十字架の神秘



イエスの逮捕から裁判まで、特にピラトとのやり取りを丁寧に描いたヨハネでしたが、十字架の道行きは意外にあっさりしています。イエスがピラトの官邸を出てゴルゴタと呼ばれる刑場に向かう道すがら、エルサレムの住民と過越祭に来ていた巡礼者たちは、前日とは別人のようになっているイエスの姿に驚き、物見高い人垣を作っていました。イエスは十字架の横木を自ら背負い、最初の数百メートルは、よろけながらも何とか歩くことができましたが、上り坂に差し掛かったときには、どうにも動けなくなってしまいました。
ヨハネ以外の福音書には、ローマ兵がそばに立っていたシモンという名のキレネ人に、イエスの十字架を無理やり押しつけ、ゴルゴタの丘まで運ばせましたことが記録されています。彼は、北アフリカのリビア地方の町キレネから過越祭に上って来ていた巡礼者でした。彼にとっては、命じられるままに、無理に担がされた十字架でしたが、それははかりも知れない神の恵みを伴うものでした。後に、彼と彼の家族の名が、使徒言行録やパウロ書簡に何度も出てくることから、イエスの十字架を分担した彼の人生が全く変えられたことがわかります。シモンにとって、おそらく生涯に一度のエルサレム巡礼の旅、そのゴールはあの荘厳なエルサレムの神殿ではなく、それはゴルゴタの丘であり、十字架のキリストであったのです。
これがヴィア・ドロローサで起こった事実ですが、ヨハネはシモンのことには一切触れず、頑固なまでに主張します。「イエスは、自ら十字架を背負い、・・・ゴルゴタという所へ向かわれた」と。ヨハネはシモンのこともよく知っていました。すぐそばで彼が十字架を背負うのを見ていたのです。それでもです。たとえイエスが力尽き、イエスの代わりに誰かが十字架を背負ったとしても、イエスが私たちのために重い十字架を自ら背負われた事実に変わりはありません。また、シモンの前を歩まれるイエスの背中には、私たちが負うべき十字架が確かに背負わされていたのです。シモンがイエスの十字架を背負ったのではなく、イエスがシモンの十字架を背負っていたのです。これこそ十字架の神秘です。
あの運命の日、ヴィア・ドロローサでの出来事が、シモンの心を永遠にキリストに結びつけたように、私たちも私たちに与えられる十字架を背負わせていただきましょう。だれ一人誇ることのできるものはいません。ただ従いましょう。「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光と比べると、取るに足りない」のですから。

次の日曜日が、8月最後の礼拝になります。青年たちによる特別集会です。

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十字架の重さ



ドイツの最南部、オーストリアとの国境に連なるドイツアルプスの麓で、四方を山々に囲まれたオーバーアマガウ村は、人口5000人ほどの小さい村ですが、1634年の初演後、1680年からは10年ごとに上演されいる「キリストの受難劇」で有名になった村です。来年が42回目の上演の年になっていますが、休憩をはさんで6時間の舞台は、5月から10月まで、およそ100回演じられます。前回は全世界から50万人を越える人が、この受難劇を見るためにオーバーアマガウを訪れたそうです。
受難劇の始まりは、1633年に遡ります。戦争に荒廃した村にペストが流行し、多くの村人の命が奪われていきました。万策尽きた村人は、神に嘆願し、村を救ってくださったら、10年ごとに受難劇をささげると約束しました。すると、その時から、ペストによる死者はなくなり、ペストにかかっていた病人も死を免れたと村の記録には記されているそうです。村人は神との約束を守り、翌年1634年から村をあげての受難劇をささげるようになったということです。
アメリカのビジネスマンが、オーバーアマガウ舞台裏に入れてもらったそうです。そして劇でキリストが担ぐ十字架を自分も担ごうとしたのですが、そのあまりの重さに驚きました。キリストを演じた村人は彼に言いました。「もし私がキリストの十字架のほんとうの重さを知らなければ、私は決してキリストを演じることはできません」と。
キリストが実際に担いだのは十字架の横木だけであったと考えられていますが、その重さは50キロを越えたそうです。イエス・キリストが背負われた十字架、その重さが私たちにわかるでしょうか。礼拝で、ヨハネによる福音書を学びはじめて5年になりますが、いよいよ十字架の場面になります。イエスが背負われた十字架の重さが、もっとリアルに知ることができればと願っています。もし私たちがキリストの十字架のほんとうの重さを知らなければ、私たちは決してキリストを演じることができないからです。

