしえに、あなたは神。

いま、イエス・キリストを天地万物の創造者、全能の神として、ソロモンと共に、モーセと共に礼拝しましょう。
「山々が生まれる前から、世々とこしえに、あなたは神。」


明日から12月。次の日曜日から教会では待降節に入ります。
クリスマスは教会で。

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