キリストの証人

礼拝メッセージ 「キリストの証人・前編」
聖書 ヨハネによる福音書15章18-27ほか
ヨハネによる福音書シリーズ(124)

15:18 「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。
15:19 あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。
15:20 『僕は主人にまさりはしない』と、わたしが言った言葉を思い出しなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう。わたしの言葉を守ったのであれば、あなたがたの言葉をも守るだろう。
15:21 しかし人々は、わたしの名のゆえに、これらのことをみな、あなたがたにするようになる。わたしをお遣わしになった方を知らないからである。
15:22 わたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが、今は、彼らは自分の罪について弁解の余地がない。
15:23 わたしを憎む者は、わたしの父をも憎んでいる。
15:24 だれも行ったことのない業を、わたしが彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが今は、その業を見たうえで、わたしとわたしの父を憎んでいる。
15:25 しかし、それは、『人々は理由もなく、わたしを憎んだ』と、彼らの律法に書いてある言葉が実現するためである。
15:26 わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。
15:27 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。

今週も礼拝の恵みに感謝。

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プロは道具を大切にする。音楽家には楽器。料理人には鍋や包丁。イチローの活躍の背後にも、彼のバットを20年近く作り続けてきた専門職人がいるそうだ。多くの説教家にとっての道具。それは辞書であり、さまざまな書物であり、パソコンであり・・・・・・。しかし、多くの場合、あまりに身近すぎて気づかれず、ぞんざいな扱いを受けている道具がある。それは「声」である。・・・
「声」についての説教者必読書は、今なお竹内敏晴の『ことばがひら劈かれるとき』である。彼は言う。

「話しかけるということは、こえで相手のからだにふれること、相手とじかに向かいあい、一つになることにほかならない。・・・話しことばは、まずこえを発する衝動がからだの中に動かなければ生まれない。・・・話しことばは、まずなによりも他者への働きかけです。相手に届かせ、相手を変えること。・・・たんなる感情や意見の表出ではない。・・・われわれは歪んでおり、病んでいる。スラスラしゃべれるものは、健康という虚像にのって踊っているにすぎますまい。からだが、日常の約束に埋もれ、ほんとうに感じてはいない。そこから脱出して、他者まで至ろう、からだを劈こう、とする努力、それがこえであり、ことばであり、表現である、とこう言いたいのです。」

声は、説教原稿の文字を業務的に読み上げる道具ではない。説教者は肉体をもって、会衆の前に立つ。そして、福音に突き動かされ、肉体から湧き起こる声をもって、しかも福音の光の中で、ある願いを抱きつつ、声で聴き手にふれるのである。説教者は、その声をもって、相手を変えようとする。自分に起こった変化が、聴き手にも起こることを願いながら。
そして、その言葉が相手に届く瞬間、聴き手は動く。礼拝堂の空気が震える。


『説教を知るキーワード』という本を読んで、教えられることが多かった。使徒言行録の2章のペンテコステの朝の説教のように、聴く人のからだに触れるような声で説教ができるように祈る。

「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか』と言った。・・・ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。」アーメン。

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カナの奇跡(聖書に見るマリアの姿)

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
ヨハネによる福音書の2章から。

2:1 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
2:4 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
2:5 しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
2:6 そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
2:7 イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
2:8 イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。
2:9 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、
2:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
2:11 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

ペンテコステの恵みに感謝しつつ、6月3日に計画されているマリア会大会の準備となるお勧めをいただきました。
大会を通して、私たち一人一人が霊的な底上げをしていただくことができますように。

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教会になる



ビリー・グラハムがまだ若かった頃、アメリカの南部モンゴメリーで持たれたクルセードの講師として招かれた。モンゴメリーはキング牧師で有名な町だが、人種差別の激しい地域であったが、ビリー・グラハムは、このクルセードで、白人と黒人の席を分けることを拒否し、白人と黒人の合同聖歌隊を作ることを要望した。南部のメディアは、一斉に彼を批判し、新聞は「田舎者ビリー・グラハムは教会を100年前に戻すためにやって来た」と、でかでかと一面に載せた。しかし、クルセードの当日、ビリー・グラハムは大会衆とメディアを前にして一寸もひるむことなくこう語ったのだった。「私が教会を100年前に戻そうとしているなら、私の働きは失敗だ。私は100年前ではなく、2000年前に戻そうとしているのだから」と。ビリー・グラハムが説教の中でくり返した語ったワンフレーズがある。「But the Bible says(しかし、聖書は言っている)」だ。
ある人が言った。「教会に行く人は多いが、教会になる人は少ない。」教会とはキリストの体である。確かに、教会に通う人は多いかも知れないが、キリストの体なる教会になる人は少ないのではないか。昨日はペンテコステ(聖霊降臨記念日)、初代教会誕生の記念日だった。聖霊に満たされた初代教会のメンバーの活躍が使徒言行録に記録されている。2000年前の教会である。さあ、聖書に帰ろう。私は教会になりたい。「キリスト者はキリストのごとく、教会は使徒行伝のごとく。」

