内におられるキリスト、栄光の希望

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
コロサイの信徒への手紙1章から。

1:27 この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。

今日はキリストの昇天日、ペンテコステに向かって祈りを積みました。
青年大会の報告集会となるペンテコステの礼拝に備え、リバイバルメッセージの前半を音読し味わいました。
もう一度、私たちの内側で火花を散らすような神との出会いが与えられますように。

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キング牧師の言葉



「I have a dream(私には夢がある)」と、人種差別のない社会を訴えたキング牧師が暗殺されて、先月の4日で50年が経ち、全米で追悼行事が行われた様子が新聞やニュースでも紹介されていました。キング牧師の夢は実現したでしょうか。現実は、今の大統領の分断を煽るような言動により、夢の実現は遠のいているように見えます。私たちは、私たちの小さな一歩から、彼の夢を実現させたいと願います。私の好きなキング牧師の言葉があります。キング牧師が暗殺される半年ほど前に、フィラデルフィアで中学生に話したという言葉です。

「もしあなたが道路を掃除する仕事に召されたのなら、
ミケランジェロが名画を描いたときのように、
ベートーベンが名曲を作曲したときのように、
シェークスピアがすばらしい詩を書いたときのように、
道路掃除をしなさい。
その仕事があまりにもすばらしいので、
天と地に住むすべての者たちが立ち止まってこう叫ぶようにしなさい。
『ここに自分の仕事を忠実に成し遂げるすばらしい道路掃除夫がいる。』」

今日一日、私たちも自分に与えられた仕事を、誇りを持って、忠実に果たせますように。
今週も大切なことを大切に。

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選ばれてここに立つ

5月のオープン礼拝
メッセージ 「選ばれてここに立つ」
聖書 ヨハネによる福音書15章11-17節
ヨハネによる福音書シリーズ(122)

15:11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。
15:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
15:14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
15:15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
15:17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

詳訳聖書
15:16 あなたたちが私を選んだのではなく、私があなたたちを選んだ<任命した、植えた>のである。

今週も礼拝の恵みに感謝。

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小さな一歩から



私たちはキリストのように生きるということを願っていますが、それはどういうことなのでしょう。イエスの言葉によれば、「わたしがあなたがたを愛したように」生きるということです。キリストが私たちを愛してくださったように、私たちもキリストの愛によって互いに愛し合うこと、これがキリストのように生きるということです。
『聖母の騎士』というカトリックの雑誌に、一人の弁護士の方が「現代の菩薩」という寄稿をしている記事を読みました。その方は熱心な仏教徒ですが、「現代の菩薩」の例として三人のクリスチャンを紹介し、「以上に述べた現代の菩薩たちは、すべてクリスチャンであって、仏教徒ではなかったことを私は恥ずかしいと思っている」とその文章を結んでおられました。
三浦綾子さんも同じ三人のことを『小さな一歩から』というエッセイ集の中で取り上げて、次のようなことを記しています。
アウシュビッツ収容所で、一人の囚人の代わりに、自らの命を捧げて死んだコルベ神父の名を知らぬ者は、まずないであろう。洞爺丸台風と呼ばれる台風が、1954年北海道を襲った時、二人の宣教師が、見も知らぬ日本の若い男女のために救命袋を譲って、嵐の海に命を果てた。これは私の小説「氷点」の中にも書かれている実話である。また、1912年、北海道塩狩峠において、長野政雄は突如暴走した客車の乗客を救うために、線路に身を投じて貴い命を散らした。これも、私の小説「塩狩峠」に詳しく書かれている。
この三つの事件は、すべてキリスト者の犠牲の死を伝えるものである。これらの話を聞いて、感動しない者はいない。しかし、深く心を打たれながらも、「とてもわたしには真似ができない。自分たちとは別な世界に住む人だからできたことだ」という言葉をしばしば聞く。
ある時、この言葉について私は姉と話し合ったことがあった。姉は言った。「わたしも真似はできない」と。むろん、私も同じことを思った。が、その時、姉はまた言った。「わたしたちは、なかなか命は捧げられないけれど、小さなものなら、捧げられるのではないかしら」。なるほどと私は思った。小さな犠牲なら、私たちも捧げられるかも知れない。例えば、自分の庭に咲く一番美しいバラを、病んでいる人のために切って捧げることはできないか。そう思った時、捧げようと思えば、もっともっと捧げ得ることに私は気づいた。つまり、どんなに忙しくても、一日に十分の時間を誰かのために割くことはできないかと思ったのだ。電話でもいい、葉書でもいい、その人のために祈るだけでもいい。要は小さな一歩から始め得るのではなかろうか、と。
キリストのように生きるため、そんな小さな一歩から私たちも始めよう。

