うめきの祈り


イエスが涙を流すのを見、ユダヤ人たちは、「どんなにラザロを愛しておられたことか」と言ったり、ある人たちは、「盲人の目を開けたこの人も(半年ほど前、シロアムの池で起こったあの奇跡のことです)、ラザロを死なないようにはできなかったのか」と言ったりしていました。
さて、イエスの涙に前後して、ヨハネがくり返されて使う言葉があります。「憤り」という言葉です。33節には、「イエスは・・・心に憤りを覚え、興奮して」とあり、38節にも、「イエスは、再び憤りを覚えて」とあります。日本語には訳しにくい言葉のようですが、イエスの感情を描く珍しい記事、また表現と言えるでしょう。
ここで「憤り」と訳されている言葉は、馬がいきり立って鼻を鳴らす様子を示す動詞で、不快感や怒りを表す時に用いられる言葉です。英語の聖書では、groaned in the spirit(霊のうめき声)と訳されていますが、同じ言葉が、ローマの信徒への手紙の8章26節にも使われているのは興味深いです。「同様に、霊も弱い私たちを助けてくださいます。私たちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」
ラザロの死という動かす事の出来ない深い悲しみを前に、祈る言葉も失って泣いている私たちのために、イエスの内なる聖霊が、まるでうめくかのように、イエスを突き動かしておられるのです。ですから、イエスの涙には、うめきの祈りが隠されていたと言えるのではないでしょうか。ローマ書の8章の続きを読めば、うめきの祈りは万事を益に変え、輝かしい勝利へと私たちを導いてくれることが教えられています。
今日も聖霊は、弱い私たちを助けてくださいます。私たちがどう祈ったらよいかわからなくなるときにも、聖霊は言葉に表せないうめきをもって私たちのために執り成してくださるからです。聖霊来てください。御名を呼ぶ私たちの所に、聖霊、聖霊来てください。

3月に入りました。次の日曜日は3月のオープン礼拝です。ぜひお出かけください。

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灰の水曜日のこと

今週も祈祷会を大切に。
御言葉をシェアします。創世記3章、イザヤ書61章から。

3:19 塵にすぎないお前は塵に帰る。

61:3 シオンのゆえに嘆いている人々に
灰に代えて冠をかぶらせ
嘆きに代えて喜びの香油を
暗い心に代えて賛美の衣をもとわせるために。

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本屋の奥の秘密の本屋



土曜日の中日春秋から。

百二十万冊もの本を取りそろえる巨大な書店・丸善名古屋本店地下一階の文庫・新書売り場の隅に、その扉はある。人ひとり通るのがやっとという小さなドアだが、売り場を担当する熊谷由佳さんも、それが開いているのを見たことがないという。いったい、中に何があるのか。どこかに通じているのか。全国の現役書店員らが書いた『夢の本屋ガイド』によると、そこには「本屋の奥の秘密の本屋」があるらしい。それは小さな小さな書店で、常に中から鍵がかかっている。常連客の紹介がなければ扉が開くことはないが、いったん入れば、馥郁(ふくいく)とした時間が待っている。・・・中略
まさに理想の書店だが、何しろ売り場を担当する熊谷さんですら扉が開いているのを見たことがないのだから、そこは「夢の本屋」なのだろう。しかし考えてみれば、本そのものにも「秘密の扉」はある。何年も積ん読にしたままだった本が突然、扉を開けて招き入れてくれるような瞬間がある。何度も読み返してきた本に「奥の秘密の部屋」を見いだすような瞬間もある。だが、それは自分の手で開こうとしなければ開かない扉だろう。

先週、「十字架の黙想・平成版」が届きましたが、一週間、読んでいただけたでしょうか。前の方が良かったとか、馬鹿なことを言わないで、この新しい本の奥の秘密の部屋を、毎日あなたの手で開いていただきたいと思います。ある牧師は、この本を読んで、神は愛であって、私たちをキリストの似姿に変えようとしていることがわかったと言いました。「読書百遍」と言います。ぜひ、くり返し学んでください。しかし、何よりも毎日聖書を開いて、聖書の奥の秘密の部屋、神様の心の奥にある秘密の世界を学び、体験していただきたいと思います。

今週も大切なことを大切に。

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Jesus wept ・後編

礼拝メッセージ 「Jesus wept ・後編」
聖書 ヨハネによる福音書11の33〜40、ローマの信徒への手紙8の26
ヨハネによる福音書シリーズ(81)

11:33 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して
11:34 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。
11:35 イエスは涙を流された。
11:36 ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。
11:37 しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。
11:38 イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。
11:39 イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。
11:40 イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。

8:26 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。

今週も礼拝の恵みに感謝。

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彼をどこに置いたのか。



イエスは涙を流されました。私たちも涙をこぼすことがあります。私たちの心を洗い清めるような大切な涙も、喜びや感動の涙もありますが、心を沈ませ、死に至らせるほどの悲しみと絶望の涙もあるでしょう。その根本的な問題が、ラザロがいなくなったことなのです。イエスは、泣きじゃくるマリアに「ラザロをどこに葬ったのか」と尋ねています。口語訳聖書では「彼をどこに置いたのか」と訳されています。彼とは、ラザロのことですが、ラザロとはヘブライ語でエルアザル(神の助け)という意味です。
今年はマルチン・ルターによる宗教改革から500年の記念の年ですが、彼について有名なエピソードがあります。ある時、彼が意気消沈し、うなだれている様子を見た彼の妻が、喪服を着て家の中を歩いていたというのです。ルターは慌てて、誰かが亡くなったのかと尋ねるのですが、賢い彼の妻はひと言、「あなたの神が亡くなってしまわれました」と答えたそうです。あまりにも落ち込んで、くよくよしているルターに、彼女のひと言は天からの声となり、彼は歴史的な宗教改革を推し進める前に、自らの心の内に宗教改革を経験したという話しです。
彼をどこに置いたのか。ラザロ、神の助けをどこに置いたのか。あなたはあなたの神とその助けをどこに置いてきてしまったのですか?
御言葉が響きます。「誇る者は、この事を誇るがよい、目覚めてわたしを知ることを。」