昨日の礼拝は、青年大会の報告集会だったが、礼拝後、Mさんのチェンバロコンサートの報告、命の行進に参加されたMさんの報告、所用で名古屋の礼拝に出席していたKさんから、来月に迫った合唱団のコンサートツアーの祈りのリクエストがあり、充実した時間を持たせていただいた。
今週も大切なことを大切に。

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内におられるキリスト、栄光の希望

ペンテコステ礼拝
メッセージ 「内におられるキリスト、栄光の希望」ヨハネ会チーム
聖書 コロサイの信徒への手紙1章26-29節

1:26 世の初めから代々にわたって隠されていた、秘められた計画が、今や、神の聖なる者たちに明らかにされたのです。
1:27 この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。
1:28 このキリストを、わたしたちは宣べ伝えており、すべての人がキリストに結ばれて完全な者となるように、知恵を尽くしてすべての人を諭し、教えています。
1:29 このために、わたしは労苦しており、わたしの内に力強く働く、キリストの力によって闘っています。

今日はペンテコステ(聖霊降臨記念日)、初代教会誕生の日。4月の終わりに持たれ全国青年大会に参加した青年たちによってメッセージが語られ、祝福された礼拝になりました。今週はペンテコステの恵みを感謝します。

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御名御璽



「わたしの名によって父に願うものは何でもあたえられるように」。
イエスの名によって祈る祈りは、イエスの祈りとなります。王の名と王の印について、エステル記には興味深い言葉があります。クセルクセス王は、自分の指輪(王の印)をモルデカイに与えて、エステルとモルデカイに言いました。「お前たちはよいと思うことをユダヤ人のために王の名によって書き記し、王の指輪で印を押すがよい。王の名によって書き記され、王の指輪で印を押された文章は、取り消すことができない。」同じように、私たちがイエスの名を呼んで、「イエス・キリストの御名によってお祈りします」と印を押す時、それは私の祈りではなく、イエスの祈りとなるのです。
ところが、私たちはそれを知らないで勝手なことを願い、何も叶えられないと嘆くことが多いのです。「願うものは何でも与えられる」と言っているのに、なぜ?。・・・次第に神に失望し、祈りが遠ざかってしまうこともあるかも知れません。イエスは、弟子たちから「わたしたちにも祈りを教えてください」と乞われ、大切な「主の祈り」を教えられた後、真夜中に「友よ、パンを貸してください」としつように願う人の話しをされ、次のように言われました。「求めなさい。そうすれば、与えられる。捜しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」と。ですから、私たちもイエスの名によって、祈り求め続けましょう。次の日曜日はペンテコステ(聖霊降臨記念日)、先ほどのイエスの言葉の最後は、「まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」ということでした。期待し、求め続け、天の門をたたき続けましょう。
学生の頃に聞いたエステル記のメッセージで「御名御璽(ぎょめいぎょじ)」という言葉を教えていただいたことがありました。御名とは王の名、御璽とは王の印という意味です。王の名を持って書き、王の指輪をもって印された書はだれも取り消すことができないと言うことです。それが王妃エステル、キリストの花嫁に与えられました。これを人々の幸せのために、エルサレムの平和のために使わせていただきましょう。

次の日曜日はペンテコステ(聖霊降臨記念日)の礼拝です。

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内におられるキリスト、栄光の希望

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
コロサイの信徒への手紙1章から。

1:27 この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。

先週に続き、青年大会の報告集会となるペンテコステの礼拝に備え、リバイバルメッセージの後半をみんなで音読し味わいました。あなた語る人、わたし聞く人、と言うのではなく、みんな語る人。ペンテコステは、そんな激しく天の門をたたく、一体感のある集会になります。

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この時のためにこそ



「お父さん、・・・お父さんが牧師になってあの教会に行ったのは、この時のためだったと私は思うよ。」
東日本大震災の直後、ある牧師は娘さんからこんなメールを受け取り腹をくくったと証ししていました。
「これが私の人生だ。これが私の舞台。やるだけやろう」と。

