十字架のそばには



「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、『婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」
これはイエスが十字架上で語られた7つの言葉の第3の言葉です。ヨハネ福音書には、第5の言葉、第6の言葉も記録されています。初めに十字架上の罪状書きについて記したヨハネは、次に十字架のもとで起こった2つのことを私たちに伝えます。第1に、ローマ兵に見るイエスに対する無関心、イエスの衣服の分担とその意味。第2に、婦人たちに見るイエスへ愛と、イエスの母と愛する弟子への愛の言葉です。
その日、十字架のそばには、4人の婦人とイエスの愛する弟子(ヨハネ)が立っていました。4人の婦人とは、イエスの母マリア、母マリアの姉妹(この人は福音書を書いているヨハネの母であり、名をサロメと言います。そして)、クロパの妻マリア(この人はイエスの母マリアの夫ヨセフの兄弟クロパの妻と考えられていますから、マリアにとっては義理の姉妹にあたります。彼女)とマグダラのマリアの4人です。マグダラのマリアのことは、やがて復活の記事で詳しく学ぶことになります。
彼女たちの愛に胸を痛めながら十字架のもとに立ち尽くす姿は、十字架には目もくれず、イエスの服を分け合うために、くじに興じている4人のローマ兵とはあまりにも対照的です。マザー・テレサは「愛の反対は無関心です」と言いましたが、イエスが十字架の上で大いなる救いの業を成し遂げようとしている最中、十字架のもとに、このような2つのグループが存在していたとは何と厳粛なことでしょう。私たちはどちらにいるべきでしょうか。
私たちが十字架に無関心でありませんように。十字架に対する感謝と感動を失うことがありませんように。
イエスよ十字架に、われをば引き、たえずみもとに、保ちたまえ。われは誇らん、主の十字架を、あまつ憩いにいる時まで。アーメン。

今日は地区の先生方と祈りのひと時を持たせていただきました。
今週も大切なことを大切に。

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愛に生きる共同体

礼拝メッセージ 「愛に生きる共同体」
聖書 ヨハネによる福音書19章25-27節ほか
ヨハネによる福音書シリーズ(176)

19:25 イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
19:26 イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
19:27 それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

申命記
5:33 あなたたちの神、主が命じられた道をひたすら歩みなさい。

今週も礼拝の恵みに感謝。

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わたしは御名を知らせました

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
ヨハネによる福音書17章から。

17:26 わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。
わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。

申命記
5:33 あなたたちの神、主が命じられた道をひたすら歩みなさい。

祈祷会ではしばらく秋期聖会のメッセージを学びます。

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ひたすら歩みなさい



京都秋期聖会の恵みを感謝します。

あなたたちの神、主が命じられた道をひたすら歩みなさい。(申命記5:33)
それは、あなたたちにとって決してむなしい言葉ではなく、あなたたちの命である。(申命記32:47)
わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。(ヨシュア1:5)

今週も大切なことを大切に。

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砂漠が美しいのは

礼拝メッセージ Video「砂漠が美しいのは」
聖書 ヨハネによる福音書17章15-19節

17:15 わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。
17:16 わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。
17:17 真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。
17:18 わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。
17:19 彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。