次の日曜日は、5月のオープン礼拝です。アンネのバラも咲いています。ぜひお出かけください。

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われ神に出会う

GWですが、今週も祈祷会を大切に。
御言葉をシェアします。詩編42編から。

42:2 涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める。
42:3 神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て/神の御顔を仰ぐことができるのか。

今日はGWスペシャルということで、『あかしびと』に連載中のT牧師の記事から、「われ神に出会う」の誕生秘話を紹介し、曲を聴き直し味わいました。すべてはここから始まっていることを確認し、「月足らずで生まれたような」者にも与えられた出会いに感謝しました。

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5月のオープン礼拝



今日から5月。GWをいかがお過ごしでしょうか?
次の日曜日は5月のオープン礼拝になります。
オープン礼拝は、教会は初めてと言われる方にも、おいでいただきやすい集まりです。
聖書を学んでみたいと思われる方、キリスト教に関心のあられる方、教会に通ってみたいと考えおられる方、普段着のまま、気軽にお越しください。歓迎します。5月は「選ばれてここに立つ」というテーマで、神の選びと招きについてお話しします。ぜひお出かけください。

5月は第2週は母の日です。母の日は、教会で生まれた美しい習慣です。母の日の礼拝にも続けてお出かけください。

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友と僕



イエスはぶどうの木の譬えによって語られた、弟子たちとの新しい愛の関係を、弟子たちを「友」と呼ぶことによって、さらに発展させました。聖書の中で、神から「友」と呼ばれてたのは信仰の父アブラハムです。イザヤ書41章8節に、「わたしの僕イスラエルよ。わたしの選んだヤコブよ。わたしの愛する友アブラハムの末よ」とあるように、アブラハムの子孫である神の民イスラエルへの呼びかけの最後に、「わたしの愛する友アブラハム」とあります。
創世記18章で、ソドムの滅亡を食い止めようと、アブラハムが神の前に立って執り成す場面があるのを覚えていますか。「主は言われた。『わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。』」そう言って、神はアブラハムにご自分の計画、誰にも話せない秘密、痛みを打ち明けました。神は、「罪深いソドムの町を滅ぼすから見ていろ」と言われたのではなく、正義のためにそうせざるを得ない心の痛みをアブラハムだけに打ち明けられたのです。そこで彼は友のように神の痛みを理解し、「この町を滅ぼさないでください」と神の愛を代弁することができました。やがてモリヤの山でイサクをささげる行為によって、彼の時代までに許されている範囲で、彼は神の救いの全貌を理解することになりますが、その意味で、アブラハムは神の友と呼ばれます。
イエスは言われました。「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているのか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」と。
イエスの十字架と復活を前に、弟子たちはキリストの僕からキリストの友に立場を変えようとしていました。これまでは、イエスの思い、神のご計画を理解しないまま従っていましたが、この後、弟子たちは神の思いと救いのご計画の全貌を理解し、自分たちの使命に目覚め、キリストの友として、雄々しくその使命に挑戦していくのです。
ところで、偉大な使徒パウロは、自分のことをどのように認識していたでしょうか。ローマの信徒への手紙1章1節を見ると、パウロは自分のことを次のように名乗っています。「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロ」と。ここで「僕」と訳されているドューロスというギリシア語は、文字どおり奴隷という意味ですが、パウロが言いたかったことは、旧約のモーセやヨシュア、またダビデもそうであったように、それは自らの意思で主人(神)に従っている僕であり、主人の心を理解し行おうとしている僕ということです。
ですから、クリスチャンとは、矛盾することのない二重の自己認識を持っていることになります。神の視点からは、キリスト・イエスの友であり、人間の視点からは、キリスト・イエスの僕です。「罪人の頭、我さえも『友』と呼びたもう愛の深さよ」(聖歌519番)と主を賛美しましょう。
神の僕とはメシアの称号でもあり、イエスの生き方でもありました。イエスは言われました。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、・・・自分の命を献げるため来たのである」と。