今週も大切なことを大切に。

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燃えさし



「ガバタにて」という証の中に、エルサレムの神殿を再建するために召された大祭司ヨシュアの話が出て来ます。ゼカリヤ書の3章に出てくる幻ですが、神の法廷に立ち、サタンから情け容赦なく訴えられるヨシュアの姿は、何と惨めで哀れな姿であったことでしょう。このヨシュアの姿こそ、私たちの姿なのです。しかし、主の御使いがはサタンに言いました。「サタンよ、主はお前を責めておられる。エルサレムを選ばれた主はお前を責められる。ここにあるのは火の中から、あのバビロン捕囚という火のような懲らしめと審判を通って取り出された燃えさしではないか。傷もある、焼け焦げた痕もある。しかし、私が選んだ者である」と。
この物語は、宗教改革者マルチン・ルターについて、語り継がれている一つのエピソードを私たちに思い出させます。彼が幽閉されていたヴァルトブルク城の部屋の壁に、インクを撒き散らしたようなシミが残っていると言うのです。ある夜、彼が意気消沈していると、サタンが長い長い巻物を持って現れました。そこには、ルターが生まれてからその日に至るまで、犯した罪が一つ残らず克明に記されていました。サタンは彼を訴え、責め、ののしりました。「お前のような罪人が宗教改革などと、大それたことをよくも考えたものだ。お前のような罪人は地獄からさえ助かることはできないのだ」と。ルターは一瞬、魂の苦痛を覚え、絶望感を味わいましたが、次の瞬間、信仰を奮い立たせ、サタンに向かってインクの壷を投げつけて言いました。「サタンよ、確かにお前の言う通りだ。しかし、お前に言っておく、その長い巻物の最後に、こう書いておきなさい。『御子イエスの血が、すべての罪から我らを清める』」と。」

全国中高生大会も無事に終え、名古屋からの参加者ももうすぐ帰って来ます。

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ガバタ



「ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち、『敷石』という場所で、裁判の席に着かせた。」
イエスの裁判について、ずいぶん長い時間をかけて学んできましたが、ついにイエスの十字架刑が結審し、ピラトはイエスをユダヤ人に引き渡します。イエスは自ら十字架を背負い、ゴルゴタの丘(カルバリ山)に向かって歩み始めます。
この判決が下された現場がガバタと呼ばれる場所で、「ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)」と呼ばれる十字架の道行きの出発点になります。現在、エルサレムの神殿の北側、ピラトの法廷があったアントニウスの館には、エッケ・ホモ(この人を見よ)教会が建てられており、その地下には二千年前の敷石が遺されています。
母教会の恩師が、聖地巡礼でこの場所を訪れた時のことをある文集に綴っています。信徒時代、何度もその証を聞き、主の愛に泣きました。昨日の礼拝では、イエスが受けた裁判のまとめとして、この証をメッセージとして語らせていただきました。

台風が心配されていますが、今週は全国中高生大会が開催される予定です。この大会が始まって30年になりますが、私も20年ほど関わらせていただきました。たくさんの恵みに感謝します。
今週も大切なことを大切に。

