「風鈴」より続き

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
創世記17章から。

17:1 アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。
「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。

先週に続き、春の京都聖会に備えて、『言泉集』2巻から「風鈴」の続きを学びました。
キリストのみ。花も実もある信仰を育てていただきたいです。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

立て、さあ行こう

洗礼式

ヨハネによる福音書14章の最後のところに、他の福音書であれば、ゲッセマネの園の物語で使われる言葉遣いが立て続けに出てきます。「父がお命じになったとおりに行っている(その御旨のままに、完全に一致して行動している)」と言われているのは、「わたしの思いのままではなく、御心のままになさってください」と祈られたゲッセマネの祈りを思い起こさせます。「さあ、立て。ここから出かけよう」という言葉は、イエスが眠っている弟子たちを起こして、「立て、さあ行こう」と言われたのと同じです。また「世の支配者が来る」という不気味な言葉は、イエスが逮捕される時に、「今はあなたがたの時、また、やみの支配者の時である」と言われた言葉に通じます。つまり、場面こそ違いますが、ヨハネはここであのゲッセマネの園のような場面を描こうとしているのです。
しかし、ヨハネ福音書におけるゲッセマネの園の物語は18章に記されているので、この箇所から、そのまま18章に入るとスムースなのですが、まだ15章、16章、17章とイエスの長い告別説教と最後の祈りが続きます。もしヨハネが伝えた通りだとすれば、15章と16章は、イエスと弟子たちが、最後の晩餐が行われたマルコの家を出て、ゲッセマネの園に向かう道すがら、何度も立ち止まりながら話されたことになります。
この辺りは、聖書学者たちの間でも意見が分かれるところなのですが、今回のシリーズはそのような流れでメッセージを続けたいと思っています。ちなみに、『日本人に贈る聖書物語』にもこのように書かれていました。「二階の大広間があった家からゲッセマネの園まで、男の足で十数分の距離である。しかしこの夜は、そこに着くのに一時間以上もかかった。イエスが、途中何度も城壁のそばに立ち止まり、弟子たちに告別のメッセージを語ったからである」と。
私たちもこの場面から、イエスと共にゲッセマネの園に向かいます。神の御旨が完全に実現されていくゲッセマネの園へ。「立て、さあ行こう。」あなたのあとについて行かせてください。

今日は京都聖会前ですが、地区の先生方の集まりが持たれます。
今週も大切なことを大切に。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

その御旨のままに

礼拝メッセージ 「その御旨のままに」
聖書 ヨハネによる福音書14の27-31
ヨハネによる福音書シリーズ(115)

14:27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。
14:28 『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。
14:29 事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。
14:30 もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない。
14:31 わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。さあ、立て。ここから出かけよう。

フランシスコ会訳聖書
14:31 この世は、わたしが父を愛し、その御旨のままに行うことを知るべきである。さあ、立ちなさい、出かけよう。
詳訳聖書
14:31 私は父が命ぜられたとおりに行う。それは私が父を愛していることと、また私がただ父に命ぜられることだけを行うこと〈私が父の命令に完全に一致して行動すること〉を世に知らせるためである。

今日の礼拝で2人の若者が洗礼を受けました。
今週も礼拝の恵みに感謝。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

レンブラントから



2012年にFBIのホームページで公表された高額盗難品リストの1位はレンブラント作「CHRIST IN THE STORM(嵐の中のキリスト)」です。1990年にボストンのイサベラ・ガードナー・スチュアート美術館から、警察官になりすました賊によって盗み出されたこの作品は時価3億ドルでした。
改めてこの逸品を観ると、嵐の中、波にもてあそばれて浸水している舟が細かく描写されています。風で飛ばされた踊るロープ。恐怖する弟子たちの表情。ある弟子は帆柱やロープにしがみつき、ある弟子は船酔いし、ある弟子はイエスに詰め寄っています。舟の乗っている誰もが嵐を見ている中で、イエスだけは天の一角から差しこむ光の方を見つめています。その顔は輝いています。更によく見ると、もう一人、この絵の中で飛び出している人がいるのに気がつきます。中央の青い服を着た人物です。彼は嵐を見ているのでも、天を見つめているのでもありません。この絵を見ている私たちを見つめ、何かを訴えているようです。これは誰で、何を伝えようとしているのでしょう。そこで舟に乗っている人を数えると14人いることに気づきます。イエスと12弟子で13人のはずなのに14人いるのです。レンブラントは作品の中に自画像を描き込むことでよく知られていますが、この嵐の舟の中から、時代を越えて、私たちを見つめるこの人物こそキリストの弟子、レンブラント自身なのです。
それはあたかも、ガリラヤの波猛る湖で漕ぎ悩む舟が遠い過去のものではなく、時代を超え、今日もこの嵐の中の、イエスが乗っている舟の中に私たちがいることを、彼は自らを描いて伝えているのではないでしょうか。嵐の中の舟の、イエスの御許に自らを描いたレンブラントが今日私たちを見つめ、招いているのです。イエス・キリストからあなたに贈り物が届いています。あなたはそれをもうお受け取りになりましたか。
イエス・キリストからあなたへ。「あなたがたに贈り物をあげましょう。あなたがたの思いと心を安らかにすること、それがわたしの贈り物です。」やがて私が十字架で、あなたがたの罪のためにこの命をささげるから、あなたがたは平安でいなさい。そして三日目によみがえり、あなたがたに平安を届けるから、あなたがたは平安でいなさい。もうすぐ、慰め主である聖霊があなたのところに来るから、あなたがたは平安でいなさい。