みなさんは旧約聖書に登場するエステルの物語をご存知でしょうか。聖書は66巻からなりますが、女性の名前が付けられている書が2つあります。ルツ記とエステル記です。どちらも短い書物ですが、神の選びとその目的について深い内容を含んでいます。
エステルの物語。時は紀元前480年頃(キュロス王の勅令によりバビロンからエルサレムに帰還した人々によって第二神殿が建てられていく時代)。舞台はエルサレムから1500キロも離れたペルシア帝国の首都スサ。時の王クセルクセスは、帝国の栄華を誇示するため、インドからアフリカに至るまで、127州すべての支配者を集め、180日に及ぶ宴会を開きました。その席で、酔った王は王妃ワシュティの美しさを見せるために彼女を呼び出しました。歴史家たちは、王妃は王冠以外の何も身に着けずに出てくるように命じられたと言っています。それを断った王妃は位を剥奪され、王宮から追放されてしまいました。
それから2年、新しい王妃を選ぶためにミス・ペルシア・コンテストが開かれ、若きエステルが王妃として選ばれます。幼い時に両親を失った孤児であるエステルは、いとこのモルデカイに引き取られて育てられました。そんな彼女にとって、これはシンデレラストーリーです。
クセルクセス王の次に帝国で権威を持っていたのが、首相のハマンです。彼は権威と力を愛し、ペルシア帝国のすべての住民が自分の前にひざまずくことを求めました。しかし、皆がひざまずく中で、あのモルデカイだけが彼を拝みませんでした。理由を問われたモルデカイは、自分は神を信じるユダヤ人であって、神以外の何ものをも拝まないと答えます。そこで怒り狂ったハマンは、王をだまし、ペルシア帝国中のユダヤ人を根絶する法律を作り執行します。歴史家によれば、当時、ペルシア帝国全土にユダヤ人が1500万人いたと言います。ヒトラーによるホロコーストが600万人ですから、倍以上のユダヤ人の命が死の危険にさらされたことになります。
モルデカイは、ユダヤ人撲滅の命令が出された時に、すでに王妃であったエステルにそれを知らせ、王に頼んでその法律を取り消してもらうようにと進言しました。しかし、王妃とは言え、王に呼ばれていないのに、王の庭に入ることは許されていませんでした。もし、許しなくそこに入るなら、王妃であっても死を免れません。ただ、王が金の笏を差し伸べられる場合のみ、その者は死を免れます。
若きエステルは、スサにいるすべてのユダヤ人に三日間の断食を願い、三日後、決死の覚悟で王の庭に立ちます。エステルは神の御心に従わずに生き延びることよりも、神の御心に従って死ぬことを選んだのです。王は王の庭に、ロイヤルドレスを身に着け、背筋をピンと伸ばし、使命に燃えて立つエステルを見て驚きます。王は手にしていた金の笏をエステルに向かって伸ばし、彼女はそれに触れました。
聡明なエステルは王とハマンを呼んで二晩に渡って宴を催します。二日目、エステルは、「私の命と私の民族の命をお助けください」と王に訴え、自分がユダヤ人であること、ユダヤ人絶滅の命令を出したのがハマンであることを王に告げました。こうして、ユダヤ人絶滅計画がギリギリのところで食い止められたのです。このユダヤ人救済を記念して祝われるのがエステル記を起源とするプリムの祭りです。

ところで、エステル記には、エステルの名前が56回も、そしてモルデカイの名前が、それ上回る61回も出て来ますが、一度も出て来ない名前があります。それは神です。エステル記には、「神」という文字が一度も出て来ません。これはエステル記を聖書の正典として認めるか否かという時にも問題になりましたが、たとえ神という文字が無くても、エステル記ほど、歴史を動かし、支配しておられる神の指が現されている書は他にないという結論に達しました。
もし神がおられるのなら、どうしてこのような事が起こるのか、答えが見えなくて苦しんでいる人がいるなら、エステル記は、私たちの人生のハッピーエンドを知っている目に見えない神がいることを私たちに伝えます。
あの絶体絶命の危機の中、モルデカイはエステルに伝えました。「他のユダヤ人はどうであれ、自分は王宮にいて無事だと考えてはいけない。この時にあたってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解放と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるにちがいない。この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」と。
それに対するエステルの答えです。「早速、スサにいるすべてのユダヤ人を集め、わたしのために三日三晩断食し、飲食を一切断ってください。(これは単なる願掛けではなく、決死の祈りです。)わたしも女官たちと共に、同じように断食いたします。このようにしてから、定めに反することではありますが、わたしは王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります。