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裁判の席



ピラトは、ユダヤ人の指導者たちが「あなたは皇帝の友ではない」と言う言葉を聞くと、イエスを官邸から外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち、『敷石』という場所で、裁判の席に着かせました。マタイの福音書を見ると、この事態を収拾できないと見るや、ピラトは自らの手を水で洗い、「この人の血について、わたしには責任がない」と言い、イエスを十字架につけために引き渡したことが記されています。ピラトは最後まで責任逃れをしましたが、彼にも責任があったことは明白です。その証拠に、彼の名は今日に至るまで、イエスは「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け」と使徒信条の中で覚えられ、イエスを十字架に渡した責任者として、歴史にその名を刻んでいます。
ヨハネ福音書に「イエスを・・・裁判の席に着かせた」と記されていますが、当時のローマの法廷では、通常、席に着くのは裁判官であって、被告人はそこに立ったままです。文法上は、「ピラトが裁判の席に着いた」とも訳せる言葉なので、それが自然なのですが、現実の世界を越えて、見えない世界を示そうとするヨハネの論法から考えるなら、イエスが裁かれる裁判の席にあって、誰が裁かれているのか、最後の審判者は誰なのか、私たちに考えさせようと「イエスを裁判の席に着かせた」と記されたのかも知れません。
ヘブライ人への手紙9章にはこう記されています。「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定められている」と。不確かな人生にあって、100パーセント確実なことは、誰もが死を経験することです。その時、すべての人は神の裁きを受けることになります。その時には、私たちが今日をどのように生きたのかが明らかにされるのです。ということは、今日も私たちは神の裁きの座に立たされているということではないでしょうか。
ヨハネ福音書の3章17節にこう記されています。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」これこそキリストが世に遣わされた目的です。この17節の前が16節です。今、御子による救いを受け取ってください。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

明日は志摩での土曜礼拝です。

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私たちに潜む凡庸な悪



以前、中日春秋に「ハンナ・アーレント」という映画の話題が載っていました。
誰が言ったのか定かならぬ警句がある。「一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計である」。独裁者スターリンが言ったという説もあれば、ナチスのユダヤ人大虐殺に関わったアイヒマンの言葉ともされる。アイヒマンは、1960年に逃亡先の南米でイスラエルの秘密機関に捕らえられ、エルサレムで裁かれた。600万人を死に追いやったと糾弾された彼が、現実に法廷で口にしたのはこういう言葉だった。「私は命令に従ったまでです」「殺害するか否かは命令次第です。」
『ハンナ・アーレント』は、大量殺戮時代の悪の本質に迫ろうとした哲学者を描く映画だ。収容所の恐怖を体験したアーレントは裁判を聴くうち、アイヒマンを怪物扱いする法廷と世論に違和感を抱くようになる。「彼はどこにでもいる人。怖いほど凡人なの」「彼に罪の意識はまったくない。法に従ったからよ」。
まじめで組織に忠実な人が、自ら考えることをやめた時に結果として為す「悪」。彼女が見たのは、ごくありふれた悪の姿だった。アーレントは名著『イェルサレムのアイヒマン』で記している。「政治においては服従と支持は同じもの」。百万の悲劇を単なる数字に変えてしまうのは、怪物のような政治家ではなく、私たちに潜む凡庸な悪なのだろう。
8月に入り、平和について考えるシーズンですが、考えさせられる内容です。ヨハネ福音書のシリーズもずっと受難の記事を学んでいますが、イエスの死に関わる人間模様が続きました。主を三度も否み、激しく泣いたペトロ。主に最後まで「友よ」と呼ばれながら、銀貨30枚で主を売り、自らその命を絶ったイスカリオテのユダ。そして、イエスを十字架に付けるように宣告したローマ総督ピラト。
キリストの死に関わった彼らは、私たちよりも罪深かったのでしょうか。いいえ、彼らも平凡な人々で、私たちにも彼らと同じ罪や弱さがあります。ですから、私たちは、なぜかペトロの失敗を笑えません。イスカリオテのユダの裏切りを責められません。そして、ピラトの保身的な生き方、優柔不断さ、誤った選択についても、それを非難し、責任を追及できないのです。彼らも私たちと同じ普通も、平凡は人だったからです。もし私たちが二千年前に、あの場所にいたならどうしたのでしょうか。そんなことを考えながら、キリストの受難に遭遇した人々の視線や息遣い、その場の風景や空気を感じられたらと思います。

