いのちとの出会い・シリーズ3

礼拝メッセージ 「いのちとの出会い・シリーズ3」
聖書 ヨハネによる福音書11章40-45節
ヨハネによる福音書シリーズ(新年特別編)

11:40 イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。
11:41 人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。
11:42 わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」
11:43 こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。
11:44 すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
11:45 マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。

今週も礼拝の恵みに感謝します。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

音が聞こえた



福音とは、幸福の音と書きますが、聖書の中で最初に「音」という言葉が使われるのはどこだか知っていますか。それは創世記の3章です。クリスマスに学んだ「原福音」と呼ばれる箇所ですが、人類の罪の始まりが描かれる記事の中に、すでにいくつもの神の愛を見い出すことができます。そこに聖書で最初の「音(sound)」が出て来るのです。3章8節、「その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。」それは、罪を犯し、神の顔を避けて園の木の間に隠れていたアダムとエバを探し、園の中を歩まれる神の足音でした。それはどんな足音だったのでしょう。神学的には、彼らが犯した罪が神と人との間を分断しました。しかし、この足音から感じられる神の思いはこうです。「主なる神はアダムを呼ばれた。『どこにいるのか。』」これは彼らを裁くためではく、彼らを取り戻すための神の招きです。神は罪のど真ん中にいる彼らに近づくことを否まれなかったのです。これこそ福音の初めです。
雅歌や創世記の記事を背景に、ラザロの復活の物語を読むのは、読み込み過ぎでしょうか。それでも、「ラザロ、出て来なさい」と墓に向かって叫ばれたイエスの声が、私にはこう聞こえるのです。「あなたはどこにいるのか。」「あなたがたはどうして死んでよかろうか。わたしは何人との死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ。」「わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。」
いつか死に呑み込まれていく私たちのため、死に向かって憤り、涙を流しながら、立ち向かって行かれたイエスこそ、やがて十字架の死によって死を滅ぼし、私たちに永遠の命を与え、私たちの目から涙をぬぐってくださるお方なのです。「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。」
今年、死の世界であるネゲブに川の流れを導き、命を氾濫させるかのように、罪や不信仰、死の力に縛られ、捕らえられている私たちを、主が解き放ち、復活させてくださるでしょう。神の足音が聞こえて来ます。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

都に上る歌

今年も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
詩編126編から。

126:1 【都に上る歌。】主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて、わたしたちは夢を見ている人のようになった。
126:2 そのときには、わたしたちの口に笑いが、舌に喜びの歌が満ちるであろう。
そのときには、国々も言うであろう。「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた」と。
126:3 主よ、わたしたちのために、大きな業を成し遂げてください。わたしたちは喜び祝うでしょう。
126:4 主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように、わたしたちの捕われ人を連れ帰ってください。
126:5 涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。
126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

この詩編は120編から始まる15編からなる「都に上る歌」の7番目の歌です。「都に上る歌」はシール・ハマアロートの訳で、本来は「上る歌」という意味です。そこで、曲調が上がり調子の歌と理解する場合もありますし、神殿の婦人の庭から、男子の庭に上るところに15段の階段があり、それを一段上る毎に、レビ人が歌ったから、この歌集は15編あるのだという、うがった見解もあります。ほかには、バビロン捕囚から故国に帰還した人々が歌った歌やエルサレム巡礼のために都に上る者たちの歌と考えられています。それぞれ意味があるように思います。今年の標語の聖書箇所なので、礼拝に祈祷会に上って来る度に味わいたいものです。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

氷をとかすドラマ



旧約聖書、雅歌2章10節以下を新改訳聖書で紹介します。

2:10 私の愛する方は、私に語りかけて言われます。
「わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。
2:11 ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎて行った。
2:12 地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。

聖イエス会讃美歌152番「見よ冬過ぎ去り」はこの御言葉を歌っています。冬が過ぎ、春が来るように、歌の季節がやって来るというのは、今年の標語、詩編126編にも通じるテーマだと思います。涙の種蒔きに続く、喜びの歌と収穫。厳しい冬の寒さに続く、百花繚乱の歌の季節。新共同訳の「小鳥の歌うたうとき」というのも良い訳です。
さて、歴史上最も多くの人に見られた映画の一つは、あの「Sound of Music」だそうです。ジュリー・アンドリュースが演じる実在の修道女とトラップ一家との愛を描いたこの不朽の名作ですが、この映画について徹底解説した書物に、長く愛される映画(ストーリー)には一つの法則があるということが書かれていて興味深く読みました。その法則とは「氷をとかすドラマ」ということです。
大ヒットしたディズニーの「アナと雪の女王」は、まさに真実な愛によって氷がとける物語です。日本にゴスペルブームを呼んだ「天使にラブソングを」もそうです。「Sound of Music」も氷のような心のトラップ大佐とその厳しい規律に縛られていた子どもたちの心を、修道女マリアが歌の力によって、その氷をとかしていく物語です。
では、どうしてこのようなストーリーが愛されるのでしょうか。それはきっと、だれもがとかしてほしい何かを持っているからではないでしょうか。
雅歌の花嫁も、閉ざされた心を持っていましたが、彼女を愛する花婿は、彼女の愛を呼び覚まそうと、「山々を飛び越え、丘々の上をはねて」、かもしかや若い鹿のように、彼女のところにやって来ました。そして語りかけるのです。「わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎて行った。地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た」と。氷をとかすドラマ、これこそ福音の神髄です。