本日は京都聖会のため、昨年10月7日の礼拝の映像を放送。
今週も礼拝の恵みに感謝。

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破られなかった衣



十字架の上の罪状書きを紹介したヨハネは、次に十字架の足もとで起こった2つのことを記録しています。第1に、ローマ兵に見るイエスに対する無関心、イエスの衣服の分担とその意味。第2に、婦人たちに見るイエスに対する愛、イエスの母マリアと弟子ヨハネへの愛の言葉、十字架上で語られた7つの言葉の第3語です。
さて、十字架による死刑執行は通常4人の兵士によって行われたようです。十字架の足もとで、イエスの衣服を分配した4人が、その日の担当でした。彼らはイエスを十字架につけてから、まずイエスが身に着けていた上着、下着、頭を覆う布、そしてサンダルを、くじをひいて分けました。彼らの姿は、あまりにも現実的で、十字架の神秘とはあまりにも対照的です。
ところで、イエスが身に着けていた「縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった下着」とはどんなものだったのでしょう。ここで使われているギリシア語のキトンという言葉は、衣あるいは外套とも訳せる言葉です。興味深いことに、出エジプト記28章32節によれば、大祭司の着る服は、縫い目のない織物でなければならないと教えられています。
では、縫い目のない一枚織りの衣、破られなかった衣とは何を意味しているのでしょう。他の福音書を見ると、イエスの死によって、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けたことが書かれていますが、ヨハネにはそれが出て来ません。かえって、ヨハネは破れなかったものがあったことを私たちに伝えているのです。神殿の幕が破れたことは、地上の祭司の務めが終わったことを意味しますが、破られなかったイエスの衣は、真の大祭司、神の子であるイエスの祭司職はいつまでも終わらないことを、私たちに教えているのです。ヘブライ人への手紙にはこう記されています。「彼はまた、ご自分を通して神に来る人々を徹底的に〈完全に、申しぶんなく、決定的に、とこしえに変わることなくいつも〉救うことがおできになるのです。なぜなら、彼は常に生きておられ、彼らのために神に嘆願されるからです。」アーメン。

今日から秋の京都聖会。
日曜日、名古屋教会での礼拝は通常どおりです。

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全き献身

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
コリントの信徒への手紙二5章から。

5:14 なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。
5:15 その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。

今日は9月19日、『リベカ抄』からお勧めがあり、明日からの聖会のために祈りが積まれました。

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あらゆる名にまさる名



イエスをユダヤ人に引き渡したローマ総督ピラトは自らが書いた罪状書きを、イエスの十字架に掛けさせました。罪状書きには通常、囚人の名前とその罪状が書かれますが、ピラトは「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と、その名と彼が名乗った身分をそのままそこに書きました。それは「皇帝のほかに王はありません」と言って、イエスを拒否し、死に追いやったユダヤ人に対する皮肉でもありましたが、神がそう書かせたと言ってもいいでしょう。その日、過越祭を祝うために世界中から集まっていた人々がそれを読んだからです。
十字架のもとに最後まで立っていた弟子のヨハネは、この罪状書きが、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていたと伝えています。ヘブライ語は右から左に読みますが、この頭文字を並べると一つの言葉が浮き上がってきます。神の聖四文字です。これは単なる言葉遊びと言われるかもしれませんが、それにしても不思議です。ユダヤ人はこの聖四文字を、「神の名をみだりに唱えてはならない」との教えから、発音するのを止め、アドナイと読むようになり、正しくどう発音するのかは今もわかりません。しかし、いずれにしてもこれは神の絶対的な御名なのです。
これを見たユダヤ人が憤慨し「この男は『ユダヤ人の王』と自称した」と書いてくださいと言った真意もそこにあったのです。しかし、ピラトは彼らの訴えを取り扱うことなく、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えました。それはこの罪状書きを、いいえ、この看板(タイトル)を書いたのが、ほんとうは父なる神であったからではないでしょうか。十字架の前に、ただひれ伏すのみです。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」

今週も大切なことを大切に。

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聖衣

礼拝メッセージ 「聖衣」
聖書 ヨハネによる福音書19章23-24節
ヨハネによる福音書(175)

19:23 兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。
19:24 そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。

今日の礼拝では、敬老祝福の祈りがささげられ、共に敬老の日をお祝いしました。
今週も礼拝の恵みに感謝。
今日はこれからヨハネ会の親睦会です。

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御名の感動

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
出エジプト記3章から。

3:10 「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」
3:12 神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。・・・」
3:14 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」

今週9月10日で、創立者の大槻武二牧師が召されて15年が経ちました。そこで召天10周年の記念に出版された「雲の柱、火の柱」の序文を紹介し、巻末に収められている「続・選民の花束」から「御名の感動」を紹介し、私たちの使命を確認しました。

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