今週も大切なことを大切に。

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罪人のひとりに数えられた



イエス・キリストこそ私たちの友です。イエスは言われました。「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」と。マタイ福音書11章にはこうも書かれています。洗礼者ヨハネとイエスの働きが対比して語られている所です。ヨハネが来て断食していると「あいつはおかしい」と言っていた人が、19節、「人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、あれは罪人の仲間だ』と言う。」いま巷で大きく取り上げられているニュースと言えば、京都アニメーションの放火もそうですが、吉本興業の闇営業とそれにまつわる不祥事でしょうか。発端は、芸人さんが、反社会勢力のパーティーに知らずに呼ばれ、そこで撮られた写真がスクープされてしまったことです。もし二千年前、カメラ(スマホ)があったら、きっとイエスが徴税人や遊女、罪人と呼ばれる人たちの家に招かれては宴会に出ている姿が撮影され、スクープされたのではないでしょうか。
イザヤ書53章にはこう書かれています。「彼(メシア)が自らをなげうち、死んで、罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった。」あの日、カルバリ山には3本の十字架が立てられました。その姿が撮影されていたとしたら、どこからどう見ても、キリストは罪人のひとりです。それは私たちの友となり、私たちに大きな愛を示すためでした。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」
皇帝の友と呼ばれることを誇りとしたピラトのようにではなく、イエスから「わたしはあなたを友と呼ぶ」と言っていただけることを感謝し喜ぶ人となれますように。

次の日曜日は8月のオープン礼拝です。ぜひお出かけください。

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皇帝の友



このままピラトがイエスに有罪宣言をしなければ、イエスを死刑にすることができないと考えた祭司長たちは戦略を変更しました。彼らは、ローマに対する反逆罪を訴因にすることを諦め、自分たちの律法を持ち出し、「イエスは自らを神の子と名乗っている」という神への冒瀆罪で改めてイエスを告発したのです。法律の話しからすれば、これは新しい訴因であって、ピラトは裁判のやり直しをしなければなりません。更に言えば、それはユダヤの律法であって、ローマ法ではないので、裁判を打ち切ることもできました。とは言え、ここに至っては、祭司長や議員たちの強引な要求を退けることはできません。ピラトは、イエスを再び総督官邸に連れ込んで尋ねました。「お前はどこから来たのか」と。イエスはピラトの問いかけに沈黙で答えましたが、イエスの態度に苛立ちを感じたピラトは、「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか」と応戦します。するとイエスは、ご自分がどこから来たのかということについては口を閉ざされたままでしたが、ピラトの間違いを正すためには口を開かれました。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い」と。イエスの言葉はピラトに神への畏れを起こさせたのでしょうか。ピラトは更にイエスを釈放しようと努めましたが、ユダヤ人たちが発した最後の言葉によって、ピラトはその努力を放棄することになります。「しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。『もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は、皇帝に背いています。』」
ユダヤ人たちはピラトに、皇帝の友であるか否かと問いました。これまで、ピラトが直面してきたのは、「イエスが有罪か無罪か」という問いでしたが、その問いは、Yesと答えても、Noと答えても、彼がいま置かれている立場を危うくものではありませんでした。しかし、最後に突きつけられた問いは、ピラトの政治生命に直接関わるものでした。すなわち、自分は皇帝カイザルの味方なのか、それとも敵なのかを答えなければならなくなったのです。
時のローマ皇帝はティベリウスと言いますが、疑い深い暴君として知られています。皇帝への背信をほのめかされ、ピラトは動揺しました。当時ピラトは、ローマ本国で起こっていたある事件のために、政治的に微妙な立場に追い込まれていたようです。彼がユダヤの総督になれたのは、ある友人の尽力があったからですが、この人物が皇帝に対する反乱を画策していることが発覚し、殺されてしまいました。ピラトにも、この陰謀に加担していたという疑惑がかけられていたのです。もしユダヤの最高法院が、ピラトは「皇帝の友ではない」「皇帝に背いている」と報告すればどうなるのか。この後、ピラトはユダヤ人に従わざるを得なくなるのです。「ピラトはこの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、・・・裁判の席に着かせた。」