デボーションガイドの次号の校閲が終わったので、1時間ほど、教会の案内を配って来ました。
風は冷たかったですが、日射しは暖かかったです。

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十字架と宣教

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
コリントの信徒への手紙一の1章から。

1:18 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、
わたしたち救われる者には神の力です。

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一番短い節



マルタが家に戻り、妹のマリアに耳打ちして、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と伝えます。ほんとうは大きな声で伝えればよかったと思うのですが、その頃、すでにイエスが来られたことも、イエスのもとに行くことも、あまり公にはできない緊迫した状況が出来上がっていたことを、ヨハネはそれとなく私たちに伝えます。
イエスが呼んでいると聞き、マリアはすぐにイエスのもとに向かいました。ラザロの姉妹を慰めるために来ていた人々は、彼女がラザロの墓に行くのだろうと思い、ついて行きましたが、マリアはイエスを見つけると、その足もとにひれ伏し、姉のマルタが言ったのと同じことを言いました。「主よ、もしあなたがここにいてくださったら、兄弟は死ななかったでしょうに」と。彼女たちはイエスを信じていましたが、その信仰には限界があったのです。
「イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。『どこに葬ったのか。』・・・イエスは涙を流された。」
旧新約聖書66巻は1189章、約31173節から成ります(1189章は「いいやく」、31173節は「3つのいい波」と覚えてください)。聖書の章や節は、もともと付けられたいたのではなく、500年ほど前に便宜上付けられたもので、そこに神学的な意味合いがあるわけではありませんが、よく英語の聖書で最も短い節と言われているのが、この35節です。日本語の聖書ではもっと短い節がありますので、探してみてください。この言葉は、聖書で一番短い節かも知れませんが、聖書の中で神の愛の深さを最もよく表している節でもあります。イエス・キリストは涙を知っておられました。ヨハネ福音書は一貫してイエスが神の子であることを証しする書ですが、イエスが疲れ、渇き、涙する姿を描くことをためらいません。彼はイエスが人となれた神の子であることを大胆に証しするのです。

今週も大切なことを大切に。

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Jesus wept

礼拝メッセージ 「Jesus wept・前編」
聖書 ヨハネによる福音書11の28〜37
ヨハネによる福音書シリーズ(80)

11:28 マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。
11:29 マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。
11:30 イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。
11:31 家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。
11:32 マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。
11:33 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、
11:34 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。
11:35 イエスは涙を流された。
11:36 ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。
11:37 しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。

今週も礼拝の恵みに感謝。

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暖かさ



木曜日であった。空はねずみ色であった。・・・
神父は私に声をかけてくれた。ぼたん雪が降っていた。

「あなたは少年時代から、キリスト者の生活の目的とは何かということを探し求めてきた。・・・
今、あなたにその真の目的を教えてあげる。・・・
キリスト者の生活の真の目的は、聖霊を獲得することである。・・・」
その時、セラフィーム神父は私の肩を固くつかんで、言った。
「我々は聖霊の充満の中に居る。・・・」
セラフィーム神父は聞いた。「今、何を感じるか」
「最高に『良い』気分です。」 
「また、何を感じるか。」
「不思議な甘美さを。」
「また、何を感じているのか。」
「心の中で非常な喜びを。」
「また何を感じるか。」
「非常な暖かさを。」
「何?暖かさを?私たちは今、森林の中に居て、冬の最中ではないのか。
雪は私たちの足元にあるし、降り続けて、私たちを覆っている。
どのような暖かさなのだろうか。」
「サウナに入浴するときのような暖かさ。」
「神の友よ、・・・足元の雪、私たちを覆う雪を見てごらんなさい。
全然溶けない。暖かさは大気中にあるのではなく、私たちの内にあるから。
『あなたの聖霊は私たちを暖めますように』という祈りの中で、
聖霊はその暖かさを求めさせるのである。
この暖かさは男女の隠遁者たちを冬の寒さから守り、
聖霊によって織られた服をまとわせたかのようであった。
聖霊は私たちを照らし暖め、言いようのない喜びで私たちを満足させるのである。
神の友よ、我々は聖霊の充満の中に居る。」
(「サーロフの聖セラフィーム」モトヴィーロフとの話し合い抜粋)

あなたの聖霊は私たちを暖めますように。

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目覚めてわたしを知ること

今週も祈祷会を大切に。
御言葉をシェアします。エレミヤ書の9章から。

9:22 主はこう言われる。
知恵ある者は、その知恵を誇るな。
力ある者は、その力を誇るな。
富ある者は、その富を誇るな。
9:23 むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい
目覚めてわたしを知ることを。
わたしこそ主。
この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事
その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。

十字架の木の下で、私たちを愛に呼び覚まされた主を
さらに深く知ることができますように。
いよいよ「十字架の黙想・平成版」が出版されましたが、
この霊的書物を通して、十字架に帰ることができますように。

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