東日本大震災から7年。減災・復興への誓いを新たに。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

「風鈴」より

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
コリント人への手紙第一 2章から。

2:4 わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。
2:5 それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。

来週に迫った春の京都聖会に備えて、『言泉集』2巻から「風鈴」の一部を学びました。
トラピスト修道者・山下房三郎神父から寄せられた手紙に、聖イエス会の標語について触れられていますが、この標語の今日的な意義について教えられる一文です。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

Peace Of Mind



随分前のことですが、来日していた歌手のマドンナさんに女性キャスターがインタビューをしました。彼女は流暢な英語でいくつかの質問をした後で、最後にこう尋ねました。「これが最後の質問です。あなたは大成功を収めました。富も美貌も名声も成功もすべてを手に入れています。これ以上、何か欲しいものがありますか?」
マドンナはしばらく考えてからこう答えます。「Peace Of Mind(心の平安) 」。アメリカン・ドリームを手に入れた彼女がまだ持っていなかったもの。心の平安という、永遠に失われることも、色あせることもない宝を彼女は必要としていたのです。イエスの言葉が心に響きます。「あなたがたに贈り物をあげましょう。あなたがたの思いと心を安らかにすること、それがわたしの贈り物です。」この言葉は、十字架の前夜、最後の晩餐が終わった後、弟子たちに語られたイエスの最後の教えです。マシュー・ヘンリという聖書注解者がこう言っています。「キリストはこの世を去る前に遺言書を作成されたのでしょう。ご自分の魂は父なる神におゆだねする。お身体はアリマタヤのヨセフに遺贈する。衣服はローマの兵隊たちに分け与え、母マリアはヨハネの保護のもとに置く。けれども、主は一切を捨てた貧しい弟子たちのために、何を残したらよいかと考え、金銀は何もなかったけれど、はるかに素晴らしいものを残された。それがイエス御自身の持っておられた平安である」と。ご存知だったでしょうか。イエス・キリストからあなたに贈り物が届いています。もう受け取られたでしょうか。イエス・キリストからの贈り物、Peace Of Mindを。

今週も大切なことを大切に。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

平安という贈り物

礼拝メッセージ 「平安という贈り物」
聖書 ヨハネによる福音書14の25−31
ヨハネによる福音書シリーズ(114)

14:25 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。
14:26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
14:27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。
14:28 『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。
14:29 事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。
14:30 もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない。
14:31 わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。さあ、立て。ここから出かけよう。

リビングバイブル
14:27 あなたがたに贈り物をあげましょう。あなたがたの思いと心を安らかにすること、それがわたしの贈り物です。わたしが与える平安は、この世のはかない平安とは比べものになりません。だから、どんな時にもおろおろしたり、恐れたりしてはいけません。