今週も大切なことを大切に。

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どこから来たのか



ピラトはイエスに尋ねました。「お前はどこから来たのか。」今さら、イエスの出身地を尋ねているのではありません。「あなたが来たのは、神からなのか、それとも人からなのか」と尋ねているのです。イエスはかつて、祭司長や民の長老たちと、洗礼者ヨハネについて、同じ議論をしたことがあります。「ヨハネの洗礼はどこからのものだったのか。天からのものか、人からのものか」と。
「真理とは何か」という先の問いかけにもまさって、「あなたはどこから来たのか」との問いは重大な意味を持っていました。しかし、イエスはひと言もお答えにならず、ピラトとの対話の中で三度目の沈黙を貫かれました。この場合、イエスにとって、神の子としての証は、それを名乗ることではなく、ピラトが再三イエスの無実を訴えたように、沈黙のうちに、罪なき者として全人類の救いのために、自らをささげると言うことだったからです。
岩手県の沿岸部「ケセン地方」に昔から伝わる言葉を中心に、北は津軽から南は薩摩までの日本の方言で訳されたユニークな聖書があります。イエスや弟子たちはケセン語を使い、エリコの人たちは名古屋弁、エルサレムの人たちは京都弁、そしてローマ人はなぜか鹿児島弁を使います。「この言葉を聞いて、ピラトは思わずゾッと寒気がして、はなはだ気味が悪くなった。それで、代官陣屋に入って、またもイェシューさまに尋ねた。『汝は、故郷は何処か?』(わや、くにはどっつか?)イエスの故郷はどこでしょう。実は、これもヨハネ福音書が、私たちに語り続けてきたメッセージです。
イエスは言われました。「天から降って来た者、すなわち人の子(わたし)のほかには、天に上った者はだれもいない。」「 わたしは、天から降って来た生きたパンである。」さあ、天を故郷とされる方に私たちの目を向けましょう。父のふところにいる独り子である神に。

夜になって雨が降ってきました。

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どこから来たのか



4月の終わり頃から、イエスとピラトとの対話を通して、イエスのご受難の意味について学んでいます。個人的な対話とかみ合わないやり取りは、ヨハネ福音書の特徴でしたが、ピラトが語った「この人を見よ」との声に促され、「この人こそ、人となりたる生ける神なれ」との告白に導かれることこそが、神の御心であり、ヨハネ福音書の目的でした。
さて、これだけイエスを懲らしめたら、ユダヤ人たちの妬みから来る怒りも収まるにちがいないと考えたピラトでしたが、血まみれのイエスを見ると、祭司長たちや下役たちは「十字架につけろ。十字架につけろ」と狂ったように叫び出しました。手がつけられなくなったピラトは困り果て、「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない」と言い放つと、祭司長たちは言います。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです」と。
彼らは当初、イエスが自らをユダヤ人の王と言っているとの理由から、ローマ皇帝への反逆罪を訴因として裁判を起こしていましたが、ここで告発内容を変えます。彼らはローマ法に照らしてイエスの有罪を主張してきましたが、ここに至って訴因を、ローマ皇帝に対する反逆罪から、神に対する冒とく罪にすり替えたのです。
神への冒とく罪は、ユダヤ人にとっては大罪であったとしても、多神教でギリシアの神々を奉っているローマ人にとっては無意味なことでした。しかし、イエスの存在に触れれば触れるほど、犯しがたい何かを感じていたピラトにとって、イエスが自らを神の子と主張しているという言葉は、イエスに対する恐れを与えました。人間の姿を装い地上に現れるという神々の物語が彼の脳裏をよぎったのでしょうか。「あの正しい方にこれ以上関係しないでください」という妻からの伝言を受けていたにも関わらず、イエスに酷い仕打ちと辱めを与えてしまった自分に、何か不吉なことが起こるのではないかと思ったのでしょうか。ピラトは、イエスを再び総督官邸に連れ込んで尋ねました。「お前はどこから来たのか」と。

今週も大切なことを大切に。

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