選びの目的の第一は、枝として実を豊かに結び、その実がいつまでも残ることです。私たちが結ぶべき実には、いくつもの意味がありますが、渡辺和子先生の言葉によれば、「咲く(実を結ぶ)ということは、仕方がないと諦めることでなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすること」です。エステルは、自分の幸せだけではなく、人々の幸せのために、「この時のためにこそ」という神の選びと神の時に身を委ねたのです。私たちも誰かの幸せのために、神の選びと神の時に身を委ねようではありませんか。

今日は長くなりましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
今週も大切なことを大切に。

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続・選ばれてここに立つ

母の日の礼拝
礼拝メッセージ 「続・選ばれてここに立つ」
聖書 ヨハネによる福音書15章16-17節ほか
ヨハネによる福音書シリーズ(123)

15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
15:17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。

エステル記
4:13 モルデカイは再びエステルに言い送った。「他のユダヤ人はどうであれ、自分は王宮にいて無事だと考えてはいけない。
4:14 この時にあたってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解放と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるにちがいない。この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。」

8:8 お前たちはよいと思うことをユダヤ人のために王の名によって書き記し、王の指輪で印を押すがよい。王の名によって書き記され、王の指輪で印を押された文書は、取り消すことができない。

今日は母の日、世界中の母と呼ばれる存在に「ありがとう」を伝えましょう。
今週も礼拝の恵みに感謝。

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これが私の舞台だ。



神の選びは不思議です。パウロは言います。「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです」と。
私たちは、この神の永遠の愛による選びがよくわかっていません。キリストが語られた「わたしがあなたがたを選んだ」という言葉を、詳訳聖書では「私があなたたちを選んだ<植えた>のである」と訳していました。Bloom where God has planted you.(神が植えられたところで咲きなさい)です。カトリックのシスター渡辺和子先生は、「咲く(実を結ぶ)ということは、仕方がないと諦めるのでなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです」と言っています。神の選びに感謝し、置かれた場所、植えられた場所で、豊かな実を結ばせていただければ感謝です。
東日本大震災から7年が過ぎましたが、以前福島のいわき市にある教会に行かせていただいた時に、すぐそばにある一つの教会を紹介されました。福島第一原発の最も近くに建っていた教会で、避難して来られ、新しい会堂を建てられたということでした。その教会の佐藤彰先生は、たくさんの本を書いておられるので、私も知っていました。『選ばれてここに立つ』という本は、震災から一年後に語られた先生のメッセージをまとめたものです。

いつ頃からか、教会の人に、「私たちは選ばれたんだ」と言うようになりました。なんで福島第一聖書バプテスト教会という名前なのか。なぜ後からやって来た原発が地名で呼ばれずに「福井島第一原子力発電所」なのか。(開拓者の)ホレチェック宣教師はどこに教会を作ってもいいとは考えなかったはずです。・・・この土地を「選んだ」のです。まさかその後震災に遭うとは思っていなかったとしても。それは「選ばれた」ということなのです。
韓国の牧師が電話をしてきて言いました。「なぜおにぎり一個のために何時間も日本人は並ぶことができるの?なぜ喧嘩にならないの、暴動にならないの?ありえないよ。これほどの震災に耐えうる文化を育んだのが日本人なんだね。神は日本人を選ばれたんだね。・・・」それを聞いて私も、あらためてうちの教会は選ばれたんだなと思いました。
・・・教会に赴任して30年。心血を注いで建て上げてきた教会が一夜にして失われたのです。人生は悲しいものだなと思いました。・・・教会は一巻の終わり。終結宣言をするのだと思い、本当にボロボロの敗残兵のように打ちのめされていたのです。が、うちの娘が、あの緊張の最中メールを寄こして来たんです。「お父さん、私毎日泣いています。ほんとうは飛んでいきたいけどお腹に赤ちゃんがいるから、私の分まであの人とこの人を励まして来て。お父さんが牧師になってあの教会に行ったのは、この時のためだったと私は思うよ。
・・・涙がボロボロと流れました。「親を泣かせやがって」「親に説教しやがって」・・・だけど本当だ。私の誕生日は3月11日です。「よし、二度と言うまい。口が裂けても言うまい、なんでこんな目に遭うんだとは。これが私の人生だ。これが私の舞台だ。やるだけやろう」と決めたのです。

神の選びによって、私たちはそれぞれの場所に植えられました。キング牧師が語ったように、そこで与えられた仕事を、「ミケランジェロが名画を描いたときのように、ベートーベンが名曲を作曲したときのように、シェークスピアがすばらしい詩を書いたときのように」、誇りを持って、忠実に果たそうではありませんか。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」


今日は西宮にあるアンネのバラの教会を訪問し、教会のウェブサイト制作の打ち合わせと写真撮影をさせていただきました。訪問中、満開のバラを見に来られる方が後を絶ちませんでした。

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