今週も礼拝の恵みに感謝。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

すべてのことを教え



「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」ここでも「弁護者」は、ギリシア語の「パラクレートス(傍らに呼ばれた者)」で、詳訳聖書ではこの箇所も7つの訳を当てています。「しかし、慰め主〈助言者、助け主、とりなす者、弁護者、激励者、援助者〉、すなわち、父が私の名によって〈私の代わりに、私を代表して、私に代わって働くために〉つかわされる聖霊は、あなたたちにすべての事を教えてくださる。また彼は私があなたたちに語った事をことごとく思い起こさせ〈思い出させ、記憶によみがえらせ〉てくださる」と。
「すべてのことを教え」という言葉を、ある聖書注解者は「情報の量ではなく、深みにおける十分さのことである」と説明していました。たとえば、新聞の情報には限界があります。書かれている情報の量、言葉だけではわからない、その背後にある意味があって、その深みに導いてくれるのが聖霊だと言うのです。
宣教師の家庭に生まれ、自身も神学校で学んだことのあるウイリアム・ポール・ヤングが子どものためにルーズリーフに書いた物語があります。やがてその物語が自費出版されると、人生を変える本と言うこと口コミで広まり、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストで、70週連続1位を記録します。それが小説「神の小屋」です。このストーリーが昨年映画化され、日本の役者さんも出演したことで話題になりました。
主人公のマックは、可愛い3人の子ども、信仰深い妻に囲まれ幸せに暮らしていました。ある休日、3人の子どもたちとキャンプに出かけたときに悲劇が起こります。末娘のミッシーがキャンプ場でいなくなったのです。捜索開始から数時間後、廃れた山小屋の中で、ミッシーの血に染まったドレスが発見されます。その残された証拠から連続殺人犯の犯行であると判明。4年後、大いなる嘆きの中にあった彼のもとに奇妙の手紙が届きます。「しばらくだね。ずっと会いたいと思っていたんだよ。もし、お前も会いたいと思ってくれるなら、次の週末、私はあの小屋にいるよ。パパより」。パパというのは、この小説では父なる神のことです。これは殺人犯のいたずらか、ほんとうに神からの招待状なのか。悩みに悩んだ挙げ句、マックは一人でその山小屋に行きます。そして、そこで待っていたのが人生を変える神との出会いでした。
この物語には神の三位一体が巧みに描写されています。神学的には色々な意見があることは承知していますが、父なる神、子なるイエス、そして聖霊、そのことをどう説明すればよいのか。クリスチャンの課題の一つです。それは理論や方程式ではなく、神が人間の痛みにどう向き合ってくださるのか。この本には、三位一体という視点から、そのことが描かれ、サスペンスとファンタジーと神学書が一つになったような感動の一冊になっています。
本の帯には「現代版ヨブ記」と書かれていますが、この本には、人間の本質的な叫びとそれに対する神からの回答が書かれています。それが、聖霊が「すべてのことを教え」という意味です。なぜミッシーは死ななければならなかったのか。神はその時、どこで何をしていていたのか、神はそれを止められなかったのか。私たちもそれぞれの人生でそんなことを感じる時があります。だれもがその心の中に、悲しい廃れた山小屋を持っているのです。でも、その小屋でこそ、神が待っていてくださり、あの思い出したくもない出来事の現場、廃れた小屋を神の小屋としてくださるのです。「そこにて我汝と出会い、汝と語る」と。
この歴史における最大の惨事は、カルバリーの十字架です。しかし、そこが神との出会いの現場と変えられました。すべての答えがそこにあります。

3月に入りました。次の日曜日、3月のオープン礼拝です。ぜひお出かけください。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

キリストの証人

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
使徒言行録の1章から。

1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。

1:8 然れど聖霊なんじらの上に臨むとき、汝ら能力を受けん。而してエルサレム、ユダヤ全国、サマリヤ、及び地の極にまで我が証人とならん。(文語訳)

今日は『若き日の大槻武二』から、1937年の2月28日に語られたメッセージ、「キリストの証人」を学びました。
81年前、涙も凍る大陸でこのメッセージが語られたことがターニングポイントとなり、5月19日、12月12日、そして翌年の1月9日に導かれることになります。記念の年に、私たちもここから始めさせていただきたいと、昨年からこの日のために取って置いたメッセージで、恵みをいただきました。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

3月のオープン礼拝



もうすぐ3月、次の日曜日は3月のオープン礼拝です。
「平安という贈りもの」と題して、ヨハネによる福音書から学びます。

イエス・キリストからあなたに大切な贈り物が届いています。
ご存知でしたか?
受け取り忘れがありませんように。

毎月第一日曜日は、教会は初めてと言われる方にも入りやすいオープン礼拝です。
ぜひお出かけください。弥富公園東、丘の上の教会です。
入場無料、駐車場あり、こども同伴もOK。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

(C) 2018 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
Join me on Facebook Follow me on Twitter Subscribe to RSS Email me