今週も大切なことを大切に。
玄関の小さな花壇、アンネのバラが咲き誇っています。

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続・大きな愛との出会い

礼拝メッセージ 「続・大きな愛との出会い」
聖書 ヨハネによる福音書15章11-17節
ヨハネによる福音書シリーズ(121)

15:11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。
15:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
15:14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
15:15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
15:17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

今週も礼拝の恵みに感謝。

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世の光たらん



三浦綾子さんの小説「塩狩峠」は明治42年(1909年)2月28日、宗谷本線塩狩峠で起こった実際の列車事故をモデルに書かれています。主人公のモデルとなった長野政雄さん(小説では永野信夫)は、私たちの教会のある名古屋市瑞穂区出身の方です。信夫は国鉄の職員で、札幌に赴任して間もない頃、職場で三堀という人物が他人の給料袋を盗むという騒動を起こします。そんなある日、雪の降る札幌の街で、路傍伝道をしていた伊木という伝道師の説教が信夫の心に触れます。伊木先生は、信夫を信仰に導き、十字架の意味がわからず、自らの罪が自覚できない信夫に、「聖書の一つの御言葉を徹底して実践してみなさい。そうすれば、自分が救われなければならない存在であることに気がつきます」と話します。そのような中で、眠れぬ夜に開いた聖書箇所が、ルカ福音書の10章でした。信夫は「善きサマリア人」の譬えを読みながら、他人の給料袋に手を出した同僚のことを思い出し、自分は彼の隣人になろうと決意します。すぐに彼を連れて上司の所に行き、二人はそろって旭川に転勤になります。
信夫は、婚約者を札幌に残し、傷ついている同僚の善き隣人、友となるために尽くすのですが、その気持ちは通じません。かえって、自分の過去を知る嫌な奴と思われ、恩着せがましい存在だと言われてしまいます。信夫は、その同僚の態度を不愉快に思います。その時、彼は気づくのです。自分の内に、その同僚を見下す思いがあったことを。そして、そのことに気づいた時、彼は自分が聖書の一つの言葉も実践できない罪深い存在である事実を突きつけられ、自分こそ救われなければならない人間であることを知り、ついに十字架を受け入れ救われるのです。その年のクリスマス、信夫が受洗するにあたって書いた信仰告白の証しが小説に出てきます。感動の証しです。
塩狩峠は、暴走する列車を、自分の身を挺して止める、自己犠牲の物語ですが、あの愛の奇跡は、ここから始まっていたのです。信夫は、列車事故が起こる前の夜、名寄の鉄道キリスト教青年会の集まりで「世の光たらん」という熱いメッセージを語っています。映画では最初のシーン。善きサマリア人、大きな愛に出会った永野さんの渾身のメッセージです。「あまねく世界を照らす光となろう。おのれの光を隠すことなく、あらわにしよう。陰りのない光を人々の前に輝かせよう。お互いにくり返しのきかない一生を、自分の命を燃やして生きていこう。そして、イエス・キリストの御言葉を掲げて、その光を反射する者となろう。」
塩狩峠は、人間にとって無くてはならない唯一のものが、絶対に価値あるものが、何であるかを私たちに伝えます。それは愛です。今こそここで、私たちも友のために命を捨てる大きな愛に出会い、私たちも愛の光を反射する者に変えていただきましょう。

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内におられるキリスト

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
コロサイの信徒への手紙1章から。

1:27 この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。

今日はGWに入る今週末から持たれる全国青年大会で取り組まれるメッセージを学び、大会のために祈りました。

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