今週も大切なことを大切に。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

いのちとの出会い・シリーズ2

礼拝メッセージ 「いのちとの出会い・シリーズ2」
聖書 詩編126編1-6節、雅歌2:10-12、ヨハネによる福音書11章41-43

126:1 【都に上る歌。】主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて、わたしたちは夢を見ている人のようになった。
126:2 そのときには、わたしたちの口に笑いが、舌に喜びの歌が満ちるであろう。そのときには、国々も言うであろう。「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた」と。
126:3 主よ、わたしたちのために、大きな業を成し遂げてください。わたしたちは喜び祝うでしょう。
126:4 主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように、わたしたちの捕われ人を連れ帰ってください。
126:5 涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。
126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

2:10 私の愛する方は、
私に語りかけて言われます。
「わが愛する者、美しいひとよ。
さあ、立って、出ておいで。
2:11 ほら、冬は過ぎ去り、
大雨も通り過ぎて行った。
2: 12 地には花が咲き乱れ、
歌の季節がやって来た。」

11:41 人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。
11:42 わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」
11:43 こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。

新年最初の日曜礼拝。今週も礼拝の恵みに感謝。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

ネゲブに川の流れを導くかのように



新年の御名と標語を心からあがめます。今年の御名はヨハネによる福音書11章25節、「我は復活なり命なり」です。今年、この命と希望にあふれる御名(神の種)を、まず私たちの心という畑に、涙と共に蒔き続け、自らの内にキリストの死と復活を体験し、キリストの命にあふれる者とならせていただきましょう。その人だけが、「復活の喜びを告げる、新しい歌」を歌いながら、大いなる収穫に与ることができるからです。
今年の標語、詩編126編が私たちの日々の祈りとなりますように。

126:1 主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて、
わたしたちは夢を見ている人のようになった。
126:2 そのときには、わたしたちの口に笑いが、
舌に喜びの歌が満ちるであろう。
そのときには、国々も言うであろう。
「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた」と。
126:3 主よ、わたしたちのために
大きな業を成し遂げてください。
わたしたちは喜び祝うでしょう。
126:4 主よ、ネゲブ(荒野と砂漠に、死の世界に、いのちの)川の流れを導くかのように、
わたしたちの捕われ人を連れ帰ってください。
126:5 涙と共に種を蒔く人は、
喜びの歌と共に刈り入れる。
126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、
束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。」
お言葉通り、成りますように。

4節に「ネゲブに川の流れを導くかのように」とありましたが、ネゲブとは、イスラエルの南部に広がる砂漠地帯のことです。イスラエル建国の父ベングリオンは、まるで預言者のように「ネゲブに花を咲かせよう」「この地を緑の園にしよう」と語り、そこにキブツを作りました。ネゲブには、ワジと呼ばれる水無川、涸れ川があり、雨期になると突然そこに川が流れるのです。今年、ネゲブに川の流れを導くかのように、主が私を含め、罪や不信仰、死の力に縛られ、捕らえられている者を解き放ち、復活させてください。さあ、「わたしたちのために大きな業を成し遂げてください」と祈りましょう。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

デボーションのすすめ



教会ではデボーションガイドを使って聖書通読することを勧めています。
デボーションガイドは、読み始めたその日から3年で、旧約聖書を1回、新約聖書を2回読むことができる聖書通読の友です。デボーションガイドの初めに、デボーションガイドの使い方「デボーションのすすめ」という短い文章を書かせていただいていますが、新年号にはこんな文章を載せました。

聖書を深く理解し、聖書を生きる人となるために、みなさんの手に次の6つのことを覚えさせてください。小指が「聞く」、薬指が「読む」、中指が「学ぶ」、人差し指が「覚える」、親指が「黙想する」、そして手のひらが「適用する」です。クリスチャンであれば、しばしば御言葉を聞く機会はありますが、それだけでは十分でありません。もう一歩進んで、毎日聖書を読む習慣を身に付けましょう。さらに、御言葉を学び、覚え、黙想し、日々の生活の中に適用することによって、御言葉をつかむことができるようになり、だれでも聖書を生きる人となれるのです。

そこで、名古屋教会では、今年デボーションガイド用のジャーナル(日誌)を作り、御言葉やデボーションの恵み、日々の感謝を書き留めることに挑戦し始めています。聖イエス会のメンバーで、まだデボーションガイドを使っていない方はぜひお求めください。新しい年、ご夫婦で、ご家族で、友だちやグループ、教会ぐるみでいろいろ工夫しながら挑戦していただきたいです。

あなたが聖書を閉ざすなら、神は口を閉ざされます。
あなたが聖書を開くなら、神は口を開いて語られます。

さあ、今年も毎日聖書を開いて、神の声を聞きましょう。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

いのちとの出会い

元旦礼拝
メッセージ 「いのちとの出会い」
聖書 詩編126編1-6節、ヨハネによる福音書11章25,33-38

126:1 【都に上る歌。】主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて、わたしたちは夢を見ている人のようになった。
126:2 そのときには、わたしたちの口に笑いが、舌に喜びの歌が満ちるであろう。そのときには、国々も言うであろう。「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた」と。
126:3 主よ、わたしたちのために、大きな業を成し遂げてください。わたしたちは喜び祝うでしょう。
126:4 主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように、わたしたちの捕われ人を連れ帰ってください。
126:5 涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。
126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

11:25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
11:26 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
11:33 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、
11:34 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。
11:35 イエスは涙を流された。
11:36 ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。
11:37 しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。
11:38 イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。

新年明けましておめでとうございます。
新年の祝福をお祈りいたします。
「主よ、わたしたちのために大きな業を成し遂げてください。」

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

敬天愛人



今年は、明治150年と呼ばれ、NHKの大河ドラマでも維新の立役者・西郷隆盛の生涯を描く「西郷どん」が放送されましたが、大槻牧師が書かれた『言泉集』の中にも西郷の言葉が引用されています。『西郷南州翁遺訓』という西郷の教えをまとめた本に出て来る言葉で、剣の達人と言われた山岡鉄舟のことを評した言葉です。「地位も名誉も財産もいらぬという者は、始末に困る者である。しかし、この始末に困る者でなくては、大事を共にすることはできない。」『言泉集』の12巻と15巻に出てきますので、どんなメッセージの中で引用されているのか興味のある方は、ぜひ『言泉集』を読んでください。
ところで、西郷隆盛の座右の銘と言えば「敬天愛人」ですが、この言葉は18世紀の清王朝、康熙(コウキ)帝がキリスト教認定の言葉として使ったのが起源とされ、その後、明治時代の啓蒙思想家・中村正直がキリスト教精神を要約した言葉として用い、親交のあった西郷に伝わったようです。すでに、漢訳(中国語)聖書を読んでいた西郷は、「敬天愛人」との言葉を通して、自らが信奉していた陽明学を超えた真理が、キリスト教にあると悟ったのです。
内村鑑三は名著『代表的日本人』の中でこう記しています。「敬天愛人の言葉には、キリスト教で言うところの律法と預言者の思想が込められており、私としては、西郷がそのような壮大な教えをどこから得たのか興味深い。」「西郷にとって、天は全能であり、不変であり、きわめて慈悲深い存在であり、天の法は守るべききわめて恵み豊かなものとして理解されていたようだ」と。新しい時代を切り拓いた維新の志士が、聖書を通して、心の維新を体験していたことを忘れないようにしたいと思います。
「西郷どん」の最終話のナレーションで、西郷に従った人の言葉が紹介されました。「一日西郷に接すれば一日の愛が生じ、三日接すれば三日の愛が生じる。親愛の情は日々募り、もはや去ることは出来ない。ただ、ただ生死を共にしたいのだ。」キリストに接した人もまた同じです。明日から始まる新しい年が、新しい時代を切り拓くために、涙と共に種を蒔き、喜びの歌と共に刈り入れる年となりますように。まず心の維新を求めましょう。

元旦礼拝は明日1月1日(火祝)午前10時半から。
新年の祝福を共の祈りましょう。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

君たちはどう生きるか(敬天愛人)

年末感謝礼拝
メッセージ 「君たちはどう生きるか(敬天愛人)」
聖書 ヨハネによる福音書8の56-58、創世記12の1-9

ヨハネによる福音書
8:56 「あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。」
8:57 ユダヤ人たちが、「あなたは、まだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか」と言うと、
8:58 イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」

創世記
12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。
12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。
12:3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
12:4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
12:5 アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。
12:6 アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。
12:7 主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。
12:8 アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。
12:9 アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。

今日は一年最後の礼拝。この一年のすべての恵みに感謝。
元旦礼拝は1月1日(火祝)午前10時半から。
クリスマスに続き、新年のスタートも教会で。

comments(0)  |  trackbacks(0)

edit  top

(C) 2019 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
Join me on Facebook Follow me on Twitter Subscribe to RSS Email me